第7話 再会と拒絶
月明かりが照らす森の広場。
私のログハウスの前は、ちょっとしたパーティー会場のような賑わいを見せていた。
ただし、招待客は全員、殺気立っているけれど。
「――包囲完了。動くな」
闇に溶け込むような黒装束の集団。
王家直属の隠密部隊『影鴉』だ。
彼らは音もなく木々の上に展開し、無機質な仮面の奥から私たちを見下ろしている。
対して、地上。
森の入り口側を陣取っているのは、豪奢だが泥だらけの衣装をまとった集団だ。
「見つけたぞ! フローラ! こんな場所に隠れていたのか!」
聞き覚えのある、神経質な怒鳴り声。
松明の明かりに照らし出されたのは、げっそりと頬のこけた中年男性――父、グリーンフィールド公爵だった。
その横には、泥でドレスの裾を汚した妹のロゼッタ。
そして、苛立ちを隠そうともしない元婚約者、エドワード第二王子の姿もあった。
「……お久しぶりですね、皆様」
私はテラスに立ち、優雅にカーテシー(礼)をして見せた。
手には、淹れたての「特製ブレンド茶」の入ったポットを持っている。
「何の御用でしょうか? ここは魔素濃度の高い危険地帯ですよ」
「白々しいことを言うな!」
父が叫んだ。
「王都で噂になっている『聖霊草』の出処がここだと判明している! 貴様、公爵家の資産である魔法を勝手に持ち出し、商人と結託して不当な利益を得ているそうだな!」
「不当? 私は家を追放されましたが」
「勘当は取り消す! 今すぐその薬草の栽培法と、これまでの利益をすべて家に納めろ! そうすれば、再び屋敷に置いてやらんこともない!」
父の目は血走っていた。
領地の経営破綻、食糧難、そして王都での立場悪化。
彼をここまで追い詰めたのは、金と名誉への執着だ。
「お姉様、酷いわ!」
続いて、ロゼッタが甲高い声を上げた。
「お姉様がいなくなってから、お花が全部枯れちゃったのよ! 私の魔法に嫉妬して、土に呪いをかけたんでしょう!? 謝ってよ! あと、お腹すいたから何か食べさせて! お肉がいいわ!」
「フローラ」
最後に、エドワード王子が一歩前に出た。
彼は努めて「王子らしい」慈悲深い表情を作っているが、その目は私の背後――ログハウスの豊かな貯蔵庫に向けられていた。
「君が反省しているなら、僕は許そうと思う。婚約破棄を撤回し、側室として迎えてあげてもいい。……だから、その『奇跡の薬草』を僕の名義で王家に献上しなさい。そうすれば、僕の評価も回復する」
……なるほど。
三者三様、言いたい放題だ。
彼らは理解していない。自分たちが今、どれほど「惨め」に見えているかを。
私はポットの蓋を開けた。
湯気とともに、強烈な苦味を含んだ香りが漂う。
今日のお茶は『センブリ草』の変種。胃薬になるが、味は泥水より酷い「罰ゲーム茶」だ。
「お帰りください」
私は笑顔で告げた。
「私はもう、グリーンフィールド家の人間ではありません。婚約も破棄されました。今の私は、この森で静かに暮らす一介の管理人です」
「なっ……親の命令が聞けんのか!」
「生意気よ! 無能な雑草女のくせに!」
父とロゼッタが激昂する。
父が背後の私兵たちに合図を送った。
「捕らえろ! 抵抗するなら手足を折っても構わん! 薬草の場所を吐かせろ!」
「ついでに、そこの薄汚い男も殺しておけ! フローラの不貞相手だろう!」
エドワード王子が、私の後ろに控えていたカイルを指差した。
カイルは今まで、気配を消して柱の陰に立っていた。
ボサボサの髪、使い古した服。
確かに今の彼は、ただの「使用人」にしか見えないだろう。
ジャリッ、と私兵たちが剣を抜いて踏み込んでくる。
頭上の『影鴉』たちも、一斉に殺気を放った。
(……はぁ)
私はため息をつき、一歩下がった。
私の仕事はここまで。
ここから先は、「警備担当」の出番だ。
「カイル様。お願いします」
「ああ」
短く答えて。
カイルが、一歩前に出た。
**ドォンッ!!**
空気が爆ぜた。
魔法ではない。
ただ、彼が「殺気」を解放しただけだ。
それだけで、踏み込もうとした私兵たちが、見えない壁に弾かれたように硬直した。
「ひっ……!?」
「な、なんだ、今の……体が動かん……」
馬が怯えて竿立ちになり、ロゼッタが尻餅をつく。
カイルはゆっくりと、邪魔な前髪をかき上げた。
月光が、その顔を鮮明に照らし出す。
鋭い蒼穹の瞳。
雷光を宿した銀の髪。
そして、国中の誰もが知る「最強」の威圧感。
「――俺の主に剣を向けるとは。いい度胸だ」
低く、地を這うような声。
その場にいた全員の喉が、ヒュッと鳴った。
「シ、シルヴェスター……公爵……!?」
父が裏返った声を上げた。
エドワード王子が、幽霊でも見たように後ずさる。
「カ、カイル……騎士団長!? なぜ、こんな所に……!? 行方不明だったはずでは!?」
行方不明の英雄。
国の最高戦力。
それが、まさか「雑草女」の護衛をしているなど、誰が想像しただろうか。
カイルは腰の剣を――抜かなかった。
抜く価値もないとばかりに、鞘で地面をトン、と叩く。
「失せろ」
たった一言。
だが、それは王命よりも重い宣告だった。
「彼女は今、俺の保護下にある。彼女の土地に踏み入ること、彼女の所有物を奪おうとすること。その全てを、このカイル・フォン・シルヴェスターへの宣戦布告とみなす」
「な、馬鹿な……! そいつは罪人だぞ!?」
王子が叫んだ。
さらに、木々の上にいる隠密たちに向かって命令する。
「おい、影鴉! 僕はこの国の第二王子だぞ! 反逆者カイルと、その女を捕らえろ! 命令だ!」
しかし。
影鴉たちはピクリとも動かなかった。
当然だ。彼らは国王直属の部隊。王子の命令権などない。
さらに言えば――。
カイルが視線を頭上の木々に向けた。
「おい、影鴉。俺の顔を忘れたわけじゃないよな?」
「……ハッ!!」
隠密の一人が、音もなく降り立ち、カイルの前で膝をついた。
隊長格の男だ。仮面の下から、畏怖と歓喜の混じった声が漏れる。
「教官……! いえ、閣下! ご無事で……!」
「話は後だ。この不法侵入者どもを王都へ叩き返せ。そして陛下に伝えろ。『俺は休暇中だ。これ以上邪魔をするなら、引退してこの森に永住する』とな」
「り、了解いたしました!」
隠密隊長はバッと敬礼すると、公爵たちに向き直った。
今度は彼らが、公爵たちを排除する番だ。
「グリーンフィールド公爵、ならびにエドワード殿下。直ちに退去を。これ以上はシルヴェスター閣下への反逆、ひいては国家の損失となります」
「ま、待て! 我々は被害者だぞ!?」
「いやだ、帰りたくない! お腹すいたぁ!」
わめく父と妹。
しかし、歴戦の隠密たちと、英雄の殺気の前では無力だった。
彼らはジリジリと後退し、やがて捨て台詞を残して逃げ出した。
「覚えてろ! このまま済むと思うなよ!」
「フローラ! 後悔させてやるからな!」
……後悔?
泥だらけで逃げ帰る彼らの背中を見ながら、私は首をかしげた。
「後悔なんて、一度もしたことありませんけど」
ザバァッ。
私はポットの中身――冷めかけた激苦茶を、地面に捨てた。
雑草がじゅわっと音を立てる。
それはまるで、過去との決別を告げる音のようだった。
嵐が去った後。
広場には静寂が戻った。
隠密たちも、「陛下への報告がありますので」と言い残し、カイルに大量の保存食(カイルの好物のジャーキー)を置いて撤収していった。
「……ふぅ」
「助かりました、カイル様」
「礼には及ばない。……俺の安眠を守っただけだ」
カイルは剣を鞘に収め直し、私を振り返った。
その表情は、さっきまでの修羅のような顔ではなく、いつもの「不器用な同居人」のものに戻っていた。
「それに……君を連れて行こうとする奴がいるなら、俺が許さない」
「え?」
「君がいないと、飯が不味い」
カイルはぶっきらぼうに言って、そっぽを向いた。
耳が少し赤い。
なんて分かりにくいデレなのだろう。
私はクスリと笑った。
「そうですか。では、夜食にしましょうか。今日は特製のオニオングラタンスープですよ」
「……最高だ」
私たちは並んでログハウスへ戻った。
森の外では、公爵家の完全な破滅と、王宮での大騒動が始まろうとしている。
けれど、このログハウスの中だけは、温かいスープの香りと、穏やかな時間が流れていた。




