第8話 私は森から出ません!
嵐の前の静けさ、と言うけれど。
私の森には、嵐が過ぎ去った後の、本当に穏やかな静寂が満ちていた。
「……平和ですね」
私はテラスで洗濯物を干しながら呟いた。
カイルが「家事手伝い(物理)」として、濡れたシーツを怪力で絞ってくれたおかげで、すぐに乾きそうだ。
三日前。
この場所で繰り広げられた「英雄vs元家族」の修羅場が嘘のようだ。
あの後、商人のベルナルド氏から急ぎの手紙が届いた。
『グリーンフィールド公爵家、王家への反逆および虚偽報告の罪で、全員拘束されました。領地は国が一時管理することになります』
あっけない幕切れだった。
父とロゼッタ、そしてエドワード王子は、王都へ逃げ帰った直後に待ち構えていた近衛兵に捕縛されたらしい。
「英雄カイルに剣を向けた」という事実は、彼らの言い訳をすべて封殺するのに十分すぎたのだ。
「……まあ、自業自得ですね」
私はシーツをパンパンと叩いて広げた。
彼らがどうなろうと知ったことではない。
問題は、これから私の生活がどうなるかだ。
カイルがいる以上、国はこの森を放置しないだろう。
必ず、次の手が来る。
**ザワッ……。**
不意に、庭の『探知草』たちが一斉にざわめいた。
それは警戒音ではない。
畏怖と、敬意。
植物たちが自ら茎を曲げ、道を譲っている。
(……誰?)
私は洗濯物をカゴに放り込み、振り返った。
森の小道を、一人の老紳士が歩いてきていた。
白髪をオールバックにし、整えられた口髭。
仕立ての良い狩猟服を着て、手にはステッキ。
一見すると、道に迷った裕福な貴族のご隠居だ。
けれど、私には分かった。
その体から溢れ出る魔力が、カイルに匹敵する――いいえ、それ以上に底知れない「太陽のような覇気」を放っていることに。
「……よい所だな」
老紳士はテラスの前で足を止め、深く息を吸い込んだ。
「空気が美味い。魔素の澱が一切ない。……王都の宮殿よりも、よほど空気が澄んでおる」
彼は私を見て、穏やかに微笑んだ。
「お嬢さん。ここが『英雄の隠れ家』かね?」
答える必要はなかった。
ログハウスの中から、顔色を失ったカイルが飛び出してきたからだ。
「へ、陛下……ッ!?」
カイルが直立不動になり、カカトを鳴らして敬礼した。
その額から、冷や汗が滝のように流れている。
あの最強の英雄が、蛇に睨まれたカエルのように縮こまっている。
(陛下……つまり)
このおじいちゃんが、オーレリア国王、レグルス・フォン・オーレリアその人か。
「カイルよ。休暇届など出した覚えはないぞ?」
「も、申し訳ありません! ですが、これにはっ……!」
「まあよい。堅苦しいのはナシだ。余はお忍びで来た。……今はただの、腰の痛い老人じゃよ」
国王陛下はステッキをつきながら、よっこらせとテラスの椅子に腰掛けた。
その動作は、激務に疲れた現代日本の中間管理職のようだった。
「お嬢さん。茶を一杯もらえるかな? ベルナルドの店で評判の、あの薬草茶を」
「……かしこまりました」
私はポットを持ってきた。
相手が王様だろうと、ここに来れば「客」だ。
私はいつものように、リラックス効果の高い『安眠レモンバーム(変種)』をカップに注いだ。
陛下は香りを楽しみ、一口すする。
ほう、と長い息が漏れた。
「……効くなぁ」
陛下の肩の力が抜けていく。
眉間の深い皺が、アイロンを掛けたように伸びていく。
「最近、頭痛が酷くての。カイルがいなくなってから、魔獣討伐の指揮やら、近隣諸国との折衝やら、全部余に回ってきおってな……。三日徹夜続きじゃった」
チラリ、と陛下がカイルを見る。
カイルが「ヒッ」と小さな悲鳴を上げて縮こまった。
なるほど。
王様自ら来た理由は、部下の職場放棄による業務過多の恨み言を言いに来たのと、単純に癒やされたかったからか。
「して、カイルよ。王都へ戻る気になったか?」
「……いえ」
カイルは青ざめた顔で、けれどきっぱりと首を横に振った。
「俺は戻りません。戻ればまた、魔力過敏の発作で死にかけます。……ここ以外では、俺はまともに息もできないのです」
「ふむ。……困ったのう」
陛下はカップを置き、私の方を向いた。
その瞳は穏やかだが、国を背負う者特有の、鋭い知性が宿っていた。
「ならば、そなたが来るか? フローラ・グリーンフィールド。そなたが王城に住み、植物を管理すれば、カイルも働ける。公爵家の処遇も見直してやれるぞ」
「お断りします」
私は即答した。
間髪入れない拒絶に、カイルと陛下が目を丸くする。
「私はもう、貴族社会のこまごまとしたしきたりや、理不尽な評価に振り回されるのは御免です。誰かの顔色を窺って生きるのは辞めました」
私は胸を張って宣言した。
「私はここで、太陽とともに起き、土をいじり、美味しいご飯を食べて眠る。この生活を捨てる気はありません。たとえ王命でも、です」
静寂。
カイルがハラハラと私と王様を見比べている。
不敬罪で首が飛ぶか?
いや、もしそうなれば、カイルが国を敵に回してでも私を守るだろう。
陛下は――楽しそうに笑った。
「はっはっは! よい! 実によい!」
陛下は膝を叩いた。
「息子を振ったと聞いておったが、なるほど、これほど芯のある娘だったとはな。……あの見る目がない馬鹿息子には勿体ないわ」
陛下はスッと表情を引き締めた。
ここからは、王としての交渉だ。
「では、こうしよう。この森を『王家直轄の特別自治区』とする」
「……自治区、ですか?」
「うむ。グリーンフィールド公爵領からは切り離す。そなたをこの地の領主とし、一切の納税と貴族の義務を免除しよう。誰からの干渉も受けぬ、そなただけの楽園だ」
破格の条件だ。
けれど、タダなわけがない。
「対価はなんでしょうか?」
「二つある。一つは、あの薬草(聖霊草)を定期的に王家へ納品すること。……もう一つは」
陛下はチラリと、庭に吊るしてあるハンモックを見た。
「余が疲れた時、ここへ『お昼寝』に来ることを許可せよ。……王城は息が詰まってかなわん」
私は呆気にとられた。
カイルも口をぽかんと開けている。
要するに、王様公認の別荘地になれということか。
「……それと、カイル。貴様はここで『在宅勤務』とせよ」
「は、はい?」
「森の警備をしつつ、緊急時のみ現場へ急行せよ。これを使え」
陛下は懐から、青く輝く宝石を取り出し、カイルに投げ渡した。
「王家秘蔵の『転移の宝珠』だ。魔力消費は激しいが、一瞬で王城とここを行き来できる。……通勤時間ゼロだ、よかったな?」
「あ、ありがとうございます!! 一生ついていきます陛下!!」
カイルが地面に頭を擦り付けんばかりに平伏した。
王城に行かなくていい。
ずっとこの森で、私と一緒にいられる。
それでいて、職も失わない(=給料が出る)。
彼にとっては夢のような待遇だ。
私はため息をつきつつ、計算した。
王家がバックにつけば、もう公爵家や他の貴族に脅かされることはない。
薬草を渡すだけで、この平穏が法的に保証されるなら、安いものだ。
それに、たまに疲れたおじいちゃん(国王)の愚痴を聞くくらいなら、お茶飲み友達として悪くない。
「分かりました。その条件、飲みましょう」
私が手を差し出すと、陛下はガッチリと握手に応じた。
「交渉成立じゃな。……よし、では早速」
陛下は立ち上がると、スタスタと庭のハンモックへ向かった。
そして、慣れた手つきでゴロンと横になった。
「あぁ……これはいい。カイルが帰りたがらない理由が分かったわい……」
数秒後。
ズゴー、と豪快なイビキが聞こえてきた。
「……寝た」
「……寝たな」
私とカイルは顔を見合わせた。
護衛の隠密たちも、森の陰で「陛下が寝たぞ!」「警戒レベル最大!」「起こすなよ絶対だぞ!」と慌てふためいている気配がする。
(ま、いいか)
私は空になったティーカップを片付けた。
こうして、私の森は晴れて「独立国」となり、最強の用心棒に加え、最高権力者の常連客まで手に入れたのだった。
陛下が目を覚ましたのは夕方だった。
すっきりした顔で起きた彼は、帰り際に、ふと思い出したように言った。
「ああ、そうじゃ。フローラ嬢。近々、王都でグリーンフィールド家の公聴会(裁判)を開く」
「……はい」
「奴らはまだ、お前が土に呪いをかけたと喚いておる。……すまんが一度だけ王都へ来て、奴らに『現実』を突きつけてやってくれんか? それで全て終わる」
「……承知いたしました」
私は頷いた。
逃げるつもりはない。
これは、私が新しい人生を胸を張って生きるための、最後の掃除だ。




