第11話 保養地の開発
「……フローラ様、また来ましたよ」
洗濯物を干していたカイルが、空を見上げて溜め息を漏らしました。
彼の視線の先。
森の境界付近で、王家の紋章を冠した転移の光が淡く輝いています。
「また、陛下ですか?」
「いえ、今回はベルナルド氏のようですね。……馬車三台分の物資を引き連れています」
私は手に持っていた布を、バサリと籠に戻しました。
自治区になってからというもの、この森は国一番の保養地のような扱いを受け始めています。
ベルナルドさんは商談にかこつけて。
国王様は視察にかこつけて。
二日に一度は誰かがやってくるのです。
しかも、彼らは決まって、癒やしを求める死人のような目でやってきます。
「……おもてなし、面倒だわ」
お茶を淹れ、菓子を焼き、世間話に付き合う。
その間、私の大切な微睡みの時間は削られていきます。
これは由々しき事態です。
私が求めていたのは、誰にも邪魔されない平穏な日々だったはず。
「カイル様。私、決めました」
「何をです? また新しい野菜の種でも見つけましたか?」
「いいえ。勝手に寛いでもらうための離宮を建てます。客はそっちに放り込んでおけばいいんです」
◇
私の案はこうです。
我が家から少し離れた場所に、憩いの場となる別棟を建てます。
そしてそこには、極上の湯浴み場を用意するのです。
温かいお湯に浸かって、勝手に寝て、勝手に帰ってもらう。
そうすれば私は、自室でゆっくりと二度寝ができます。
「温泉、ですか。……確かにこの森の地下には熱源がありますが……」
カイルが少し難色を示しました。
「ここらへんの地層は魔素が濃すぎます。不用意に掘れば魔熱爆発を起こす危険がある。王宮の魔導師たちでも、この地の開削は諦めたと聞いています」
「力任せに掘るからいけないんです。……植物に手伝ってもらいましょう」
私は森の少し開けた場所、地熱が高い地点へ移動しました。
そこには魔素の澱みである紫色の霧が漂っています。
常人なら近づくこともできない死地です。
私は鞄から、一粒の種を取り出しました。
吸熱大竹。
私が育てた、熱を好む雑草の変種です。
「お願い。地下の熱を、優しく汲み上げて」
魔力を流し込むと、種から一気に太い根が伸びました。
根は回転しながら、硬い岩盤を避け、熱の源泉へと一直線に向かっていきます。
普通の鉄管なら魔素で腐食してしまいますが、私の植物は魔素を栄養にして成長するのです。
ズズズ……と地面が微かに震えます。
数分後。
竹の節から、ポコポコと温かい湯気が上がり始めました。
爆発を招くことなく、植物が天然の導管となって熱だけを抽出したのです。
「あとは、お湯ね。カイル様、出番です」
「……掘ればいいんですね」
カイルが魔剣を抜きました。
彼は慣れた手つきで、岩盤を円形に切り抜いていきます。
精密な剣技。
もはや一流の石工にしか見えません。
私が防水苔を浴槽の壁面に張り巡らせ、お湯が漏れないように防護します。
そこへ、地下水を吸い上げた蔦を連結。
熱源である竹の節を通った水が、適温になって岩風呂へと注がれていきました。
「――完成です。霊草の岩風呂」
湯気とともに、香草のような良い香りが立ち上ります。
周囲に植えた浄化蘭が、お湯の中の不純物を取り除き、常に最高の泉質を保ってくれる仕組みです。
「信じられん……。王宮の難工事を、わずか数時間で」
「カイル様。試運転をしましょう。……まずは足湯から」
私たちは岩風呂の縁に座り、お湯に足を浸しました。
「……あぁ」
思わず声が漏れました。
温かい。
じんわりと、一日の疲れが溶けていく感覚。
植物の霊力が含まれたお湯は、肌を滑らかにし、心の澱を洗い流してくれます。
「……最高ですね、フローラ」
カイルも、いつもの厳しい表情を緩めていました。
銀色の髪が、湯気に濡れてしっとりと肩に落ちています。
彼は私の隣で、満足げに目を細めました。
しばらくの間、私たちは無言でお湯を楽しみました。
これなら、陛下が来てもここへ案内すればよいのです。
お茶を淹れる手間も省けるし、皆が幸せになれます。
……そう。
平和な日々が続くのだと、思っていました。
「……? カイル様、どうしました?」
不意に、カイルの体が強張りました。
彼の視線は、風呂から少し離れた境界線に向けられています。
彼は無言で立ち上がり、素足のまま、濡れた地面を歩いていきました。
そして、茂みの影で足を止めます。
「フローラ。……これを見てくれ」
カイルが指差したのは、湿った土の上に残された痕跡でした。
それは、私の知っているどの獣の足跡でもありません。
深く、等間隔に刻まれた、硬い靴底の跡。
しかも、踵の部分には鉄板が打ち付けられているような、独特の形状。
「……軍靴ですね」
カイルの声が、低く鋭くなります。
「それも、我が国の騎士団のものではない。……隣国、鉄鋼帝国の隠密部隊が使う特殊な装備だ」
私はお湯から足を上げ、濡れた肌に冷たい空気を感じました。
ベルナルドさんや陛下のような、歓迎すべき客ではありません。
これは、私の楽園を盗み見ようとする、招かれざる泥棒の足跡です。
「……せっかく温泉ができたのに」
私は少しだけ、憤りを感じて立ち上がりました。
私の安眠を妨げる者は、誰であろうと許せません。
「カイル様。明日は、もっと棘の鋭い拒絶草を植え直しましょうか」
「……いいえ、フローラ。彼らは草を刈って進む連中だ。……罠の準備もしておいた方がいい」
平和な自治区の一角に、不穏な影が差し始めていました。
鉄鋼帝国という、魔法を資源として奪おうとする者たちの影が。




