第13話 鉄の侵略者
有能な事務官であるエルザさんが加わってから、私の森の生活は驚くほど整いました。
洗濯物は真っ白に洗い上げられ、温かな食事は決まった刻限に供されます。
私は、心置きなく微睡みの海に沈むことができるはずでした。
――ガガガ、ガガガッ!!
森の静寂を切り裂く、耳障りな鉄の摩擦音が響き渡ります。
私がハンモックから飛び起きると、カイル様が既に庭先で魔剣を抜いていました。
「……来ましたね。この下劣な音、間違いなく鉄鋼帝国の魔導装甲です」
森の境界方向から、木々がへし折れる不快な音が聞こえてきます。
やがて茂みをかき分けて姿を現したのは、高さ二丈はある鋼鉄の塊でした。
魔力と蒸気を吹き出しながら動くその無機質な姿は、緑豊かなこの森ではあまりに異質です。
その肩の上。
見事な黄金の刺繍が入った軍服を纏った、一人の男が不敵に笑っていました。
「ほう。ここが噂の聖域か。……実に質の良い魔素が満ちている。これならば、我が帝国の動力源として不足はないな」
男は装甲から軽やかに飛び降りると、土足で私の菜園を踏み荒らしながら歩いてきました。
「カイル・フォン・シルヴェスター。行方不明かと思えば、このような辺境で女の尻に敷かれていたか。……実に嘆かわしい」
「……マクシミリアン皇子。貴様、迷い込んだ言い訳を考える前に、その足をどけろ」
カイル様の周囲の空気が、パチパチと雷鳴を帯びて震えます。
今にも皇子の首を撥ね飛ばしそうな殺気です。
それを制したのは、背後に控えていたエルザさんでした。
「お待ちください、閣下。あちらは帝国の第三皇子。ここで殺害すれば、我が国は帝国との全面戦争を避けられません。……それは、フローラ様の安眠を永久に損なうことになります」
エルザさんの冷静な言葉に、カイル様が苦々しく剣を収めました。
確かに、戦争など始まったらお昼寝どころではありません。
「物分かりが良いではないか。……さて、そこの娘がフローラ・グリーンフィールドだな?」
マクシミリアン皇子は、私を品定めするように見つめました。
「我が帝国は、貴女の管理するこの森と薬草に多大なる関心がある。……どうだ、その泥臭い王国を捨てて私と共に来い。貴女の魔法を効率よく抽出し、帝国の繁栄に役立ててやる。金も地位も、思いのままだぞ」
抽出。
効率。
その言葉を聞いた瞬間、私の中の静かな怒りが芽吹きました。
「お断りいたします、皇子様」
「何だと? この私が直々に誘っているのだぞ」
「貴方様は、この土地を資源としか見ていない。……大切な私の雑草たちを、ただの燃料にするような方に、この森は渡せません」
私は地面にそっと手を触れました。
皇子が連れてきた魔導装甲が、再びガガガと音を立てて動き出し、私の大切な香草を押し潰そうとしたからです。
「資源だと? その通りだ。魔法など、使ってこそ価値がある。……逆らうというなら、この最尖端の鉄兵で、森ごと更地にして――」
「――お願い。少しだけ、強く抱きしめてあげて」
私が囁いたのは、破壊の呪文ではありません。
ただの、お願いです。
ズザザザザッ!!
装甲の足元から、無数の太い蔦が噴き出しました。
それは関節絡みの茨という、硬いものに巻き付く習性を持つ雑草です。
「なっ、何だ!? ただの草が、装甲の駆動部に……!?」
皇子が慌てて装甲に命令を下しますが、既に遅い。
茨は鋼鉄の継ぎ目、歯車の隙間、魔力の排出口に、恐ろしいまでの精度で入り込みました。
無理に動かそうとすれば、鉄の方が自重でひしゃげるほどの力で、蔦が締め上げます。
プシュゥ……。
無機質な音を立てて、帝国の誇る魔導装甲が沈黙しました。
傷一つ付いていませんが、一寸たりとも動くことはできません。
「馬鹿な……。最新の防御結界を張っていたはずだぞ!?」
「私の雑草たちは、敵意には敏感ですが、結界には無頓着なのですよ。……ただ、そこに隙間があったから、伸びていっただけですわ」
私は立ち上がり、土を払いました。
「皇子様。お昼寝の邪魔をされた上に、畑を汚されたこと、私は忘れませんわ。……今すぐその鉄の塊を片付けて、お帰りください」
マクシミリアン皇子は、初めて自分の理解を超えるものを見たという顔で、立ち尽くしていました。
帝国の合理的な力。
それさえも、森の生命力の前では、ただの不器用な玩具に過ぎないのです。




