第15話 精霊の目覚め
お茶を飲み干し、椅子に深く沈み込んだマクシミリアン皇子の顔には、先ほどまでの刺々しい不遜さは微塵もありませんでした。
それは、重圧から解放された一人の青年としての、純粋な安らぎの表情です。
「……あぁ、視界が。……色の見え方が、違う……」
皇子が陶酔したように呟いた、その時でした。
「――そこまでだ、魔女め! 皇子様にいかなる術をかけた!」
森の茂みが激しく揺れ、鉄の衣を纏った一団が飛び出してきました。
帝国の隠密たちです。
彼らは主の変貌を見て、精神を操る術にかけられたと断じたのでしょう。
「待て! 早まるな、お前たち!」
皇子の制止も、今の彼らには届きません。
一斉に抜かれた小太刀が、陽光を反射して不吉に煌きました。
カイル様が即座に前に出ようとしましたが――。
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
大地を揺るがすような、低い地鳴りが足元から響きました。
「なっ、地震か……!? いや、何だこれは!」
隠密たちの足元から、大蛇のような太い根が次々と噴き出しました。
それは以前、私が森の最奥で「いつか役に立つかも」と魔力を与え続けていた、名もなき巨大な雑草――大王蔦の根でした。
ズォォォン……!
地中から姿を現したのは、高さ五丈にも達する、巨大な葉を冠のように戴いた植物の巨像でした。
それは森の意志そのものが受肉したかのような、圧倒的な威容を誇っています。
「私の……雑草?」
驚く私をよそに、大王蔦の蔓が鞭のようにしなり、襲いかかろうとした隠密たちを瞬く間に絡め取りました。
「ぐわぁぁっ!? 放せ、この化け物め!」
「肥料にする……。森を汚すもの、肥料にする……」
私の頭の中に、直接そんな声が響きました。
植物の、無垢で残酷な殺意。
このままでは、隠密たちは森の栄養にされてしまいます。
「待って! その人たちは、ただの心配性なだけですわ。……放してあげて」
私は巨大な茎にそっと手を触れ、魔力を流し込みました。
怒りを鎮め、慈しみを分かち合う、柔らかな雑草魔法の波です。
ピタリ。
大王蔦の動きが止まりました。
絡め取られていた兵たちが、地面にどさどさと落とされます。
「……主様。……守る。……眠りを、守る……」
巨大な植物は、私に対してだけは、微風にそよぐ花のように優しく茎を曲げました。
そして。
ワサワサ、と葉が組み合わさり、私の腰の高さに、ふかふかの緑の台座を作り上げたのです。
「えっ、これは……?」
「フローラ様、これは貴女様の意思に応え、森の精霊が形を成したのでしょう。……どうやら、移動式の極上寝台になりたいようですわ」
エルザさんが眼鏡を押し上げながら、冷静に解説してくれました。
私が恐る恐るその緑の台座に腰を下ろすと――。
「あぁ……っ」
衝撃でした。
自らの魔力で作られたその寝心地は、雲よりも軽く、日向よりも温かい。
しかも、私が「あちらへ」と念じるだけで、無数の根が足を運ぶように、揺れ一つなく私を運んでくれるのです。
「最新の鉄兵が、ただの草の椅子に負けた……だと?」
マクシミリアン皇子が、崩れ落ちた魔導装甲と、私の動く極上寝台を見比べて、力なく笑いました。
帝国の技を注ぎ込んだ鋼鉄の塊よりも、私が気まぐれに育てた雑草の方が、遥かに賢く、優雅で、そして強い。
その事実は、皇子と隠密たちの戦意を完全にへし折るのに十分でした。
「さて、皇子様。部下の方々も落ち着いたようですし、もう一度お話ししましょうか」
私は大王蔦に身を委ね、ゆらゆらと揺られながら微笑みました。
森の王を味方につけた私の日々の営みは、もはや何者にも侵しがたい聖域へと進化したのです。




