第4話 森のカフェ化
パリィンッ!
爽やかな朝の森に、硬質な音が響き渡った。
私は淹れたてのハーブティーを持ったまま、動きを止める。
恐る恐る、音の発生源――かまどの近くの水場――を振り返った。
そこには、銀髪の美丈夫が立ち尽くしていた。
その手には、木っ端微塵になった陶器の破片が握られている。
私が昨日、『耐熱粘土草』を焼いて作ったばかりの、お気に入りの深皿だったものだ。
「…………」
「…………」
沈黙。
カイルは青い目を泳がせ、それから真剣な顔で私を見た。
「……皿が、俺の殺気に反応して弾け飛んだ」
「嘘をおっしゃい」
私は深いため息をついた。
「カイル様。貴方、さては握力の加減ができないのですね?」
「……面目ない。魔獣の首をねじ切る感覚で、ついスポンジを握ってしまった」
「家事を討伐しないでください」
これで三枚目だ。
この男、カイル・フォン・シルヴェスター。
剣を振るえば一撃で巨大猪を解体し、魔法を放てば岩をも砕く超人だが、日常生活においては幼児並みの不器用さだった。
掃除をさせればホウキを折り、洗濯をさせればシャツを裂く。
唯一できるのは、「重いものを持つこと」と「壊すこと」だけ。
(執事として雇ったはずが、これじゃあ私が介護者じゃない)
私は割れた皿の破片を土に埋めた(土に還る素材で作っておいてよかった)。
大型犬のようにしょんぼりと肩を落とす巨漢を見上げる。
このままでは、私のストレスフリー生活が脅かされる。
適材適所。
人事配置の抜本的見直しが必要だ。
「カイル様。今後、繊細な家事は一切禁止です」
「なっ……! ま、待ってくれ! 俺をクビにしないでくれ! 城には戻りたくない! 書類仕事も夜会も御免だ!」
カイルが必死の形相で詰め寄ってくる。
よほど前の職場(おそらく騎士団)がブラックだったらしい。トラウマが見え隠れしている。
「クビにはしません。配置転換です。貴方のその無駄に有り余る筋力と、何でも切れるその魔剣。それを活かせる仕事をしてもらいます」
「……何でも、する」
「では、家を建てましょう」
◇
私の提案はシンプルだ。
いつまでも蔦のハンモックと野宿では、雨の日が辛い。
しっかりとした屋根と壁のある「ログハウス」が欲しい。
「材料は現地調達です。カイル様、あそこの杉の木を十本ほど、切り倒してください」
「分かった」
カイルは腰の剣を抜いた。
刀身に蒼い紋様が浮かぶ、見るからに業物だ。
ヒュンッ。
風を切る音がしたかと思うと、直径一メートルはある巨木が、音もなく倒れた。
切り口は鏡のように滑らかだ。大工道具のカンナでも、ここまで綺麗にはいかないだろう。
(……薪割りに使っていた時も思ったけれど、それ、国宝級の魔剣じゃないかしら)
ツッコむのはやめておく。
私は倒れた木に駆け寄り、手をかざした。
「『乾燥促進』」
私の【雑草魔法】――植物への干渉能力で、木材の中の水分を一瞬で抜く。
通常なら数ヶ月かかる乾燥工程が、三秒で完了した。
これで反りや割れの心配はない。
「次は加工ね。『蔦』、結合」
乾燥した丸太を並べ、強靭な蔦で結束する。
釘は一本も使わない。植物同士を融合させる接ぎ木のような技術で、丸太を組み上げていく。
カイルの怪力と精密な剣技、そして私の魔法。
この組み合わせは異常なほど相性が良かった。
重い丸太を彼が軽々と積み上げ、微調整が必要な箇所は剣でミリ単位に削り、私が瞬時に固定する。
基礎工事から壁の立ち上げまで、わずか半日。
「……出来た」
夕暮れ前。
私たちの目の前には、森に溶け込むような美しいログハウスが建っていた。
壁には断熱効果のある苔を蒸し、屋根には防水性のある巨大な葉を何層にも重ねてある。
入り口には、私が趣味で育てた花を飾ったプランターも置いた。
隠れ家というより、おしゃれな森のカフェだ。
「凄いな……」
カイルが呆然と呟く。
「城の建築魔導師でも、これほどの速度と精度では作れない。フローラ、君の魔法は一体どうなっているんだ?」
「ただの雑草いじりですよ。……さ、お茶にしましょう」
私は完成したばかりのテラス席に、木の椅子とテーブルを用意した。
今日のお茶は、森で採れたミントとレモングラスのフレッシュハーブティー。
お茶請けは、野苺のコンポートだ。
湯気が立ち上るカップを手に、椅子に深々と座る。
目の前には、夕日に染まる森の木々。
鳥の声。
そして、美味しいお茶。
「……ふぅ」
最高だ。
公爵邸の堅苦しいサロンで飲む最高級紅茶より、百倍美味しい。
カイルも向かいに座り、不器用な手つきでカップを持っている。
彼は一口飲むと、またしてもとろんとした顔になった。
「……あぁ、静かだ」
「ですね」
「この家も、いい匂いがする。木の香りと、君の魔力の匂いだ」
「魔力の匂い?」
「ああ。君の魔力は、日向ぼっこをした時の布団のような匂いがする。……俺の中の荒ぶる魔素が、鎮まっていくのを感じるんだ」
カイルはそう言って、恥ずかしげもなく目を細めた。
無自覚な殺し文句だ。
不覚にも少しドキッとしてしまい、私はハーブティーで誤魔化した。
「……ところで、カイル様」
「ん?」
「水汲み場からの眺めが良いのですが、少し見てきても?」
私は話題を変えるように立ち上がった。
◇
ログハウスの裏手、森の境界に近い高台。
そこからは、森の外の世界が見渡せる。
かつて私が住んでいた、グリーンフィールド公爵家の領地だ。
夕闇に沈む領地を見て、私は目を細めた。
(……やっぱり)
遠目に見える麦畑の色がおかしい。
収穫期にはまだ早いのに、全体的に黄色く変色し、萎れている。
視覚だけではない。
私の【雑草魔法】を通じて、風に乗ってくる「植物たちの悲鳴」が聞こえるのだ。
――水がない。
――栄養がない。
――土が死んでいく。
大地が泣いている。
妹のロゼッタは【花魔法】の使い手だ。彼女は派手な花を咲かせることはできても、土壌を管理することはできない。
いや、むしろ彼女の魔法は、土の中の養分を無理やり吸い上げて花に変える「搾取」の魔法だ。
これまでは、私が裏で地味に魔法を使い、土壌菌を活性化させ、養分を補給し続けていたから保てていた。
私が消えれば、当然こうなる。
地面は痩せ、作物は枯れ、いずれは草一本生えない荒れ地になるだろう。
「……ざまぁ、なんて。言う気にもならないわね」
胸に去来したのは、暗い喜びではなく、乾いた納得だった。
あの家の人たちは、誰も「根っこ」の大切さを知らなかった。
ただそれだけの話だ。
農民たちには同情するけれど、私にはもうどうすることもできない。
私は捨てられたのだから。
「フローラ?」
背後から声がかかる。
カイルが心配そうに私を覗き込んでいた。
「どうした? 難しい顔をして」
「いえ、何でもありません」
私は振り返り、ニッコリと笑った。
過去は振り返らない。
今の私には、守るべき快適な我が家と、手のかかる同居人がいるのだから。
「お腹が空きましたね。夕食はカイル様が獲ってきてくれた鹿肉のシチューにしましょうか」
「……! ああ、任せろ。薪ならいくらでも割る」
カイルの顔がパッと輝く。
単純で、扱いやすくて、助かる。
私は枯れゆく故郷に背を向け、温かい灯りの灯るログハウスへと歩き出した。
――その頃。
公爵家では「なぜ作物が育たないの!?」とロゼッタが癇癪を起こし、王宮では「騎士団長はどこだ!!」と国王が机を叩いていることなど、知る由もなく。




