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捨てられた令嬢はもう頑張らない!  作者: 九葉(くずは)
第2章

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第18話 外交交渉

 昨夜の騒ぎが嘘のように、森は再び()み渡った静寂に包まれています。

 急成長した大王蔦(だいおうづた)の壁が、招かれざる客を拒むように屹立(きつりつ)し、今やこの場所は世界で最も堅牢(けんろう)な聖域となりました。


 新しく設えられた円卓を囲むのは、三人。

 私、オーレリア王国のレグルス陛下。そして、顔色の悪い鉄鋼帝国の皇子、マクシミリアン様です。

 カイル様とエルザさんは、私の背後で油断なく控えています。


「……まずは、我が国の愚か者が働いた非礼、心より()びよう。フローラ殿」


 皇子が、深く、深く頭を下げました。

 昨夜、私の怒りに触れた彼の部下たちは、今や森の境界で根っこによる強制労働(に従事しています。


「謝罪は受け入れますわ、皇子様。ですが、お風呂の汚れは心の汚れ。……貴方の国が抱える黒錆病(くろさびびょう)も、根本から治さねば解決しませんわ」


「……根本から、だと?」


 陛下が面白そうに目を細める中、私は煎じ茶を一啜(ひとすす)りして告げました。


聖霊草(せいれいそう)は、ただの薬ではありません。あれは、大地の安らぎを魔力に変えたもの。……常に殺気立ち、他者を踏みにじり、寝る間も惜しんで鉄を打つような国では、たちまち枯れてしまいますわ」


 皇子の顔が、図星を指されたように強張りました。

 帝国は魔法を資源として絞り出し、民を歯車のように働かせて富を築いてきました。

 その歪みが、体内に魔力の澱みを生み、人々を蝕んでいるのです。


「薬草を世に出し、貴方の国を救ってもよろしい。ですが、条件がありますわ」


「……何だ。どのような高額な金貨を要求されても構わん。領土の一部を譲れというのか?」


「そんな面倒なもの、いりませんわ」


 私は、エルザさんが用意してくれた羊皮紙を広げました。

 そこには、私が昨夜の入浴中に思いついた「最高の安眠計画」が記されています。


「鉄鋼帝国の全領土において、太陽が真上に来る(とき)から半刻(はんこく)の間――すべての(つと)めを禁じ、午睡の刻として定めに盛り込んでいただきます」


「……は?」


 皇子が呆とした声を漏らしました。

 陛下までもが、噴き出すのを堪えて肩を震わせています。


「つまり、国を挙げてお昼寝をしろと言うのか?」


「左様ですわ。さらに、一月のうち七日は完全に務めを解き、心身を休めること。……この安息が守られない限り、聖霊草は貴方の国に届いた瞬間にただの枯れ草となるよう、私の魔法で細工をいたします」


 これは脅しではありません。

 聖霊草は、持ち主の精神状態に敏感に反応します。

 殺伐とした者の手にあれば、その霊力は霧散してしまうのです。


「馬鹿な……。そのようなことをすれば、帝国の能事が落ち、他国に付け入る隙を与える……」


「……いや、マクシミリアンよ。それは違うぞ」


 今まで沈黙していたレグルス陛下が、重厚(じゅうこう)な声で口を開きました。


「余も、この森で微睡みを覚えるまでは気づかなんだ。……疲れ果てた千人の兵より、十分に眠った百人の兵の方が、遥かに鋭く、過ちを犯さぬ。……我が国の疫病が鎮まったのは、薬草の力だけではない。皆が、休むことを思い出したからだ」


 陛下はカイル様を指差しました。


「見て見よ。この王国最強の男を。……こやつは今、家事の粗相は多いが、剣の冴えは現役の頃より増しておる。……フローラ嬢の隣で、毎日泥のように眠っておるからな」


「……陛下、余計なことをおっしゃらないでください」


 カイル様が顔を赤くして視線を逸らしましたが、その言葉には重みがありました。

 皇子は、カイル様の溢れんばかりの生命力を直視し、自らの細く震える指先を見つめました。


「……わかった。認めよう。……我々は、最も大切な礎である人を、磨り潰していたのだな」


 マクシミリアン皇子は、覚悟を決めたように羊皮紙に署名をしました。


「鉄鋼帝国は、聖域の主、フローラ・グリーンフィールドとの間に、安息の盟約を締結する。……午睡の刻を、帝国の新たなる法としよう」


 こうして、一人の令嬢の「お昼寝したい」という願いから始まった交渉は、隣国の在り方を根本から覆す、歴史的な盟約へと昇華したのです。


「……ふぅ。これで、帝国の方々が殺気立って私の温泉を汚すこともなくなりますわね」


 私は満足げに背伸びをしました。


「エルザさん。交渉が終わりましたから、明日から三日の安息をいただきますわ。……誰が来ても、門前払いで構いません」


「承知いたしました、フローラ様。……事務官として、最高の安らぎを管理させていただきますわ」


 エルザさんが不敵に微笑みます。

 しかし、平和が訪れたと思ったのも束の間。

 盟約を不服とする帝国の強硬派が、巨大な魔導兵器を森へ向けて発進させたという知らせが届くのは、その日の午後のことでした。

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