↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

「お前のような地味な女との婚約は破棄する!」と宣言されたので、喜んでお受けしました。ところで殿下、王家の借金三億金貨はどなたが返済なさるのですか?

掲載日:2026/11/02

「お前のような地味な女との婚約は破棄する!」と宣言されたので、喜んでお受けしました。ところで殿下、王家の借金三億金貨はどなたが返済なさるのですか?


「エレノア・ヴァレンティア! 貴様との婚約を、今この場で破棄する!」


華やかな王宮の舞踏会場に、王太子アルベルトの声が響き渡った。


天井の巨大なシャンデリアが、磨き上げられた大理石の床に黄金色の光を落としている。


楽団の演奏が止まり、貴族たちの視線が一斉に私へ集まった。


「……婚約破棄、でございますか?」


「ああ! 貴様のような地味で可愛げのない女は、王太子妃にふさわしくない!」


殿下は隣に立つ金髪の令嬢を抱き寄せた。


「余が真に愛するのは、このリリアだ!」


「アルベルト様……!」


リリア嬢は頬を染め、殿下の胸に顔を埋める。


まあ、仲睦まじいこと。


私は扇子で口元を隠した。


「承知いたしました。婚約破棄をお受けいたします」


「……は?」


「長い間、お世話になりました」


私は優雅に一礼した。


すると殿下が、なぜか不機嫌そうに眉を吊り上げた。


「待て! それだけか!?」


「ほかに何か?」


「泣いて許しを請うのが普通だろう!」


「なぜです?」


「な、なぜだと!?」


私は首を傾げた。


「殿下がお望みになった婚約破棄ですもの。喜んでお受けするのが礼儀かと」


会場のあちこちから、押し殺した笑い声が漏れた。


殿下の顔が赤くなる。


「強がりおって! 貴様など、王太子妃の座を失えば何の価値もない!」


「そうかもしれませんね」


私は微笑んだ。


「ところで殿下。一つ確認してもよろしいでしょうか?」


「何だ!」


「王家が我がヴァレンティア公爵家から借りている三億金貨は、いつご返済いただけますか?」


「…………は?」


今度こそ、会場が静まり返った。


* * *


「さ、三億金貨だと!?」


殿下が素っ頓狂な声を上げた。


「何を馬鹿なことを! 王家が公爵家から借金などするものか!」


「なさっていますよ?」


私は侍女から一冊の帳簿を受け取った。


「五年前の大飢饉に際しての食糧購入費が一億金貨。三年前の北部復興費が八千万金貨。昨年の王宮改修費が一億二千万金貨。合計三億金貨です」


「そ、それは父上が……!」


「はい。国王陛下のご署名と王家の印章もございます」


私は帳簿を開き、殿下に差し出した。


「婚約期間中は返済を猶予する契約でしたが、婚約が解消されれば、猶予も終了いたします」


「聞いていないぞ!」


「婚約時にご説明いたしました」


「そんな昔のことなど覚えておらん!」


……でしょうね。


殿下は私が提出する財政報告書を、一度も読んでくださらなかった。


「それに、借金だけではございません」


「ま、まだあるのか!?」


「王宮に納めている食糧の七割は、我が公爵家の商会が手配しております」


私は指を一本立てた。


「近衛騎士団の装備費も、王立学院への助成金も、現在は公爵家が負担しております」


「そ、それがどうした!」


「婚約破棄に伴い、これらの支援も契約どおり終了いたします」


殿下の唇が震えた。


「な……何だと……?」


そのとき、リリア嬢が甘えるような声を上げた。


「アルベルト様! こんな女の脅しに負けないでください!」


「リリア……!」


「お金なんて、王家にはいくらでもあるのでしょう?」


私は思わず彼女を見た。


「リリア様。王国の年間税収がいくらか、ご存じですか?」


「え?」


「現在の国庫残高は?」


「そ、そんなこと、わたくしが知る必要ありませんわ!」


「そうですか」


私は帳簿を閉じた。


「では、今後の財政運営はお二人で頑張ってくださいませ」


「待て、エレノア!」


殿下が叫んだ。


「貴様は余の婚約者だったのだぞ! 少しは王家への忠誠心を示せ!」


胸の奥で、何かが静かに冷えた。


五年間。


私は毎朝、夜明け前に起きて帳簿を確認した。


飢饉の村へ食糧を届け、寒さに震える子供たちのために毛布を集めた。


殿下が舞踏会で笑っている間も、私は王宮の執務室で書類に向かっていた。


それでも、いつか努力を認めていただけると信じていた。


けれど。


「……忠誠心、ですか」


私は殿下を見つめた。


「私の五年間は、殿下にとって何だったのでしょう」


「な、何を……」


「雨の日も雪の日も、王家のために働いてまいりました。それでも私は、ただの地味で可愛げのない女だったのですね」


一瞬だけ、殿下が言葉を失った。


けれど、すぐに顔を背ける。


「そ、それが婚約者の務めだろう!」


「……そうですか」


不思議だった。


あれほど苦しかった胸が、今は少しも痛まない。


私は静かに微笑んだ。


「では、その務めも本日で終わりにいたします」


* * *


「何の騒ぎだ!」


重厚な扉が開き、国王陛下が姿を現した。


その背後には宰相と数人の重臣が続いている。


「父上! ちょうどよかった!」


殿下は嬉々として駆け寄った。


「エレノアが王家に借金を返せなどと、無礼な要求をしているのです!」


「……何?」


国王陛下の顔色が変わった。


「アルベルト。まさか、エレノアとの婚約を破棄したのか?」


「はい! 余は真実の愛を見つけました!」


「この、大馬鹿者がぁぁぁ!!」


雷鳴のような怒号が響いた。


パァンッ!


乾いた音とともに、殿下の頬が赤く染まる。


「ち、父上!?」


「貴様、自分が何をしたか分かっておるのか!」


国王陛下は怒りに震えていた。


「ヴァレンティア公爵家の支援がなければ、王家の財政は立ち行かぬのだぞ!」


「で、ですが、王家には税収が……!」


「今年の税収の大半は、すでに復興事業に充てられておる!」


「そ、そんな……!」


国王陛下は私に向き直った。


「エレノア嬢。どうか婚約破棄を撤回してくれぬか」


その声には、切実な響きがあった。


私は静かに頭を下げた。


「申し訳ございません、陛下」


「そこを何とか……!」


「私も五年間、王家を支えるために尽力してまいりました。ですが、もう限界です」


陛下は唇を噛み締めた。


「……そうか」


「ただし、国民に罪はございません。食糧供給と復興支援については、新たな契約を結ぶ用意がございます」


「本当か!」


「はい。適正な対価をお支払いいただけるのであれば」


私は微笑んだ。


「もちろん、王太子殿下の私的な浪費まで負担するつもりはございませんが」


その瞬間、宰相が一歩前に出た。


「陛下。実は、王太子殿下の支出についてもご報告がございます」


「何だ?」


「この半年で、リリア嬢への贈答品に二百万金貨が使われております」


「に、二百万!?」


陛下の顔が引きつった。


リリア嬢が慌てて叫ぶ。


「だ、だって! アルベルト様が何でも買ってくださるって!」


「余は王太子だぞ! それくらい当然だ!」


「当然なものかぁぁぁ!!」


再び怒号が響いた。


私はそっと一歩下がった。


……もう、私の出る幕ではなさそうね。


* * *


それから一か月後。


王太子アルベルトは、王位継承権を剥奪された。


国王陛下は王家の資産を整理し、借金の返済を開始した。


アルベルト元殿下は、地方の領地で財政管理を一から学び直すことになったらしい。


もちろん、自由に使えるお金などない。


リリア嬢は贅沢な暮らしができなくなると知るや、早々に婚約を解消して実家へ帰ったという。


……真実の愛とは、ずいぶん短いものなのね。


一方、私はというと。


「エレノア様! 今年の薔薇が咲きましたよ!」


侍女の声に、私は庭園へ出た。


朝露をまとった白薔薇が、柔らかな陽光を浴びて輝いている。


風が頬を撫で、甘い花の香りが漂った。


「……綺麗」


こんなふうに、ゆっくり花を眺めるのは何年ぶりだろう。


「エレノア」


振り返ると、そこには隣国の第二王子、レオンハルト殿下が立っていた。


以前から公爵家と交易の交渉を重ねてきた方だ。


「おはようございます、殿下」


「また仕事をしていたのか?」


「いいえ。今日はお休みです」


「それはよかった」


殿下は穏やかに笑った。


「君はいつも誰かのために働いている。たまには自分の幸せを優先してもいいんだ」


私は目を瞬かせた。


そんなことを言われたのは、初めてだった。


「……私の幸せ、ですか?」


「ああ」


殿下は一輪の白薔薇を差し出した。


「もしよければ、これからは私にも、その幸せを探す手伝いをさせてほしい」


胸の奥が、ふわりと温かくなった。


私は薔薇を受け取り、微笑んだ。


「では、まずは一緒にお茶でもいかがですか?」


「喜んで」


差し込む朝日が、白い花弁を優しく照らしていた。


もう、誰かに認めてもらうために無理をする必要はない。


私の人生は、私自身のものなのだから。


そして数か月後。


隣国から正式な求婚状が届くことになるのだけれど。


それはまた、別のお話。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。