第5話 迷い込んだ商人と「奇跡の薬草」
「……由々しき事態です」
ログハウスのキッチンで、私は空っぽになった瓶を見つめて呟いた。
塩がない。
砂糖もない。
胡椒などのスパイス類も、底を尽きかけている。
森での生活は快適だ。
住居は最高、野菜は豊作、カイルが狩ってくる肉もある。
けれど、調味料だけは魔法で生み出せない。
素材の味を楽しむのも限界がある。
昨日の鹿肉のステーキも、正直なところ、醤油か岩塩が欲しかった。
「カイル様」
「どうした、敵襲か?」
テラスで剣の手入れをしていたカイルが、瞬時に臨戦態勢をとる。
過剰反応だ。
「違います。お塩が切れました」
「……それは、敵襲より重大だな」
カイルが真顔で頷く。
彼も私の料理の虜になっている一人だ。味付けの危機は、彼にとっても死活問題らしい。
「森の外へ買い出しに行くしかありませんが……私が外に出れば、公爵家に見つかるリスクがあります」
「俺が行く。……と言いたいが、俺も顔が割れている。王都に行けば即座に連れ戻されるだろう」
二人してため息をつく。
引きこもり生活の弊害が、こんな形で現れるとは。
その時だった。
ピクリ、とカイルの耳が動いた。
彼の纏う空気が、一瞬で氷のように冷たく鋭くなる。
「……客だ」
「え?」
「森の入り口付近。魔獣に追われている人間がいる。……三人、いや四人か」
カイルは立ち上がり、テラスの手すりに足をかけた。
「処理してくる」
「待ってください! 助けてあげてください!」
「……チッ。分かった」
カイルは短く舌打ちすると(人命救助より私とのティータイムが中断されたことが不満らしい)、風のように姿を消した。
◇
十分後。
カイルが戻ってきた。
その肩には、小太りの男性が米袋のように担がれている。
「一匹だけ拾ってきた。残りの護衛たちは森の外へ逃げていったぞ」
カイルは無造作に男性をテラスに降ろした。
上質な絹の服を着た、商人風の男だ。
足首を挫いているらしく、青ざめた顔で震えている。
「あ、あ、ありがとうございました……! 助かりました、あなたはまさか、英雄カイ――」
「黙れ」
商人が名前を呼びかけた瞬間、カイルが切っ先を突きつけた。
商人の喉元寸前で、刃が止まる。
「俺はただの森の管理人だ。……いいな?」
カイルの瞳孔が開いた獣のような瞳に射抜かれ、商人は「ひっ」と息を呑んだ。
さすがは大商人。瞬時に状況を察したらしい。
「は、はいぃっ! 名もなき森の管理人様! 存じておりますとも!」
「……物分かりが良くて助かる」
カイルは剣を収めた。
私はあきれつつ、商人の前へ進み出た。
「怪我をされていますね。すぐに手当てします」
私は足元のプランターから『再生アロエ』の葉を千切り、手の中で魔力を込めた。
ブワッと緑の光が溢れ、硬い葉が一瞬で透明な薬用ゲルに変化する。
それを商人の腫れ上がった足首に塗る。
「えっ……!?」
商人が目を見開いた。
ズキズキと痛んでいたはずの患部が、一瞬で熱を引いていく。
倍ほどに腫れていた足首が、見る見るうちに元の太さに戻っていった。
「こ、これは……痛みがない。軍用の最高級ポーションより早い……!」
「私の特製湿布です。少し落ち着かれましたか? お茶をどうぞ」
私は淹れたてのハーブティーを差し出した。
緊張をほぐすための『鎮静カモミール』と、疲労回復の『活力ミント』のブレンドだ。
商人は恐縮しながらカップを受け取り、一口すする。
その瞬間。
カチャン、と彼の手が激しく震え、ソーサーが音を立てた。
「!?」
商人の目が、今にも飛び出しそうに見開かれている。
彼はカップの中身と、私の顔を交互に見た。
「こ、この香りは……まさか、いや、そんな馬鹿な……」
「お口に合いませんでしたか?」
「とんでもない!!」
商人が叫んだ。
「この高貴な香り! 飲んだ瞬間に体内の魔力が浄化されていく感覚! これは……伝説の『聖霊草』ではありませんか!?」
「せいれいそう?」
聞いたことのない名前だ。
私は首をかしげた。
「いえ、ただの雑草ですよ? そこの裏庭で育てている」
「ざ、雑草ぉ!?」
商人は泡を吹きそうな顔で裏庭を見た。
そこには、私が品種改良したハーブたちが青々と茂っている。
「信じられない……聖霊草は、数百年前に絶滅したはずの幻の薬草……。葉の一枚が金貨十枚で取引される代物ですよ!?」
(金貨十枚……?)
私はカップの中身を見た。
これ一杯で、お屋敷が建つ計算になる。
……まあ、私の魔力で変異させただけだから、原価はタダ同然だけれど。
商人の目が、計算高い「商売人」の色に変わった。
彼は居住まいを正し、私に向き直った。
「失礼しました。私はベルナルド商会の会頭、ベルナルドと申します。……お嬢様、いや、森の主様。折り入って商談がございます」
「商談、ですか?」
「はい。この薬草……いえ、雑草を、私に卸していただけないでしょうか!」
ベルナルド氏は鼻息荒く言った。
「もちろん、破格の条件を提示します。これがあれば、王都で蔓延り始めている奇病も、魔力欠乏症も治せる……!」
私は考えた。
お金はいらない。ここでお金を持っていても、使い道がないからだ。
けれど。
「お金はいりません。その代わり」
私はキッチンの方を指差した。
「塩と砂糖、それに香辛料やお酒。あと、小麦粉と調理器具。それらを持ってきていただけますか?」
「は……? それだけで、よろしいのですか?」
「ええ。あと、肌触りのいい布製品や本もあると嬉しいですね。どうでしょう、この薬草一袋と、それらの物資を交換というのは?」
私が乾燥させたハーブの袋(ゴミ袋サイズ)をドサリと置くと、ベルナルド氏は卒倒しそうになった。
「こ、交換!? これだけの量があれば、商会が三つ買えますよ!?」
「私にとっては、美味しい料理の方が価値がありますから」
私がにっこりと笑うと、ベルナルド氏は震える手で胸を押さえた。
良心の呵責に耐えかねたらしい。
「だ、駄目です! 商人として、そのような暴利を貪るわけにはいきません!」
彼は懐から羊皮紙を取り出し、猛スピードでペンを走らせた。
「こうしましょう! 今後、ベルナルド商会は、お客様のご希望の品を『一生涯、無料かつ最優先で』ここへお届けします! さらに、王都の最新情報も提供します! その対価として、この薬草の『独占販売権』をいただきたい!」
彼は必死だった。
独占権さえあれば、彼は国一番の商人になれる。そのためなら、私一人の食費など安いものだという計算だろう。
「……なるほど。Win-Winですね」
「はい! そして、この森のことも、お二人のことも、口が裂けても他言しません。私にとって、ここは金のなる木……いえ、聖域ですので!」
ベルナルド氏はカイルの方をチラリと見て、深く頭を下げた。
カイルも「悪くない」という顔で剣の柄から手を離す。
「成立ですね」
私が手を差し出すと、ベルナルド氏は恭しくその手を握った。
◇
数日後。
ベルナルド氏は約束通り、山のような物資を抱えて戻ってきた。
最高級の岩塩、精製された砂糖、香り高いスパイス、そして王族御用達のふかふかタオルまで。
「素晴らしい……これで食生活が劇的に向上します!」
私は塩の瓶を抱きしめて歓喜した。
ベルナルド氏もまた、薬草の詰まった袋を赤子のように抱きしめて泣いていた。
「これで商会は安泰だ……いや、歴史に名を残せる……」
こうして、奇妙な取引が成立した。
この「奇跡の薬草」が、やがて王都で爆発的な噂となり、王家の耳に入ることになるのだが――今の私は、今夜の夕食の味付けのことで頭がいっぱいだった。




