第3話 英雄様、執事になる
「……おはようございます」
私が声をかけると、足元の「銀色の巨大ミノムシ」がビクリと震えた。
丸三日。
この男は、私が蔦でぐるぐる巻きにした状態で、一度も目を覚まさずに眠り続けていた。
排泄はどうするのかとヒヤヒヤしたが、どうやら極限の魔力欠乏と飢餓状態にあったらしく、身体機能が冬眠モードに入っていたようだ。
世話のかからない遭難者で助かった。
男はゆっくりとまぶたを持ち上げた。
鮮烈な青色の瞳が、ぼんやりと虚空を彷徨う。
そして、自分の身体が植物で拘束されていることに気づき――。
「……縛られているのか、俺は」
「ええ。寝相で畑を荒らされたら困りますので」
私が淡々と答えると、彼は「そうか」と短く呟いた。
怒らない。
暴れない。
ただ、信じられないものを見るような目で、森の風景を見つめている。
「……音が、しない」
彼は夢見心地で呟いた。
「耳鳴りが止んでいる。頭を万力で締め上げられるような痛みもない。……いつぶりだ? こんなに深く眠れたのは」
「それは重畳です。では、体調も良さそうですし、お引き取りください」
私は冷徹に告げた。
ここは私の楽園だ。
見ず知らずの男、しかも事情がありそうな騎士を置いておく理由がない。
私は指を鳴らし、彼を縛っていた蔦を解いた。
バラバラと蔦が崩れ落ちる。
男は身を起こし、凝り固まった肩を回した。
それだけで、空気がビリビリと震えるような威圧感が放たれる。
やはり、ただの騎士ではない。
(早く帰ってもらおう。面倒ごとの匂いしかしない)
私は彼が森の出口へ向かうのを待った。
しかし。
「断る」
男はその場にあぐらをかいて座り込み、地面に根を生やしたように動かなくなった。
まるで、散歩から帰りたくないと抵抗する大型犬だ。
「はい?」
「俺は帰らない。……いや、帰りたくない」
男は真顔だった。
整った顔立ちで、駄々っ子のようなことを言い出した。
「ここ以外の場所では、俺はまともに息もできない。頼む。ここに置いてくれ」
「無理です」
即答する。
「ここは私の私有地です(勝手に住んでいるだけだけど)。赤の他人と同居する趣味はありません。それに、貴方、食費がかかりそうです」
三日間寝ていたとはいえ、彼の腹の虫はさっきから盛大に鳴っている。
この巨体を維持するカロリーを、私の可愛い野菜たちで賄われてはたまらない。
「金ならある。いくらでも払う」
「ここは呪いの森ですよ? お金なんて紙屑です」
「地位や名誉はどうだ。俺の名を使えば、王都で――」
「興味ありません。社交界に戻るくらいなら、一生ここでキノコを食べていた方がマシです」
私は取り付く島もなく拒絶した。
男が言葉に詰まる。
眉間に深い皺を寄せ、何かを考え込むように沈黙した。
諦めただろうか。
そう思った瞬間、男がバッと立ち上がった。
凄い速さだった。
私が反応する間もなく、彼は茂みの向こうへと姿を消した。
「えっ、ちょっと!」
素直に帰ったの?
いや、武器(剣)は私が隠したままだ。手ぶらで森を歩くのは自殺行為だ。
私が追いかけようとした直後。
**バリバリバリッ!!**
空気が裂けるような轟音と、青白い閃光が森の奥で弾けた。
地面が揺れるほどの衝撃。
「きゃっ!? な、なに!?」
落雷?
違う、今の光は、地面から空へ向かって走っていた。あれは高位の攻撃魔法だ。
呆気にとられていると、茂みがガサガサと揺れる。
男が戻ってきた。
その肩には――巨大な猪が担がれていた。
しかも、程よく黒焦げになっている。
「……これを」
ドサッ、と男は猪を私の前に落とした。
香ばしい、焼けた肉の匂いが漂う。
「俺をここで雇ってくれ。力仕事なら何でもする。魔獣の討伐も、整地も、薪割りもだ。……食料は、俺が自分で調達する」
男は真剣な眼差しで私を見つめ、懇願した。
「君の食料も確保する。だから、頼む。……俺には、この『静寂』が必要なんだ」
私はゴクリと喉を鳴らした。
男の言葉にではない。
目の前の「肉」にだ。
森の生活は快適だが、唯一の欠点はタンパク源の不足だった。
豆類で代用しているが、やはり動物性タンパク質への渇望はある。
この男がいれば、肉が手に入る。
しかも、軍事用の雷魔法を一瞬で展開して狩ってくる戦闘力。
整地や力仕事を任せれば、私はもっと惰眠を貪れるのでは?
(……悪くない取引ね)
私は咳払いを一つして、努めて冷静な声を出した。
「……採用面接を行います。お名前は?」
「カイル。……カイル・フォン・シルヴェスターだ」
シルヴェスター?
公爵家と同じ家名だ。確か、「雷帝」と呼ばれる英雄を輩出した武門の名家。
けれど、目の前にいるのは泥だらけで薄汚れた野良騎士だ。
きっと分家の三男坊あたりで、家督争いに疲れて出奔でもしたのだろう。
「カイル様ですね。私はフローラ。ただの森の管理人です」
私は右手を差し出した。
「契約成立です。貴方を『使用人兼・食料調達係』として雇用します。報酬は『快適な寝床』。契約期間は、双方が飽きるまで。……異存は?」
「ない。感謝する、フローラ」
カイルは、まるで騎士の叙任式のように厳かに、私の手を取った。
ゴツゴツとした大きな手。
ひんやりとしていたが、握り返された温度は確かに温かかった。
◇
その日の夕食は、猪肉のステーキだった。
カイルが剣で見事に解体し、私が即席で作った『ハーブ岩塩』を振りかけ、強火で焼いただけの男料理だ。
「いただきます」
ナイフを入れると、肉汁がじゅわりと溢れる。
口に運ぶ。
野性味あふれる脂の甘みと、ハーブの香りが鼻に抜ける。
……美味しい。
久しぶりの肉の味に、涙が出そうだ。
向かいの切り株に座ったカイルも、黙々と肉を口に運んでいる。
彼は一口食べるごとに、目を丸くしていた。
「……美味い」
「素材が良いですから」
「いや、この付け合わせの葉だ。……噛むたびに、体内の魔力が回復していくのが分かる。君は、俺に何を食べさせているんだ?」
「ただの雑草ですよ。ちょっと私の魔力でおいしくしただけの」
カイルは信じられないものを見る目で、皿の上のルッコラ(変種)を見つめていた。
そして、全てを平らげると、彼は満足げに息を吐いた。
「久々に、腹が満たされた。……それに、眠い」
彼のまぶたが、とろんと落ちてくる。
食事をして、すぐに眠くなる。
それは生物として、最も無防備で、最も幸福な証拠だ。
「寝床はまだ一つしかありませんよ。貴方は地べたです」
「構わない。ここなら、泥の上でも王宮のベッドより快適だ……」
カイルは焚き火のそばに寝転がると、数秒もしないうちに寝息を立て始めた。
無防備すぎる。
私がその気になれば、寝首をかけるのに。
(ま、いいわ)
私は揺れる炎を見つめながら、ハーブティーをすすった。
一人だけの静寂も良かったけれど。
誰かの寝息を聞きながら飲むお茶も、悪くない。
こうして、元悪役令嬢と、謎の英雄騎士。
奇妙な同居生活が幕を開けた。
――彼が「家事能力ゼロ」のポンコツ使用人であり、明日から私の仕事が逆に倍増することに気づくのは、翌朝のことである。




