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皇帝の意ならぬ者~玄宗皇帝と吉備真備~(1)

玄宗皇帝と吉備真備のお話です。

あくまでもフィクションですので、ご了解を。

 玄宗皇帝は唐王朝の第九代皇帝である。

 生れたのは祖母の則天武后が天下を支配していた時代で、名は隆基。とても賢い人として知られていた。

 二十八歳で皇帝として即位し、年号を開元と改め、その後「開元の治」と呼ばれる徳治をなした。五十六歳になって息子の寿王の元の嫁であった楊玉環(二十二歳)を楊貴妃として後宮に迎える。このあと後宮に入りびたって政治を省みなくなり、安史の乱が起きて評判を落とす。この話はその三年前のことである。


 玄宗皇帝は――と言ってしまうと諡号(しごう)で生前の皇帝を呼ぶのはいかがなものかという指摘があると思うので、ここは皇帝とだけ呼ぶことにしよう。

 皇帝は、久しぶりに友と再会した。吉真備(きつ・しんび)という倭人である。倭というのは朝鮮のはるかかなた、東の大海の向こうにある広大な国で、今は「日の出ずる国」という意味で「日本国」と称している。史書によれば南は会稽郡から北は帯方郡(現在の熊津郡)の沖合まであり、横断するのに一ヶ月以上かかるという大国らしい。文明度も高く、日本から献じられる織物は尚衣局の熟練した織り手ですら舌を巻くほどの出来ばえだ。

 かつて唐帝国は新羅王国と同盟し、百済王国を亡ぼした。その時、百済の復興をこころみた日本(当時はまだ倭と称していた)との戦いとなった。唐の水軍は劉・孫の二将軍が提案した奇襲と火計で一気に倭を圧倒する。緒戦勝利の効果は大きく、新羅は唐とともに一気に百済の残存勢力を駆逐して、勢いに乗って高句麗までも亡ぼした。

 その後、倭は下手(したて)に出て唐に和睦のための贈り物をし、九十年たった今も朝貢を続けている。高句麗を亡ぼしたらすぐに裏切った新羅とはえらい違いだ。今では新羅王として皇帝に伏しているが、熊津都督府や安東都護府への襲撃を思うと新羅に心は許せない。


 皇帝が吉真備――倭人の言葉ではキビノマキビ――と最初に会ったのがおよそ三十年前、皇帝が三十二歳の頃である。

 若い真備は、唐の先進文化を学びたいと低姿勢で願い出た。皇帝は国子監で学ぶことを許し、四門学でも色んな学問を学ばせた。一方で、皇帝は囲碁を教えて楽しみとした。最初は、碁盤の真ん中の「天元」に黒石を置くといった無茶もしたが、だんだんと手をあげて皇帝の無聊をなぐさめるよい碁敵(ごがたき)となった。

 先祖が桃から生れたなどという荒唐無稽な話を聞かせてくれたり、堅い一方でなくふざける時はふざけるなど、東方朔ばりの愉快な一面もあった。

 皇帝の元にはもう一人、晁衡(ちょうこう)という倭人の臣下がいた。吉真備と同じ船で唐に来た男だ。日本名を阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)という。左補闕(さほけつ)の役職にあり、皇帝の十三歳下だった。

 左補闕とは、皇帝に政道の誤りを指摘する役職で、いわばご意見番である。李白や王維といった当代一流の文人とも親交があり、吉真備よりも優秀な人物だった。

 晁衡は、才が勝ちすぎた。まじめで隙がない。皇帝としては、胸襟を開いて気軽に語り合える相手ではなかった。だから、自然と真備をそばに置くようになった。

 真備が唐の朝廷に入って十七年、寂しいことに皇帝へ帰国を願い出た。

「論語に『四十にして惑わず』とあります。私はそもそも日本国の使節として先進的な文化を学びに来ました。そのような些末な者を拾いとどめ、おそば近くにとどめていただいたこと、万言を費やしても感謝しきれません。しかし、このまま中華の地にとどまっていれば、私が学んだことは我が祖国には伝わらず、この肉体とともにこの地で朽ち果ててしまいます。なにとぞお慈悲をもって帰国をお許したまわりますよう伏してお願い申し上げます」

 平伏して石畳に額を押しつける。決死の覚悟だ。この親友の姿を前にして、皇帝は無理に引きとどめる気にはなれなかった。

「あいわかった。そなたの決心は堅いのだろう。行くがよい。今生の別れともなるやもしれん。が、もし機会があったなら、再びどこかでまみえたいものだ」

 別れの宴には晁衡も陪席させ、皇帝は大いに飲み明かした。


 この涙の別れから十八年、まさかという事が起きた。真備が日本の使節の副使となって再び唐の朝廷にあらわれたのだ。

 皇帝ももはや六十七歳。真備は五十七歳である。今回の渡唐の目的は、書物の知識だけでなく唐王朝の実際の運営方法を見て回ることだった。

 この間、晁衡は儀王友という官職にあった。王族の教育係だ。

 真備の再訪を喜んだのは晁衡も同じだった。真備は晁衡の案内によって、宮殿中のあらゆる場所を見せて回る。武器庫や地図といった、国防にかかわる部門も見て回る。皇帝はこの見学のために晁衡を衛尉少卿に昇進させた。異国の人間への扱いとしては破格だ。

 この年、楊貴妃はすでに三十三歳、皇帝が見初めてから十一年の年月がたっていた。元々は十八番目の皇子である寿王の妻だった。寿王の母の武恵妃が亡くなった時に禁苑の中に太真宮という道観が作られ、武恵妃の菩提を弔うために女冠(女道士)として出家させられた。二十二歳の時である。それを惜しんだ皇帝が還俗させ、自らの貴妃とした。

 皇帝による計画的な横恋慕、という見方も出来るかもしれないが、あたら若い身を道観に閉じ込められるのを救った、という見方もできよう。いずれにせよ、もはや今では皇帝の糟糠の妻である。

 ちなみに、祖母の則天武后は、唐の初代皇帝太宗が亡くなったあとは感業寺という禁苑の中の尼寺に入れられ、二代高宗の代になって後宮に呼び戻されたという経緯がある。皇帝は、この不幸な記憶を祖母から伝え聞いていた。楊貴妃を連れ出したのもそれが理由である。

 その楊貴妃が、皇帝に珍妙な文書を献じた。

「これは宝誌和尚が書いた予言詩だそうです。今まで誰も読み解けなかった謎の書なのです。挑戦なさってはいかがでしょう」

 変な物を持ってきたな、と思ったが、無聊を慰めるには面白い提案だった。

 博識として知られる皇帝は、自らその詩を解き明かそうと挑んでみた。


始定壞天本宗初功元建

終臣君周枝祖興治法主

谷孫走生羽祭成終事衝

填田魚膾翔世代天工翼

孫子動戈葛百國氏右輔

昌微中干後東海姫司為

白失水寄胡空為遂國喧

龍游窘急城土茫茫中鼓

牛喰食人黄赤興丘青鐘

膓鼠黒代雞流畢竭猿外

丹盡後在三王英称犬野

水流天命公百雄星流飛


 わずか百二十文字の詩だ。が、どうしても読み解けない。部分的に読めなくはないが全体として意味が通じないのだ。たとえば「魚膾(ぎょかい)」とは「魚のなます」つまり刺身のことである。時に激痛をともなう腹痛の元となることから皇帝に出されることはない。「水流」や「天命」といった言葉も熟語としてひとくくりに出来るだろう。「茫茫」という言葉もそうだ。が、どうにもその先が解けないのだ。

「朕もすでに齢六十七、我が霊蓋の中身もボケてきおったわい」

 (こうがい)で頭を掻く。

 その事を忘れてしばらくたった頃、皇帝は久しぶりに真備を呼んで酒を酌み交わすことにした。

 食事をとりつつの酒席である。

 その時、皇帝はいやな物を見てしまった。

 真備の食事の仕方が三十年前に戻っていたのだ。

 武后は河東の出身で剣南で育った。今の山西省と四川省である。父は唐の始祖である高祖に仕えて武功で出世、のちに利州都督・荊州都督を歴任する。武后はいわば田舎者の武人の娘である。苛烈なところがあり、宮中ではあまりいい噂を聞かなかった。仁慈を旨とする皇帝には耳を洗いたくなるような話も耳に入った。が、自分にとっては血のつながった祖母である。礼を持って接し、二十歳の時に亡くなった時には涙も流した。

 その祖母に伝えられたのは、一つの物を口に入れたらそのまま食べ切って呑み込む、という作法である。口の中で食べ物が混ざるのは卑しいふるまいである、というのだ。田舎者、という劣等感からことさら礼儀に厳しくなったらしい。皇帝も幼少時からこの食べ方を実戦してきた。そして真備にもその事を何度も言って聞かせて作法をしつけてきた。

 にもかかわらず、真備はご飯を呑み込む前におかずを口に運ぶという下卑たふるまいをしたのだ。

吉真備(きつしんび)よ、食べ方がなっとらんな」

 皇帝はきつめの口調で言った。

 ハッとした真備は箸を取り落として皇帝に詫びようとした。その時、箸が汁椀に落ちて雫が皇帝の顔に飛んだ。慌てて女官が駆け寄り、白布を差し出す。

 床に平伏して謝る真備にも、皇帝の怒りはおさまらない――ように見えた。

 が、皇帝の内心はいささか違った。仁慈の教えが染みついた皇帝には、顔が汚れたことなど些細なことだった。むしろ、これを好機としていかに利用するかという打算があったのだ。

 実は、皇帝のもとには今朝ほど日本国からの使節が出立(しゅったつ)の準備にかかっているという知らせが届いていた。市場で長期保存のきく食糧を買い集めているという密偵からの報告が上がっていたのだ。いくら皇帝とはいえども、使節の帰国を妨害するのは外聞がよくない。が、無礼をとがめて処罰したということなら、誰もが納得するであろう。

「吉真備、そなたに命じる。宝誌和尚が書いた予言書を読み解け。解けるまでは太真宮の塔に幽閉する」

 ただちに宦官達が現れ真備の両腕をとった。

「皇帝陛下、ありがたきご厚情に感謝いたします」

 真備は、死罪にならなかっただけでも感謝すべきなのだ。このあたりの機転の利かせ方もまた、皇帝の好むところだ。この男を帰すのは惜しい。かわりに晁衡が帰国すればいいのだ。あの石頭めが。

 皇帝は、女官を呼んで宦官に予言詩をあずけさせた。女官はそれを使い走りの宦官に渡し、太真宮へと運ばせる。

 皇帝は、本音を言うと宦官が嫌いだった。

 宦官は臭い。腐刑という言葉あるように、去勢した宦官は死の臭いがするのだ。だから、色んな香料でその臭いを隠そうとしている。腹心の高力士は別だ。彼は臭くない。高力士は生まれつき(こん)が欠けている。天閹(てんえん)、というやつだ。力士と言うくらいだから筋肉も発達している。六尺五寸という巨躯で、男なのではないかと噂する者もいる。しかし、玄宗は若い頃に自らの目でその根が欠けていることを確認していた。だからこそ後宮に入れても安心している。頭が切れ、軍事にも明るく、まさに腹心の部下である。

 その高力士がたずねた。

「よろしいのですか。あの塔には怪異が現れるという噂がございますが」

「ああ、構わぬ。真備ならばこの試練を乗り越えてみせるだろう。……そうだ。食事は三食きちんと届け、必要なものは全て与えるのだ。あの塔には一通りの書物もそろっていたはずだが、もし必要と言うのならいかなる書でも見せてやれ」

「甘やかしすぎですね」

 高力士はあきれたように苦笑した。


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