当て馬側妃は早く引退して余生を謳歌したい
はてさて、我が国の名物夫婦について説明しよう。
うちの王子殿下と王子妃殿下は両思いなのに何故だかすれ違いまくっている。幼い頃からの間柄でどうしてここまで拗れるのはさておき、想い合っているのはお二人をよくよく見ていればわかる。
殿下は妃殿下を嫉妬させたいために当て馬を用意させることにした。あの方が立太子出来ていないのって夫婦仲のせいでしょ、多分。いや知らんけど。
カリスマ性はあるし、次期国王として将来性は抜群なくせして、何でそんなアホなことを考えるかな。ただ好きって言ってブチュってすればいいだけでしょ。それか妃にスケスケランジェリーでも着せて閨に一晩放り込めばいいでしょ?本人たちも側近たちも恋愛偏差値低すぎですか?幼子でももっとマシな恋愛するでしょうね。
ちなみにもう既に結婚して3年経過している。複雑な事情のせいで妃が年若かったために、まだ閨を共にしていなかったらしい。3年経っても子供が出来なかった例外を適用して側妃を召し上げるそうだ。共にしてないんだから出来るわけないじゃんと言えないのが封建社会の嫌なところである。
まあ?国の次期最高権力者の決め事なので、逆らえるはずもなく、捧げられた生贄がなんと私。毒を吐きたくなる気持ちも分かってほしい。
殿下のアホな、ごほん、高貴な考えで国の貴族のパワーバランスを崩すわけにはいかない。だから中立派の中で穏健で万が一があったとしてもどうにでも出来る我が家をお選びになった。
他人事なら何て不運と憐れむだけで済むものの、当事者となればふざけんなとしかいいようがない。
先の災害で赤字経営の我が家は断る術も持たず、膨大なお金と引き換えに私が売り払われた。父親にも母親にも泣かれた。いつもは気丈な弟にも泣かれた。そんな状況で泣けば悲惨だと分かっていたので一周回って冷静になった。きっと大丈夫と笑顔を貼り付けたが、全力で引きつっていたに違いない。初めて売り払われる家畜の気分を味わった。ブーブーとでも鳴けば満足だろうか?
この屑、いや、殿下は一瞥すらくれず次のように言い捨ててきやがりましたわ。
「お前のことを好きになることはない。妃殿下に迷惑を掛けるようなことがあれば分かってるな」
その時の私の気持ちわかるか?
(お前がやり出したことでしょう??屑が)
内心喚いたけれど顔にも口にも出せるわけがない。ここで約束を反故にされたら家族と領民が路頭に迷うことになってしまう。にっこり笑って「かしこまりました」と告げたら何故か怯んだ。
黄色い悲鳴を浴び過ぎて麻痺してるのか知らないけど誰も彼もお前を好きになるとは思うなよ。これ以上絡まれても面倒なのでわざとらしく言っておいた。
「殿下は私には高貴すぎますゆえ、私にはとてもとても(こちらこそてめえを相手取るつもりはねえよ)」
私の殺意の高さに気付いたのか、少し怯んだ殿下はあまり話しかけてこなくなった。それでも1週間に数度は部屋にやってくる。不機嫌を垂れ流すくらいなら、来るなと言いたい。切実に。
(いい年こいて不機嫌撒き散らして、機嫌取ってもらうとかモテないでしょう?あらいやだ、モテてるのは中身じゃなくて地位と顔なのね。納得!上手くいかないのはそういう所だと思いますわよ)
高貴な方過ぎて憧れたことすらないからどんな扱いをされてもいいのだけど。どんどん内心の口が悪くなるからうっかり表に出ないか心配になってくるわ。
そんな屑、もう屑でいいか。屑は妃殿下が見てる前だけでは仲良さそうなフリをしてくるから本当に信じられない。
周囲から殺意の高い視線に晒されて胃がキリキリしてくる。まあね、みんな妃殿下のこと大好きだからね。ちなみに私も大好きだったわ。こんな面倒に巻き込まれる前まではな。
胃薬には毎日お世話になっている。私がここに来て1番親しくしてるのは絶対胃薬だ。我が領が草花系が強くて本当に良かったと思う。
色々と危惧されるし、毒殺とか疑われても面倒だから薬系は持ち込まない方が賢明だ。私の家は領地が広く、小麦や米の主食はもちろん都市に近い特性を活かして野菜や花も多数出荷している。うちの一大産業だ。そのため観賞用として用いられるが良薬となる草花を持ち込み、私の宮の庭園に植えることもそこまで問題とはならなかった。
下を向きつつ、か弱い感じに「草花を心の慰めに致します」と言えば大体の者は同情してくれる。
もちろん、持ち込む草花のリストはチェックされたし、実際のものと照らし合わせる作業があったことは言うまでもない。大変面倒だけどこれをいい加減にすると後が恐ろしい。どんな難癖つけられるか分かったもんじゃないのでね。
いくつかは景観を損なうとか色々な理由で却下されたが、まあ良いことにしよう。あくまで保険だったのに、観賞用として持ち込んだそれを初日から口に含むことになるとは私も思わなかったわ。
麗しの妃殿下から塵芥を見るような視線をいただいたのには驚いた。麗しくて、努力家で、公明正大で、この世の褒め言葉は彼女のためにあると思っていたくらい素敵な人だった。密かに憧れていたから近くで眺められるだけでも嬉しかったのに。あなたも普通の人間だったんですね。好きな人に側室が出来たら、こんなにも人間らしくなるとは。もっと早く素直になるべきだったと思いますわ。そもそもその目隣の男に向けなさいよ。
麗しの女神が嫉妬に駆られる女豹になってしまったせいで、ここに来た唯一の楽しみである王子妃鑑賞が終わりを告げた。
まあいいわ。私には心のオアシスという名の庭があるから。元憧れの人の苦痛になってるのだから、出来るだけ姿を消さないと申し訳ない。という体で引きこもっている。
側室希望だった有力貴族からも嫌がらせが尽きない。女の子のキャッツファイトなんて可愛いものだって思い知ったわ。
何で普通に夜会で毒をもってくるわけ? 夜中に暗殺者が来るわけ? 未来の側室の座なんて熨斗を付けて投げつけてやりたいわ。そんなに良いもんじゃないわよ。
針の筵になると分かっていながら実家から侍女を連れて来る気にはなれなかった。全員置いてくるはずだったが、幼い頃からずっと一緒だったメアリだけは着いてくると言って聞かなかった。
しかしその日のうちに帰して正解だった。初日から暗殺者が来やがりましたので。次の日からうまく言いくるめて日中だけお願いした。さすがにコルセットは自分じゃ着けられないし、防犯対策にコルセットはないよりはマシだった。
城内の侍女は想像以上に信用できなかった。彼女らは初日からやらかしてくれました。
これ誰の指示?妃殿下?殿下?それとも他の勢力?
侍女としての仕事も出来ないし、散々私の人格を否定するような話ばかりしてきて面倒だったから、うっかり殺意を込めて睨みつけてしまった。あらうっかり、そうついうっかり。そしたら腰を抜かして霰もない姿になっていた。スカートにシミができている。まあそんな醜態を晒してしまえばもう来れないよね。
私の部屋に来たことは初日しかない。新しい者が来ないのでお給料はしっかり貰っちゃってるんだろうけど。部屋に居座られて面倒が起きることよりもマシと早めに割り切った。
あと一つ気になるのがドレスルームに掛けられているドレスだった。多種多様な数あるし、側妃の部屋にあるくらいだから生地の質もいいけれどどう見ても中古品。保存状態はいいけれど明らかに違う誰かのために仕立てられている。中には一度も着なかったのか、ほぼ新品のようなものもあるけれどデザインが1代は前のものだった。
(これってもしかして王妃様が王太子妃時代に着ていたものを持って来たんじゃ?)
実家から持って来たドレスよりはグレードが上なのでどうにかして着られるようにするしかない。このままサイズだけ直して着たとして窃盗の汚名を着せられることも十分あり得る。仕事はあるが激務というわけでもないし、まずはここから手を入れなくては。裁縫は淑女の嗜みってね。
おそらくドレスは手配済みってことになっているから新たにテーラーを呼べば、召し上げたばかりの側妃がさっそく豪遊を始めたとバッシングを受けることになるんでしょうよ。
そもそも王子妃に忖度してテーラーすら来ないことも考えられる。だって王室御用達のテーラーが側妃のお輿入れに際して一度も顔を見せないってあり得ない話よ。王子妃の時には山ほど仕立てたって噂になっていたもの。
私の予算を中抜きしつつ、嫌がらせも行うって言うダブルパンチよねえ。一応業務上横領ってことになるのだけど。はてさて鬼が出るか、蛇が出るか。しかるべき時までは放っておこう。
私には5年間婚約していた幼馴染がいた。しかし彼には嫁ぐと決まった時に哀れな顔をされた。
あなたねえ、私を連れて逃げてなんて言うつもりもないけどさ、その他人事感はなんなのよ。お互い恋愛感情はないから構わないけれど釈然とはしないわよね。
そのくせ、フリーになって婚約希望者が殺到しているらしい。全くおモテになって羨ましい限りよ。それなのに面倒くさがって、私を愛していたからしばらくはそっとしておいてほしいって言うなんて。悲恋の貴公子ってまた株上がってるらしいわ。
私は殿下を誑かした間女扱いなのに。素敵な殿方を捨てて権力をとったってなんじゃそりゃ。あの馬鹿外面は本当いいのよね。ただの面倒臭がりで、女嫌いなくせに。私がいなくなって、あいつ大丈夫なのかしら。目すら合わせられないのに。
私は自分の顔が嫌いだ。ひ弱そうで噛み付かないと思われるみたい。殿下が選んだのはそういう理由もあったんでしょうね。
切長の目の色気がある美人が好きな殿下が、こんなちんちくりん好きになるわけないもんね。つまり私は食指が動かない女で、御し易い女ってわけ。
幼馴染からすれば、顔詐欺だって言われるけれど私からしたらどうしようもない。それに信用できない相手に素で話す意味もわからない。
毒を盛られたってわかるわよ。だって、薬草の出荷を牛耳っているのどこの領地だと思っているわけ? うちの領よ?
うちの領は小さい頃からどの草がどこに効いてどの草が毒があるから触らないようにって教えられるの。学校では生薬や漢方の授業が当たり前にあるし、首都の医療系の授業はうちの領の授業を元にしているのだ。
見せしめのように呼ばれるお茶会で毒入りの茶をうっかりこぼすことにも慣れた。御令嬢の手に入る毒なら耐性があるから飲んでも問題はないけど、出来ることなら避けたいでしょう? トイレに籠ったりするのは嫌よ。吐くのも体力がいるのだ。時間の無駄。
寝てる時に暗殺者が来た時はもはやこれまでかと思ったけれど、幼馴染の家が騎士の名門の家だから幼い頃から稽古つけられていたのよね。
うちに嫁ぐなら身を守れないと困るって。主人が戦に出た時、上に立つのは妻の役目だから士気を上げる為の戦い方も学んだ。
暗殺者を全て排除することは不可能だけど気配を察知して最初の一太刀を交わすことは可能だ。反射神経は現当主の折り紙付きだから。
なんとか逃げて音を出せば、さすがに近衛が助けてくれる。部屋の中は騒動でぐちゃぐちゃになるけれども。
そもそも彼らが侵入前に気付いて処理できればこんな面倒なことはしないで済むのに。やる気ないのは分かるけどそもそも無能すぎない? 音が鳴らないと気付けない者たちを近衛に置いておいてこの国は大丈夫なの?
お飾りであれど、側妃だ。みすみす殺されるようなことはしない。さすがに。本当にやる気がないだけなのよね?実力不足じゃないわよね?それとと何らかの意図があると?面倒な香りしかしないわ。
一応側妃として予算は出ているので仕事もしている。ただ目立つ仕事をするとうるさい方が多いので、裏方ややりたくないだろう仕事をいただいている。以前晩餐会で他国の重鎮を歓待した際は大変面倒なことになったので。その場に通訳がいなかったのでその国の言葉を話せる人が私だけだったのだ。その方は大層喜んでくれて国王陛下にわざやざ帰宅後お礼の手紙を書いてくれたらしい。この国には素晴らしい妃がいるので、次代が楽しみですね、と余計なお言葉付きで。嫌味だとは思うが要らないお世話だった。
面倒なことこの上ない毎日に、うんざりする。王室の行事では王室専用のデッキに腰をかけて、無心にただ時が経つのを待つばかりだ。微笑んで時折り手を振れば全て解決する。
まあ心無いヤジなどは実害のない微風のような物なので無視一択である。
人間観察しかすることがないので、誰が誰を利用しようとしていて、誰が誰に好意を抱いているのか、殿上人のような感覚で眺めていた。
嫉妬も殺意も全て記憶しておく。そうでなければ自分の身も守れない。いちいち視線を投げるわけにはいかないので意図を組ませない顔の向きにも慣れたものだ。
短いようで長かった半年間。段々と殿下が来ることもなくなって来たので、殺意を押し隠しながらにっこりと圧力を掛けて来た甲斐があったわ。
そのせいか私は飽きて捨てられそうになっている女らしい。いい加減早く捨ててくれないかしら。
この意味の分からない間女状態が終わったら、早々に離縁してもらいたい。そうして田舎でのんびり暮らすんだ。莫大な慰謝料なんて言わないから細々と暮らせるだけのお金は貰いたいものだ。大したものはいただいた覚えはないが、支給品は国民の血税で賄われているから貰ってお金に換えるなんて出来るわけもない。
領地にいた時に薬師の免許は取ったけれど。それで生活できるかしら。いっそこの国を出て冒険者になるのもありかもしれない。
人並みに結婚に夢を見たりしたけれどもう二度と御免よね。こんなことになってしまったら普通の再婚なんて出来ないだろうし。
私は前世で何か悪いことでもしたのかしら。国でも滅ぼしたの?
体が強く、メンタルが強く、大抵どんなことでもへこたれないけどそれもこれも限度というものがある。慢性的な睡眠不足で、四面楚歌になって、気持ちが落ち込んで、とうとう落ちてしまったのだ。恋というものに。
とある夜のことだった。新月のため辺りは薄暗くまさに暗殺日和とでも言おうか。こういう日はかなり面倒なので、全力で気配を探ることになる。もう手慣れたものだった。
近づいて来たので意識を集中させていれば部屋に入る前に密かな殺意が途切れた。1人、2人、3人と同様に意識が刈り取られていく。無駄な動きなしでこなしていく気配に好奇心が疼いた。こんな強い方いたのかしら?
そっとカーテンを開けて覗いてみれば見事な体捌きに久しぶりに心が動いた。気持ちが高揚し、心拍が上がる。大胆なのに繊細で目が離せない。峰打ちではあるものの、美しい太刀捌き。この者強い。剣が手に吸い付いているような、剣の方に好まれているような。まさに剣聖と呼びたくなるような、お方だった。
敵が倒れてピンと張り詰めていた空気が緩む。ガラス越しで目が合った。その瞬間彼の姿は消える。残念。
その日から侵入者はいなくなった。たまに気配を察しても、滞りなく処理されていく。間に合う限りは窓に張り付き彼の動きに魅入られていた。
ああ、何て美しい動き。筋肉の動きに無駄がない。あの日から日常に色が戻った。
次の新月の夜はやけに敵が多かった。太刀筋に乱れはないが、少し疲れが見えた。一人で相対するには難しい位置取りだ。他の近衛は一体何をやっているの?
久しぶりに枕の下に潜ませてあった髪飾りを取り出した。ちなみにこれは実家から送られて来たものであるが、数ある中でもお気に入りだ。吹き矢を巧妙に細工して髪飾りにしてある。その矢にはうちの領地で開発されたが未発表の毒がしこんである。神経毒で麻痺はするが、致死量には及ばない。物騒ではあるが両親の愛の結晶である。
ベッドに膨らみを作りつつ、陰に身を潜める。針の部分を剥き出しにし、機を伺った。影が寝所に近付いて武器を振り降ろした。刺した瞬間少し油断が生まれる。そこを突いて息を吹き込めば敵は倒れた。痙攣が止んだのを確認してロープで縛りあげる。
何度か繰り返せば外が静かになった。おそらく全ての敵を倒したのではないと気付いたのか、慌てて彼が部屋に乗り込んできた。蓑虫状態になっている下手人に息を呑んだ。一方的に見知ってはいたが初めての邂逅だった。
「……初めまして?」
「あ、初めまして」
緊急事態で乗り込んでこられたが処理されていることに気付いたのだろう。最敬礼で謝られるのを止めて、椅子を勧める。固辞するのを無理に引き留めて私は満足していた。この機会を逃したくなかったのだ。今考えれば下手人が縛られたままその横でお茶をするなんて、意味が分からない状況だけれどその時はそれが最善だった。
明らかに普通の近衛ではないこの方に、この職に就いた経緯を聞いてみる。
「情けない話なのですが、行き倒れていたところを父君に助けていただきまして。何か恩返しをしたいと伝えたところ娘の騎士になってくれないかと依頼されました。騎士爵は持っていたので推薦を得て何とか近衛に滑り込んだ次第です」
納得した。両親は何とか護衛を手配すると言っていたが近衛に滑り込ませる実力のあるものは安くないし、そこら辺に転がっているわけもない。唯一の伝手だった婚約者も解消してしまっているし。まあこの方は転がっていた珍しい例だったけれど。うちの父はお人よしで騙されやすそうな見た目をしておきながら、人を見る目は確かだ。
強いことはなによりだけど、娘の元に送っても構わないと判断したのだろう。
「あの、一つ伺ってもよろしいですか?」
前のめりで頷いたせいか少し引かれてしまった。残念。佇まいを直せば、躊躇いながら口を開く。
「ここに来る前に近衛の勤務履歴を見ました。どう考えてもあれは、改竄ですよね? 全てあなたが処理していたのではありませんか?」
「そうですね。改竄ではあるかと思いますわ。でも私が全て倒したわけでもありません」
「この状況でも乗り込んでこない彼らが倒したと言うのですか?」
「今回はあなたがいたのでこのように対処しましたが、いつもは敢えて音を立てて知らせていたので」
「なぜそんな面倒なことを?」
あなたなら倒せるだろうという目で見られるがそれは買い被り過ぎである。まあここまで強い方に評価して貰えるなら踊り出しそうなくらい嬉しいけれど。
「だって困るじゃありませんか。近衛が機能していないとバレてしまえば、私の存在価値がないことの証明になります。彼らが動いている限り、周囲は殿下が私を守るつもりはあると判断してくれるのです。まあ全ての方がそう大人な対応をしてくださるわけではないのですけども」
「なるほど。確かに。差し支えなければもう一つ伺っても構いませんか?」
「ええ」
「時折り私が戦っているところを見ておられましたよね。あれは何故?」
「とても美しくて目が離せなくなってしまったのです」
「う、美しい?」
「無駄のない体遣い。しなやかな筋肉。大胆なのに繊細な剣技。手足の長さを絶大に生かした体術。どれをとっても一級品で、剣が振られるのを喜んでいるように見えておりました。このような強き方にお目見えが叶うとは剣を嗜んだものとしては至高の喜びで「ちょっと、ちょっと」」
「はい、何でございましょう」
まだ語り足りないのに止められてしまい、首を傾げれば呆れたような表情を浮かべた。それまでは感情の読めない顔だったので一気に親近感が芽生える。
「あんた、変な姫さんだな」
「ふふふ、剣聖のようなお方に褒められてしまいましたわ」
「褒めてねえ」
そろそろ片付けないとな、とぼやきながら蓑虫たちを抱えて出て行った。外で近衛が何やら騒ぐ声が聞こえる。動き始めるの今なのね。やはり仕事が出来なすぎる。その日から剣聖(仮)様は度々ファンサをしてくれるようになったのだった。
余談ではあるが、この日はときめき過ぎて眠れず装飾品の刀(実用品ではなく美術品)を振っていたら朝になってしまった。
そんなこんなで過ごしていれば私の宮の外が騒がしくなった。それにも気にすることなく過ごしていれば、王宮で大規模な晩餐会が開かれるから参加するようにと申し付けられた。それも知らせが来たのは1週間前だった。広間の名前を見る限りほぼ国内の貴族が集まるのではないかと予想が立つ。嫌がらせも極まって来たわね。
通常この広間で何らかの催し物が行われる際には最低2ヶ月は前に内示が出る。そうでないとドレスや装飾品が間に合わないし、遠方のものの準備が整わないからだ。
随分と暇をしていたし、ときめきも摂取出来ていたから、着ていけるドレスはいくつか完成している。宝飾品だけは実家に頼むしかないわね。
ドレスが被る心配はない。王妃様がシックな色のクラシカルタイプを好むことは分かりきっている。王子妃は派手な美人なので似合う色はビビッド系であるし、王子の色を纏うのであれば金かブルー系になる。私を意識して王子の色オンリーで来る可能性が高い。「私は愛されているのよ、あなたと違って」と。どうでもいいわ。
ちなみに私に似合うのはパステル系であるが、似合わないのに纏ってドレス色被せてくるようなことはしない。似合わないドレスを纏うって損だものね。パーソナルカラーって大事。
このような大きな催し物だと、王族の控え室に集まる必要がある。出来るものなら一番最後に行きたいが、そうしたものならネチネチ言われてしまうので一番最初に入って気配をできる限り消して待機する。私が召し上がられてから壁際の椅子が特等席である。
誰かが「まだ来ていないのか」と文句を言い、晩餐会を取り仕切るものが「あちらにいらっしゃいますよ」と伝えるのが様式美となっている。
ちなみに最初はきちんと誰かが入ってこられる度に立って挨拶をしていたのだけれど大抵無視をするか、始まるまでのサンドバッグになるかのどちらかだったのでずっと気配を消しておくことにしたのだ。口は災いの元ってね。
まあ王妃様と王子は王子妃のことが大好きだし、国王陛下は何か対応して王妃様に文句を言われたら面倒だから黙っているのだと思うけれど。
そうそう、うちのお騒がせ夫婦。どうやら和解したらしい。控え室でずっといちゃいちゃラブラブしていた。王妃様はそれを微笑ましげに眺めているが、ゲロ吐きたくなるくらいゲロ甘だ。最初は感情の見えなかった国王陛下も使用人も、段々嫌気が差し始めているようだった。
大広間から声が漏れてくる。大分賑わっているようだ。入場の合図が来たので、まず国王陛下と王妃様が入られて、王子と王子妃が続き、私は最後に一人で席に着くことになる。
エスコート必須の晩餐会で一人入場も慣れたものであった。また微風が至る所で巻き上がる。
王子と王子妃が立ち上がった。珍しい。砂糖まみれのお二人は見つめ合いながら中央へ向かう。そして、何やら宣言した。
「この度、王子妃が身籠った。このよき日を皆と共に祝いたい」
(なるほど〜。よかったね)
ところがどっこいこの浮かれポンチとんでもないことを暴露し始めた。
「ずっと我が最愛の妃は命を脅かされていた。側妃を虎視眈々と狙続ける者たちによるものだとは分かっていたが、巧妙で手が出せなかった。
そこで協力してくれたのが側妃である彼女だ。一年前に側妃して王宮に入り、我が妃を守り続けてくれた。それがこのめでたき話に繋がった。本当に感謝しても仕切れない」
王子も王子妃も感極まった目でこちらを見てくるが、何それ知らない。私お金で売られただけですが?
係のものに真ん中に向かうように案内されるが私何にも聞いてないんだけど?
今まで嘲笑を向けてきた者たちがが目の色を変えて見てくるのが気持ち悪い。係りのものに逆らっても仕方がないので、彼らの元へ向かった。
温かい拍手がこんなにも不快に感じられたことはなかった。
王子妃が握手を求めてくる。本当にありがとう、と。許可をしてないのに勝手に手を握られて、王子も微笑ましく眺めるだけだ。
アルカイックスマイルで対応しておけば、浮かれポンチはまた口を開く。
「彼女は側妃ではあるが、あくまで契約上のもの。妃としての役目は果たしていないため、感謝を込めてこの度縁を結ばせていただきたい」
このまま流されるのは御免だった。視線の端にいる幼馴染を見て、彼らの意図を悟った。なるほど、そういう約束だったわけね。
「私はどなたかに下賜されるということでよろしいでしょうか?」
「ああ。必要だったため側妃としたが、王子妃の彼女にも悪いし、生まれてくる子供たちにもよくないだろう。ぜひ薦めたいのが」
「私、嫁ぎたい方がおりますの」
無礼にならない程度に流れをぶった斬った。王子は一瞬止まったが、鷹揚に頷く。余裕があるのを見る限り、私の名指しするのが幼馴染だとでも思っているのか。
「なんでも聞こう、我々の恩人だからね」
言質はとったわよ。
「私はお金で召し上げられた側妃ではございましたが、そんな深い考えの元だったとは存じ上げませんでした。毎日侵入者に怯えて眠れなかった夜が浮かばれるというものです」
お前らの作戦なんか知らねえ。協力なんてした覚えはねえよ、と毒を含ませつつ表面上はにこやかに笑って見せる。少し空気が変化した。
「近衛の方も余りの多さに疲弊されたのか、部屋の中にも侵入される始末。そんな時に派遣された方がいらっしゃったのです。鬼神のような働きで、毎回守ってくださいました」
私はどんどん捲し立てる。毒を垂らしつつ、中断する暇を与えないように。
「ええ、勿論。誓って指一本も触れておりませんわ。ただ見惚れてしまったのです。ワイルドなのに繊細さも兼ね備えるその太刀筋に。
あれだけの侵入者を血痕一つ残さずに処理していくのですよ。もうときめかずにはいられませんでしたわ」
呆気に取られたお二人にふんわりと笑って見せる。この流れで純粋無垢な微笑みだ。両手を顔の前で合わせて見せる。幼馴染は気付いただろうな。慌てるのを横目に少し気分が良かった。
「私、ちょうどいいと思いましたの」
「何が?」
「だって私は殿下の深いお考えで召し上げられた側妃だったのに、他の者に心を惹かれた不忠者ですもの。下賜してくださるのならその者にお願い出来ませんか? 騎士爵を持った方なのですが」
「騎士爵だと!?」
ざわめきが広がっていく。あくまでうちの貴族の話であるが、近衛は貴族しかなれない。強さよりも純粋な血統を重要視している。勿論弱いわけではないが、国王騎士団の精鋭部隊と比べると見た目と血統重視と言わざるを得ない。
騎士爵は一代限りの爵位だ。つまり、私のこの言葉は複数の意味を持つ。私を利用した癖に大した警備も付けずに危険に身を晒させた王子。平民に力量で負けている近衛。王命を出すつもり満々の王子だからどの貴族でもよりどりみどりなのに敢えて平民上がりを望む側妃。
「ええ、余りにも眠れない日々が続いたことで両親が滑り込ませてくれたのですわ。幸運でございましたわ。あら、もしかして父は殿下からこの協力話を聞いていたのかしら?」
まさかそんなはずはないが惚けてみる。二の句が告げない彼にここぞとばかりに畳み掛ける。
「私は騎士爵をお持ちのロイド・メルロー様に嫁ぎたく思いますわ。誰でも構わないとおっしゃいましたものね?」
殿下の目は私と幼馴染とで揺れ動く。こんなはずじゃなかったと思っているのだろう。
幼馴染と密約があったのだろうが、なぜ一番の被害者の私が彼らの言う事を聞かなくてはならないのか。
みな王子の発言を待っているが、彼にはそんな余裕がなかった。王子妃もこの空気に気付いて戸惑っている。ここで取り仕切れるような妃であれば良かったのにね。
国王陛下は一瞬目を閉じた後、ゆっくり開いた。その目の色が今までの二人を見る目と違って見える。彼らはあくまでただの一王子に過ぎなかった。そこを分かっていなかったのかもしれない。
国王陛下の鶴の一声で、その場は整えられた。ただ全てが元に戻ったわけではなかった。
「ローランド、頼む。私に婚約者殿を貸してくれないか?」
「は?」
「アメリアが狙われているんだ。側室を狙っている複数の貴族が首謀者ということはわかっているんだが…用心深くて絞り込めていない」
「妃殿下に協力して貰えばいいだろう。うちのを巻き込むな」
「それが出来ていたらこんな情け無い相談はしていない」
「だから昔から言っていただろう。早く腹を割って話し合えと」
「分かってるよ! 今見に染みているところだ! だが、アメリアには対抗手段がない」
「だからうちのに身代わりになれって言うのか?」
「……悪いとは思っている。でも、レイチェル嬢は自分の身を守れるだろう? そして、お前は彼女を守る為の私兵が出せる。私が動いて仕舞えば作戦を知っていることがバレてしまう。王家から兵は出せないんだ」
悲痛な顔で手を握り締める殿下を見て俺はため息を吐いた。確かに俺の婚約者は強いし、何よりも強運の持ち主である。幼少期は父に一緒に稽古をつけてもらっていたし、今でも鍛錬は怠っていない。誘拐されても自分で抜け出して帰ってくるくらいには猛者である。そして、いつでも運が味方をしてくれる。
側から見た印象ではお淑やかで、妖精のように可愛らしくて、病弱に見えるらしい。本人は朝から剣を振り回し、腹に一物を抱える者に内心毒舌を吐きながら笑みを浮かべる余裕があり、口が悪い。
可愛らしい顔をしておきながら、可愛くないのが我が婚約者である。女が苦手な俺をガードしながら夜会に出てくれる頼もしい相方だ。
俺はなんだかんだでパートナーは彼女しかいないと思っているし、彼女も本音で話してくれるのは自分だけだと自負している。
殿下とは幼い頃からの仲だ。家臣としてではなく個人としても助けたい気持ちはある。しかし、あの子を貸し出すのは…躊躇する。
「王族の結婚式しかほとんど使われない、王都の大神殿を手配するから」
それも殿下からの一言で揺らいだ。それは幼い頃の彼女の夢だったから。あのステンドグラスの光の下で永遠を誓い合いたいと、はにかみながら話した姿を今でも覚えていた。
すぐさま彼女が知らないうちの影を数人ピックアップして任務をあてる。この影が王子の言葉で彼女ではなく妃殿下を守っていたと知ったのは全てが終わった後だった。
頬が少しこけ、青褪めた表情の彼女は珍しく俺に縋るような視線を向けた。それに応えたくとも、彼女をこんな目に合わせることを決めたのは自分だ。ふとすれば出しそうになる手を、懸命に抑えて表情を取り繕った。それが彼女にどんな風に見えていたのかも知らずに。
俺が抗わないことを悟った彼女は、スッと表情が抜け落ちる。それも一瞬のうちに変わり、妖精のような笑みを浮かべた。彼女の心情を隠すための仮面。自分に向けられたことは一度もなさったそれに、息を呑む。柔らかい笑顔で別れの挨拶をすると何の躊躇いもなく、踵を返した。
王室の行事で彼女を目にすることは何度もあった。本当に血の気が通っているのか分からないほど、青白い顔と変わらない表情は麗しい容貌と相まって人形のようだった。
目には感情が何も写っていない。伽藍堂のような瞳を見つめるしかできなかった。
俺は間違えたのだ。もし殿下の希望に従うのなら彼女と相談した上でやればよかった。妃殿下に憧れを持っていたから頼めば渋ったものの引き受けてくれたかもしれないのに。俺は彼女を陰謀から守ったつもりになって何一つ守れていなかったのだ。
結果から先に言えば、私の婚姻は無効となり王宮を出ることとなった。王家からの縁談の斡旋はとりあえず取りやめとなり、今後の縁は好きに結んで良いと国王陛下から直々にお言葉をいただいた。慰謝料を払うと言われ関わり合いが続くのが嫌で渋ったものの「ただより怖いものはない」と父から言われた。そこで本来貰うはずだった側妃としての予算を慰謝料としていただきたいと伝えれば希望通りになった。多過ぎて驚いたけれど。
あの日を思い返す。翌日国王陛下から呼び出された。初めて入る王の執務室には陛下と腹心しかいなかった。そこで私は丁重な謝罪を受けた。
「あの子たちを酷な立場に置いたのは元はと言えば私が体調を崩して国内が不安定になったせいであった。だから国内の結びつきが強くなるようにと幼いまま婚姻を結ばせた。あの当時はあれが最適解だった。だから甘く見ていたが、いつまで経ってもあれらは変わろうとしない。君には申し訳ないが、今回の出来事は立太子に値するかを評価する試験であった」
遠くを見つめながら思い返すように話していた陛下は私に視線を戻した。
「"愚息が君を側妃として召し上げる許可"を私が出したのは、君が妃としての力量と品格を有した娘だったからだ。アメリアをお飾りにして、君が政敵を排除する。きちんと契約として結びついているのであれば許容するつもりだった。
だがあれは何をした?君の良さを生かすこともせずにただ生贄にして、アメリアを守るだけに利用した。あの体たらくだ。どこを取っても片手落ち。あれでは立太子は出来ん」
予想以上の高評価だった。
「王太子妃、王妃となるには情勢に合わせた努力が必要だ。あの子は昔は適切な努力ができる娘だった。しかし努力が一辺倒なのだ。あれでは時世に着いてはいけない。あの頃と異なり年はかなり下だが、第二王子も第三王子もいる。今から教育をすれば間に合うだろう」
陛下は佇まいを正した。後ろの腹心もそれにならう。
「この度は大変申し訳なかった。こちらの手回しが遅れたせいで君を危険に晒し続けてしまった。この度の婚姻は離縁でもなく、解消でもなく、無効となるように教会と話はついてある。今後の噂も統制し、これ以上不利益を被ることのないように対策をさせて貰う」
誠意を持って頭を下げられた。慌てて止めようとするが視線で遮られる。
「かしこまりました。若輩者の私のために御心を尽くしていただきまして、感謝の念に堪えません。国王陛下にはこれまでと同じ忠誠を誓わせていただきたく存じます」
最上級の礼を持って返せば、眩しいとばかりに目を細められた。彼の眼には何が映っているのか。息子が王太子となり得た未来なのかもしれない。
「君を我が王家に迎え入れることが出来なかったのが残念でならない」
無事に実家に辿り着き、のんびりと過ごしていれば面会があった。
「俺を巻き込むつもりだったんだって?」
「悪かったとは思っていますわ。でも幼馴染と殿下の皮算用に気付いてしまったら、抗いたくなってしまって」
「だからって俺を上げるか?普通」
「だって咄嗟に思い付いた好みの殿方があなただったんですもの」
「へえへえ、好みの殿方が俺でしたかってはあ!?? 煽てたって何も出ねえぞ」
「本当の話ですけれども。だってあなたはあの王宮で信頼できましたもの」
私の本気を悟ったのだろう。面食らった後、呆れた顔をした。
「やっぱり変わった姫さんだな」
「もう姫でも何でもないですわ」
ふふふ、とお淑やかに笑った後表情を変える。大事なのは緩急だ。こういう方は押しに弱い。正気に戻る前に押して押していざとなれば押し倒すしかない。
「私、あなたをこれから口説いていくつもりなのですけども、覚悟はよろしくて?」
その数年後領内の教会で、とあるカップルの結婚式が行われた。領民は噂したまさに妖精と野獣の結婚だと。妖精の執念が成した結果だと知っているのは身内だけだった。
最初は好奇な目で見られていたものの妖精のあまりにも幸せそうな顔に、当てられてみんな笑顔になったそうな。




