第1章 ランドセルの中の手紙
その日、空はありえないほど青く澄んでいた。
白い雲がゆるやかに流れて、まるで誰かが描いた絵のようだった。
千紗と僕は、いつも通り、並んで下校していた。
千紗は少し大きめの赤いランドセルを背負い、くたびれた上履きを引きずるように歩いていた。
髪をふたつに結んでいて、飾りの鈴がちりんと鳴るたび、どこか寂しい音がした。
「ねぇ蒼真、卒業しても、同じ中学行けるよね?」
唐突な問いに、僕は少し戸惑ってから笑った。
「あと何年あると思ってんだよ」
「でも、さ……ずっと一緒がいいじゃん」
千紗はそう言って、前を向いたまま笑った。
あのとき、僕はうまく返事ができなかった。
彼女の笑顔は、どこか張りつめていて――まるで、壊れないように無理してるように見えた。
千紗は、よく転校してきた子みたいな雰囲気をしていた。
家庭のことは詳しく知らない。ただ、参観日も運動会も、彼女の隣の席はいつも空いていた。
着てくる服は、いつも少し季節とズレていたし、ランドセルの端は擦り切れて、糸が出ていた。
給食袋には小さなシミがあって、それを彼女はいつも握りしめていた。
それでも、彼女は笑う子だった。
折り紙をもらえば丁寧に折り、壊れていても「平気」と言い、誰かが忘れた上履きをそっと並べ直す。
人にやさしくすることで、彼女は世界との繋がりを保っていたのかもしれない。
「じゃあさ、もし別の学校になったら、手紙書けよな」
「うん、書く。折り紙で書くね。ちゃんと……がんばる」
千紗の笑顔が、初めて少し安心したように見えた。
――それが、僕が見た千紗の最後の笑顔になった。
⸻
交差点の手前で、彼女の鈴が鳴った。
僕が足を止めて振り向いた瞬間だった。
目の前に、赤い光が現れた。
それは、夕焼けのように鮮やかで、でもそこにあるはずのない位置に浮かんでいた。
ほんの一瞬、世界が音を失った。
そのあと、風のような衝撃が僕の背中を抜けていった。
ごう、という音。
空が傾いた。地面の感覚が消えた。
目の前にいた千紗が、遠くに離れていく。
僕は、ただ空を見上げていた。
何も考えられなかった。
ただ、何かが終わったことだけがわかった。
⸻
気づけば、僕は世界にいなかった。
でも、完全には消えていなかった。
僕の存在は、風のように、誰にも触れず、ただこの世界を漂っていた。
そして、気づいた。
時間が、歪んでいる。
⸻
僕の“視点”は、過去にも未来にも飛んでいく。
中学に上がった千紗。誰にも馴染めず、一人で弁当を食べている。
高校では明るいふりをしていたが、誰かに告白して、泣いて帰った夜を見た。
大人になった彼女が、夜の駅のホームに立っていたこともある。
手にはスマホ。その画面には、メモアプリが開かれていた。
『だれにも きづかれなかった』
あのとき、僕は叫んでいた。
名前を呼んで、止まれと叫んで、でも声は届かなかった。
――千紗は、飛び込んだ。
それが、僕が見た最悪の未来だった。
⸻
僕は決意した。
この未来だけは、絶対に変える。
何度でも、やり直してやる。
何年でも、何百回でも。
たとえ、彼女に想いが届かなくても。
君が幸せでいてくれる未来を、俺がつくる。