第14話 怪人の目にも涙
「お兄さん、役所で働いてた人だよね?」
続けて放たれた言葉に、心臓が跳ねた――この女、俺のことを知っている!?
「……どこでそれを知った?」
「死亡者絡みの手続き情報って、あの役所だとけっこう漏れるからね 。定期的に通ってるんだ」
「何をチェックしていやがる」
思わず声が低くなった。いや、マジでなんでそんなのチェックしてんだ……。
――死亡者名簿。
いや、正確には死亡届に伴う住民異動や、関係手続きの案内情報、掲示される一部業務情報。一般人が勝手に何でも見られるものではない。だが、あの役場なら、窓口の運用や委託業者向けの手続きの隙間に、情報が漏れる余地はいくらでもある。なんせ書類を一般人が見れる場所に置いて雑談に興じてるときがある連中の職場だ。情報を売ることをライフハックとか言っていた腐った職員がいる町役場だぞ。
そして、この女は、その隙間を見つける側の人間だ。
「死んだ人が分かれば、そこから相続が発生するでしょ?」
「発想がもう嫌なんだが」
「で、そうなると清掃業務の仕事とか、割り込めたりするんだよね。お兄さんの家、きれいになってたでしょ?」
「おう……」
そういえば、祖父の家には生活の痕跡がほとんどなかった。俺は、役場か警察か誰かが最低限の処理をしたのだろうと思っていた。
だが、違う。
この女は、死亡者情報から相続発生を読み、清掃業者へ営業をかけていたのだ。しかも、ただ営業するだけではない。異形に押しつけられがちな特殊清掃まで自分で拾い、そこから相続関係者を洗い出し、さらに金に繋がるルートを見つける。
死亡、相続、清掃、不用品処分、不動産、債務、遺品――そして、金。
こいつの頭の中では、それらが一本の線で繋がっている。
「お前、土地転がしとかやってないよな?」
「宅建は持ってたよ?」
「持ってた?」
「ほら、免許の類いって色んな場面で使えるし、間に人を挟まなくて済むようになるし」
あ、やってるわこれ。というか、国家資格まで取ってるのかよ。イカれすぎだろ。まじもんの化け物じゃねえか――いや、待て。
「持ってた、って言ったか?」
「異形になると世知辛いよねー」
「おう……」
また社会の闇を見せつけられてしまった。あっけらかんと言うもんじゃねーぞ……。
資格そのものが即座に消えるわけではないとしても、登録、信用、実務、取引先、保証、名義。異形になれば、そこにいくらでも障害が出る。
こいつが異形になったことは、社会にとっての致命傷なんじゃないのか? 国にとっては大層な税金を納めてくれる納税者になってくれただろうに……いや、逆か。
これを自由にさせていたら大変なことになるから、社会が必死に重りをつけたのかもしれない。下手すると、国家転覆とかやりかねない気がする。
そう思ってしまうくらい、真白鐘々という女は金に関して危険だと感じさせた。
「で、お兄さんの家の倉庫にダンジョンがあるって話に戻るんだけど」
「戻るな。というか、断定するな」
「だって、あの魔石の流れと、お兄さんの相続と、あの家と、倉庫。繋げたらそうなるじゃん」
「普通は繋げないんだよ」
「普通じゃ稼げないよ?」
「そういうところだぞ」
俺は深く息を吐いた。ここで押し問答をしても無駄だ。
こいつはもう、かなりのところまで嗅ぎつけている。嘘を重ねれば重ねるほど、こいつの中で情報が整理されるだけだろう。
最悪なのは、鐘々が敵に回ること。
次に最悪なのは、鐘々が俺の知らないところで勝手に動くこと――なら、管理下に置くしかない。
いや、置けるかどうかは別として。
「……とりあえず、歩きながら話すぞ」
「家に連れてってくれるの?」
「言い方が悪い。誤解を招く」
「誰に?」
「通行人と、社会と、俺の心に」
「お兄さん、面倒くさいね」
「お前に言われたくない」
俺は祖父の家へ向かって歩き出した。鐘々は当たり前のように隣へ並ぶ。
距離が近い。
相変わらず、初対面から半日も経っていない相手の距離感ではない。だが、鐘々の視線はさっきまでと少し違っていた。
金の匂いを追う獣の目ではない。
いや、獣なのは変わらないのだが、少なくとも今は、何かを計算している目ではなかった。
最初にそれを感じたのは、古い空き店舗の前を通ったときだった。
錆びたシャッター。
剥がれかけた看板。
昔は小さな食堂か何かだったのだろう。入口脇には、使われなくなった食品サンプルのケースが残っている。中身はすでに空で、埃だけが積もっていた。
鐘々の足が、ほんの少しだけ緩んだ。
「どうした?」
「んー? 別に」
「別に、の顔じゃなかったぞ」
「お兄さん、女の顔色読むの下手そうなのに、こういうときだけ見てくるね」
「役場窓口で鍛えられたんだよ。相手が怒鳴る三秒前の顔だけは分かる」
「嫌なスキルだなー」
鐘々は笑った。
だが、目は空き店舗の方を向いていた。
やわらかい目だった――懐かしむような――少し痛むものを見るような。
俺は、それ以上は聞かなかった。
しばらく進むと、今度は古い掲示板の前で鐘々の視線が止まった。
町内会の掲示板だ。
色褪せた防犯ポスター、地域清掃の案内、期限切れの講習会チラシ。その端に、もうほとんど文字が読めなくなった異形者相談窓口のポスターが貼られていた。
鐘々は、それを見た。
……ただ見ただけだった。
だが、俺には分かった。
彼女はこの町を、金に繋がる情報の束としてだけ見ているわけではない。この道のどこかに、真白鐘々が異形として生き延びようとした頃の記憶が残っている。
「なに? あたしの横顔に惚れた?」
こちらの視線に気づいた鐘々が、いつもの軽さで言った。
「金の匂いがしない顔もできるものかと珍しくてな」
「ひどくない?」
「そういう生き物だと思っていた」
「お金を稼いでるだけなのに」
「その“だけ”の範囲が広すぎるんだよ」
彼女の口に軽口は戻る。だが、鐘々の声は、さきほどよりも、少しだけ低かった。
そのまま、俺たちは祖父の家へ着いた。
古い門に荒れ気味の庭。昭和レトロと呼べば聞こえはいいが、実態としては修繕の必要が山ほどある木造平屋。
俺にとっては、相続しただけのボロ家だ。
祖父の借金を背負わされ、ヤクザに目をつけられ、倉庫に未登録のダンジョンがあった、人生の厄ネタみたいな家である。
だが、鐘々は門の前で立ち止まった。
「……」
「鐘々?」
返事がない。
さっきまで軽口を叩いていた顔から、笑みが消えていた。
銀髪が西日を受けて、やけに眩しく見えた。
鐘々は家を見ている――その目が、少しずつ揺れた。
「おい」
「……うん」
「大丈夫か?」
「大丈夫」
全然大丈夫ではなかった。
褐色の頬を、ひとすじ、光るものが落ちた。
真白鐘々。
金を稼ぐことが生き甲斐の怪人。
相場を読み、死亡者情報から仕事を拾い、資格を取り、魔石を十万円に変え、他人の秘密へ笑顔で踏み込んでくる女。
その怪人が、祖父の家の前で泣いている。
俺は一瞬、何も言えなかった。
だが、すぐに現実が追いついてくる。
まずい。
異形の少女が、いや、見た目だけなら百億万点の褐色銀髪の美少女が、俺の家の前で泣いている。しかも隣にいるのは元役場職員の俺、現在無職。近所の人間に見られたら、面倒ごとが増える未来しかない。
「おい、とりあえず中に入れ。ここで泣くな」
「泣いてない」
「泣いてる」
「これは西日」
「便利な西日だな」
「うるさいなー」
鐘々は袖で雑に目元を拭った。それでも涙の跡は残っている。
俺は、彼女を急いで家の中へ入れた。
玄関を閉めた瞬間、外の光と視線が切れた気がした。
◇
家の中は、相変わらず物がない。
最低限運び込んだ荷物と、大学時代から使っている安いこたつ机。それから、押し入れから見つけたお菓子缶。
人が暮らしていた痕跡は薄い。
祖父がこの家で何を思っていたのか、俺にはまだほとんど分からない。
俺は鐘々を座らせるために、こたつ机の前を指した。
「座れ。茶はない」
「お水は?」
「水道水なら」
「じゃあ、それで」
「遠慮がないな」
「泣いたら喉乾くじゃん」
「西日じゃなかったのかよ」
鐘々は答えなかった。
俺は台所で水を汲み、コップを置いた。
鐘々は両手でそれを持ち、少しだけ飲んだ。
家の中に入ると、彼女の軽さは少し戻っていた。だが、完全には戻っていない。
視線が、部屋の隅をゆっくり見ている。
空っぽの押し入れ。
古い柱。
畳。
俺が知らない時間を探すように。
窓の外から、鳥の鳴き声が聞こえる。
「……爺さんを知ってたのか」
俺が聞くと、鐘々はコップを置いた。
「うん。知ってた」
「家をみた途端、ただごとじゃなかったからな……。関係性を聞いてもいいのか?」
「お世話になった」
「どういう意味だ?」
鐘々はしばらく黙った。
それから、こたつ机の木目を指でなぞるようにしながら口を開いた。
「網代のおじいちゃんはね、この町で異形になった人の面倒を見てたんだよ」
「爺さんが?」
「うん。大きな支援団体とか、役場の公式窓口とか、そういう立派なものじゃないよ。もっと小さいやつ。困った人が、困ったまま転がり込んでくる場所みたいな感じ」
俺は何も言えなかった。
祖父は、エルフになってから終わった。
仕事も信用も家族も失った。
灰島はそう言った。
だが、終わったはずの祖父は、この町で異形になった者たちの面倒を見ていたらしい。
「私だって、最初から異形を受け入れられたわけじゃないんだよ」
鐘々は、少しだけ笑った。
「異形になったばかりの頃は、おじいちゃんに色々教えてもらったんだ」
「爺さんが……?」
「世間でどう見られるか。どこへ行くと嫌な顔をされるか。どの窓口はまだ話を聞いてくれるか。どういう保証会社は避けた方がいいか。異形向け支援を名乗るところで、本当に近づいちゃ駄目なところはどこか」
鐘々は、指折り数えるように言った。
「あと、耳を隠す帽子の選び方とか、証明写真を撮るときに揉めにくい角度とか。病院で変な同意書を出されたときは、その場で署名しないこととか。親族が急に優しくなったら、まず財布と通帳を離すこととか」
「……」
「異形を珍しがる仕事に、すぐ飛びつかないこと。見た目を武器にするなら、値段を自分で決めること。困ったとき、今日食べるお金だけならどこで作れるか。逆に、絶対に近づいちゃいけない金融屋の名前」
鐘々は、少しだけ顔を伏せた。
「おじいちゃん、そういうの、けっこう知ってたんだよ」
胸の奥が、鈍く痛んだ。
俺の知らない祖父。
エルフになって、仕事も信用も家族も失ったと聞かされた祖父。
だが、その祖父は、ただ潰れて終わっただけではなかった。
自分が先に落ちた場所を、後から落ちてきた者へ教えていた。
「おじいちゃんは、優しい人っていうより、先に落ちた人だったんだと思う」
「先に落ちた?」
「うん。どこが滑るか知ってた。だから、後から落ちてきた人に、そこは踏むなと教えられた」
その言葉は、妙に重かった。
優しい人。善人。支援者。
そういう綺麗な言葉ではない。
先に落ちた人。
落ちたから、その痛みを知っている人。
俺の祖父は、そういう存在として鐘々の中に残っていた。
「祖父の借金のことも、知ってたのか」
「知ってた」
鐘々は短く答えた。
「私が異形向け金融に手を出したのは、半分は自分の失敗。そこはさっき言った通り。でも、もう半分は……おじいちゃんの方も、なんとかできるかもしれないと思ったから」
「お前が?」
「うん。私なら数字で何とかできるって思った。あの頃の私は、まだ自分のスコアを過信してたから」
鐘々は笑った。
けれど、その笑いは、今までのように軽くはなかった。
「高校卒業前に億まで増やしたんだよ? 異形になって、口座が凍って、信用がなくなっても、まだ何とかできるって思うじゃん。数字は嘘つかないって信じてたし」
「……」
「でも、失敗した」
鐘々は、コップの中の水を見た。
「異形向け金融ってさ、数字だけじゃないんだよ。人の弱いところを知ってる。家族を使う。住む場所を使う。今日食べるものを使う。病院とか、仕事とか、保証人とか、名前とか。数字の外側から、どんどん逃げ道を塞いでくる」
さっきまで「復讐はコスパ次第」と言っていた女の声ではなかった。
それでも、鐘々は泣き崩れたりはしない――ただ、静かに言う。
「おじいちゃんも、自分も、数字で救いきれなかった」
最悪な気分だった。
異形になった者の扱いは知っていた……。知っていたはずだ。
けれど、目の前の少女の口から聞くそれは、書類で見る相談記録よりずっと生々しかった。
そして、同時に一つ分かった。
鐘々は、ただ偶然俺に声をかけたわけではない。
異形向け金融に手を出しているなら、灰島たちと同じ界隈の情報に触れていてもおかしくない。祖父の債権。網代の家。倉庫の奥にあるらしい何か。そこへ、新人探索者が珍しい魔石を持ち込んだ。
真白鐘々にとって、俺は偶然見つけたカモではない。
自らの狩場に現れた、金の匂いがする、かなり怪しい獲物だったのだろう。
だが、それだけでもなかった。
祖父の家。
祖父が守っていた倉庫。
祖父の血縁である俺。
それらが、鐘々の中に残っていた何かを引っ張り出したのだ。
「……それなら、素直に言ってくれればまだ信用できたぞ」
俺がそう言うと、鐘々は指先で頬を拭った。
家の前で涙を流していたくせに、次の瞬間には、もういつもの軽い笑みに戻っている。
「そこはほら、先にどれくらい使えるのか価値を示さないと」
「人の心はないようだ」
「あるよ。ちゃんとある。たぶん」
「たぶんで保険をかけるな」
俺は、深く息を吐いた。
とりあえず、こいつに今すぐ危険はない。少なくとも、俺を売るためだけに近づいてきたわけではない――いや、売る可能性がゼロとは言わない。
こいつは金の匂いに敏感すぎる。利害が変われば、平気でこちらを値踏みするだろう。
だが、悪人ではない。それは分かった。
祖父のことを知っている。祖父に世話になった。祖父の借金をどうにかしようとして失敗した――そして、俺の倉庫にダンジョンがあることまで嗅ぎつけた。
なら、もう中途半端に隠しても意味がない。
「それに、最初は話すつもりなかったから」
鐘々が、少しだけ視線を逸らして言った。
「なんか、話してるうちに隠せなくなっちゃったけど」
「そういうところは年相応で、俺は安心したよ」
「え、今まで何歳だと思ってたの?」
「金銭感覚だけなら七十代の地主」
「ひどくない?」
「高校卒業前に億稼いだ女へ向ける評価としては、かなり温情がある方だろ」
鐘々は、不満そうに唇を尖らせた。
その表情だけ見れば、普通の少女に見える。
いや、ダークエルフ化した外見を普通と呼ぶのは語弊があるかもしれないが、少なくとも、さっきまで語っていた億単位の金と異形金融と相続清掃コンボの怪物には見えない。
だが、その両方が真白鐘々なのだろう。
金を稼ぐことに異常なほど強い女。
異形として社会から弾かれた女。
祖父に世話になり、祖父を助けようとして失敗した女。
そして、今の俺に必要な女。
ならば、やることは一つだ。
「そうだな……雇ってやってもいい」
鐘々の耳が、ぴくりと動いた。
「ほんと?」
「ただし、まだ信用したわけじゃない。成功報酬。取り分は案件ごとに交渉。俺に黙って勝手な売買はするな。俺の家と倉庫の情報を他人に流したら契約終了。あと、違法行為は禁止だ」
「合法ギリギリは?」
「事前申請」
「却下されたら?」
「するな」
「じゃあ、却下されない申請を考えるね」
「入社前から規約の穴を探すな」
鐘々は楽しそうに笑った。
やはり、放っておくと危ない。
ものすごく危ない。
だが、その危なさ込みで、今の俺には必要だ。
「だが、その前に会わせたいやつがいる」
「会わせたい人?」
鐘々は首を傾げた。
「駆って、天涯孤独じゃないの?」
「やかましいわ」
「だって、死亡者名簿と相続情報を見る限り、近い親族ほとんど出てこなかったし」
「そういう情報から人の孤独を分析するな。心が削れる」
「ごめんごめん」
謝り方が軽い。だが、目は少しだけ真剣だった。
「で、誰? 借金取り? 弁護士? 隠し親族? それとも、倉庫の奥にいる何か?」
「最後のやつだ」
俺がそう言うと、鐘々の笑みが深くなった。
こいつはたぶん、最初からそれを期待していた。
俺はポケットの中の十万円を確かめた――重い。
だが、その重さよりも、これから見せるものの方がずっと危険だ。
「言っておくが、逃げるなら今のうちだぞ」
「逃げないよ」
鐘々は即答した。
「だって、そこにお金の匂いがするんでしょ?」
「たぶん、お前が思ってるよりずっと面倒な匂いだ」
「面倒な方が儲かるじゃん」
「その発想、本当に嫌いじゃないけど信用したくないな」
俺は立ち上がった。
目指すのは、庭の奥にある倉庫。
そして、倉庫の扉の向こう側にいる、迷宮核。
コアちゃんに、真白鐘々を会わせる。
その判断が正しいのかどうかは、まだ分からない。
だが、俺一人では金を作れない。
コアちゃん一人では人間社会の取引が分からない。
そして鐘々一人では、信用と名義と安全な場所が足りない。
三つの足りないものが、最悪の形で噛み合おうとしていた。




