Lip-1.
車窓から降ってくる、キラキラした陽光が僕のうなじをくすぐる。僕は目をこすって、小さくあくびを上げた。まだ開通して間もない車内は、僕が今まで地元で見てきた列車内よりずっと綺麗だった。床は大理石みたいにピカピカしているし、吊革もまだ薄汚れていない。中つり広告には洒落たファッション雑誌や科学系の宣伝、はたまた「その町」を宣伝するものも少なくない。
僕は太股の上に置いていたリュックサックを床に卸し、背中の車窓に振り向く。
「やっぱ、すごいな。僕が過ごしてきた町とは全然違う」
と、感嘆の言葉まで漏れ出した。森を抜けたところの、外の風景は東京のような都会よりもずっと輝きを帯びている、そんな気がした。
以前、彩海市のパンフレットを見たときに、僕は「どこの漫画の世界だ」と苦笑してしまった。環境技術開発都市、彩海市。それがこの町につけられたレッテルだった。十年くらい前に、不毛地帯だった田舎町を開拓したのが始まりだった。日本各地の技術者を集結させて、国内随一の技術都市を作ろう、と言うのが当時の目標だったらしい。
「森を抜けたと思えば、今度は摩天楼か。お、ソーラーシステムじゃん」
見慣れない風景をいちいち口にするあどけない子供のように、僕の口から次々とテロップが生まれる。摩天楼の聳える地区は、「彩海センターシティ区」として区分されているらしい。
彩海市を大まかに区分すると、三つの地区に区分される。
さっき僕が言った「彩海センターシティ区」は、ショッピングモールや運動公園等の娯楽施設など、レジャー関係に長けた地区。
海沿いの地区が、交通と行政の中心区「彩海行政区」。市役所のほかに税務署、警察署や、港も設置されている、社会人たちが勤しむ地区。
そして今回、僕がこの町を訪れることになった、先端技術と環境技術の集約された地区、「彩海学園都市域」だ。私立大学のほかに、大学病院や研究所、町の電力中枢を担っている発電所もある。そこに、今回僕が目当てとして訪れる学園があった。
「まだかな」
僕は脚を泳がせる。列車はセンターシティ区を入ったばかりみたいだ。彩海市は、車で移動しても区と区の距離がそこそこあるみたいで、市内に駅が四つある。学園都市近郊の駅までは、低く見積もってもあと十分くらいだ。
周囲を見渡す。十両編成だというのに、僕のいる車両には他に乗客がほとんどいない。僕と同年代の人は見受けられないし、周囲の乗客の年齢層が高い上、なんだか見た目がセレブっぽい人が多い。中折れ帽が非常に似合っている、白髭の似合った老人。真珠のネックレスで上流感を見せつけてくる小太りしたマダム。
なんだか、彼らを見ていると僕がここにいることの方が場違いみたいだ。
僕は床に置いていたリュックサックを拾い上げて、その車内を離れた。
一つ後ろの車内に下がると、僕はその場の空気に圧倒される。僕の視界に見えるのは、確かに僕と同年代の人たちだ。
非常にカオスな状態が、車内に広がっている。
今は桜の花が満開に近い、四月だ。時折、車窓からピンク色の花びらだって見えてくるし、蒼天は春の訪れを示している。
なのに。目に見える同級生たちは。
なんで参考書なんかに目を通しているんだ。それも、ちょっと確認、くらいの気持ちで見ているんじゃない。参考書と目の距離は全員が約十センチ、一人坊主頭の男子の瞳をチラ見してみたけれど、一文字一文字を、小説の字を追うように動かしている。
何だ、ここは。
それが、僕の正直な感想だった。なんだかあり得ない。今は受験シーズンも去ってるし、試験勉強には早すぎる。なら、何でここまで必死に勉強してるんだと、今すぐ一人一人に問うてやりたいくらいだ。
でも、その中に一人――。
「あれ?」
僕は髪を貞子みたいに伸ばしきった女子高生とスポーツマン風の男子の間で、一人肩身狭くして座っている女の子がいた。人形みたいに小さく、今時の女の子じゃないみたいに清楚な身なり。頬は桜色に染まっていて、少し茶色がかった髪はちょっと癖っ毛っぽい。今はどうしたら良いのか困惑しきって、眉を下げているけれど、絶対笑ったら可愛い子だ。
それに、周囲の人間みたいに参考書に目を通している訳でもない。
気が合いそう。素直に、そう思った。
気づけば僕は、スニーカーのつま先を彼女に向けていた。少しずつ、彼女に歩み寄っていく。
「ねえ」
でも、僕が声をかけるより先に、彼女の声が、ぴりぴりした車内に綺麗に響いた。僕も思わず足音を止めてしまい、彼女の真意を瞬時に理解する。
隣の車両に、移動しない? と。
僕は立ち上がった彼女が、もう一つ奥の車両へ消えていくのを見て、少し急ぎ足で奥の車両へ駆けていった。そのとき、周りの人間に軽く睨まれた気もしたけど、今となってはあまり気にならない。
「気づいてくれてありがとっ」
彼女はがらがらの優先席に、僕を手招いた。予想してたとおりに、かなり笑顔が可愛い。「いや、あんな車両にいたら一人浮いてただろ? 一人すげー肩身狭そうだった」
僕は苦笑して、バッグを床に落とし、彼女の隣に腰を下ろす。左肩から、女の子の匂いが漂ってきて、少し緊張してしまった。
「うんうんうん。わたしね、田舎から出てきたから周りの人たちが頭良さそうな人ばっかりで、声なんてかけられる状況じゃなかったの。隣の女の子は貞子みたいで怖いし、となりの男の子はスポーツマンっぽくて格好良かったけど病理学なんて本読んでるからその時点でどん引きしたし」
やたら饒舌だな、と僕は彼女に聞こえないように呟く。相当閉塞感を味わっていたのか、今まで閉じこもっていた言葉を一気に吐き出さんとの勢いだ。
「いやあ、僕もさ、隣の車両の人たちが、なんかリッチな感じだったんだよね。友達なんて誰もいないから、誰か絡みやすそうな人いないかな、って」
「え? じゃあわたしってナンパされたんじゃなかったの?」
自分から先導してこの車両に来て何がナンパだ、と僕は呟く。
「じゃあじゃあじゃあ、わたしが友達第一号?」
「うん、まあそんなところになるんじゃないかな。ていうかなってほしい」
僕は髪を掻いて何気ないように言うと、彼女は瞳をキラキラ輝かせて、僕の方を見てきた。なんだ、こいつ。素直すぎて、心情がすぐ表情に出てる。
「うっわー! もう友達できちゃった! しかも男の子でしょ? 故郷の男子は草食系が多かったから、すごく新鮮!」
きゃんかきゃんか、と彼女は周囲の視線を顧みずに、騒ぎ立てる。僕も彼女をどう沈めるか分からなくて、慌てふためいてしまう。周囲のセレブな老人達の目が痛い。一応僕もこの春から高校生だというのに、これじゃ中学生のノリとあまり変わらない。
「なあ、落ち着きなよ! 周りがジロジロ見てるよ」
僕は声を細くしていきながら、彼女の耳元に声を当てる。彼女はぴたり、と動きを制止させると、売れたさくらんぼみたいな頬を作って、座席に腰を落とした。むう、以外と可愛い。
「ご、ごめんね。わたし、テンションあがると収拾つかなくなるからさ」
彼女はぎこちない笑いを作って、沈みかかった声を出す。何だか本当に、テンションに波のある子だ、と思案した。見た目と中身が、すごくマッチした子だ。
電車が車体を傾けながら曲がり進むと、窓の先にプラットホームが見えた。市内中心部の駅の外観は、銀箔を埋め尽くした正体不明の工場みたいで、本当に自分が今ここに立っていることを信じることが出来ない。
本当に来たんだ。そんな実感が、僕の心を後押しする。
「わあ、凄いね」
感慨深そうに、彼女は窓の向こうの駅を向く。水色の空から降り注いでくる、白い太陽の光が、車内を照らした。高架線から町を見下ろせば、西洋風の屋根を据えた住宅が林立していて、意外と高層ビルは少ない。ソーラーパネルに反射した光を、全て駅が吸収しているような気がして、駅の壁はすでに白亜みたいだ。
「そうだ」
すると、彼女は僕の手を取って、にこりと笑う。不意を突かれて、僕の胸が飛び跳ねた。
「わたし、橘瑠衣。瑠衣、って呼んでくれていいよ。これからよろしくね」
彼女――瑠衣の表情が、陽光に照らされたとき、電車は減速していって、プラットホームに飲み込まれていった。
週一連載を目標に書いていきたいと思います。
よろしくお願いします。