第20話 聖域の完成
眩い朝日が、新緑の葉の間から零れ落ちてきます。
数日前まで鉄の怪物が暴れていた境界線は、今や色とりどりの香草が咲き乱れ、かつてないほどに穏やかな風が吹き抜けています。
「……やっと、静かになりましたわね」
私は、大王蔦が差し出してくれた緑の寝台の上で、大きく背伸びをしました。
迷宮に囚われていた帝国の巨兵と兵たちは、マクシミリアン皇子の説得により、静かに武器を置きました。
彼らは三日の安眠から目覚めた際、憑き物が落ちたような清々しい顔で「もう戦いたくない」と口を揃えたそうです。
安らぎを知らぬ刃よりも、微睡みの幸福を知った魂の方が、遥かに強きものであるという証拠でしょう。
「フローラ様、朝の煎じ茶をお持ちしましたわ。本日の務めは……全て片付きました」
エルザさんが、一筋の乱れもない所作で盆を運んできました。
彼女は既に王宮へ戻ることを拒否し、この安息聖域の管理官として定住することを決めています。
彼女が事務の全てを引き受けてくれるおかげで、私の安らぎは、今や永遠に保障されようとしていました。
「陛下は、今日もいらっしゃいませんか?」
「カイル閣下が境界にて『王の怠慢は万死に値する』と、転移の光を片っ端から雷で叩き落としておりますわ。ご安心を」
頼もしいというか、何というか。
私の安眠を守るための防壁は、今や王国の英雄と帝国の盟約という、世界で最も贅沢な素材で編み上げられていました。
「……フローラ」
少しして、草を分ける音が響き、カイル様が戻ってきました。
その背中には、真っ白に輝く、見たこともないほど柔らかな布の束が抱えられています。
「カイル様。お疲れ様でした。それは?」
「……これまでの契約の、更新の証だ。……いや、違うな」
カイル様は私の前に跪き、その布を優しく広げました。
触れるだけで心が溶け出すような、天上の雲を紡いだかのような手触り。
「帝国から、詫びの品として供出させた。……これを君の寝台に敷いてほしい。……そして、願わくば」
カイル様の青い瞳が、いつになく真剣に私を射抜きました。
「これからも、君の隣で眠る権利を、俺に預けてはくれないか。……契約ではなく、生涯の伴侶として」
不器用な、けれど真っ直ぐな言葉。
あぁ、いけません。
そんな真剣な顔をされたら、私の鼓動が早まって、せっかくの眠気が逃げてしまいますわ。
私は、カイル様の手を取り、その温かな手のひらに自分の手を重ねました。
「……謹んで、お引き受けいたします。……ただし、寝相が悪い時は、また蔦で縛って差し上げますわよ?」
「……望むところだ。君の手で縛られるなら、それもまた安息だ」
私たちが顔を見合わせて笑い合うと、森の木々が祝福するようにざわめきました。
私は公爵家を追放された、名もなき雑草でした。
けれど、踏まれても抜かれても、私は自分の居場所を耕し、根を張り続けました。
その結果が、この温かな陽だまりと、愛おしい人々です。
地位も名誉も、鉄の繁栄もいりません。
私にとっての真の勝理は、今、この瞬間、大切な人の隣で、心ゆくまで微睡めること。
「カイル様。……朝の二度寝の刻ですわ」
「ああ。……おやすみ、フローラ」
私たちは、新しくしつらえられた雲のような寝具へと身を沈めました。
風が通り抜け、香草の香りが鼻を擽ります。
遠くで小鳥が囀り、大王蔦が優しく揺れています。
世界で一番静かで、世界で一番幸せな、究極の二度寝。
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