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二章 コニィまたはマリア=コルディーヌ〜趣味はお魚を見ることです。(3)


 仕方がないと思って、歌もバイオリンもあきらめなさいと、父は娘を慰めた。

 コニィはあんまりがっかりして、口も聞けないくらいだった。

 池のほとりまでとぼとぼ歩いて、涙目でぺったり座り込んでいると、ブクブクが寄ってきた。


 ごめんね、と言いかけたけれど、涙で喉がつまって声が出ない。


 生まれてはじめて、コニィは絶望していた。

 運命に逆らわず、のんびり生きてきた彼女にとって、はじめてぶち当たった大きな挫折と哀しみだった。

 おいでおいで、というようにブクブクがコニィの服の裾を挟んで、池のほうへ引っ張った。

 コニィはブクブクの背中にのって、水晶の部屋に辿り着いた。

 ブクブクの甲羅にふれると、コニィの体は甲羅の中に吸い込まれた。

 金色の髪の少年が、落ちてくるコニィを両手で受け止めてくれる。


「ごめんね、フォルトーニオ」


 お姫さま抱っこされたコニィがしゃくりあげながら謝ると、ブクブクは、いや、フォルトーニオはにっこり笑って首を横に振った。


「きみはよくやってくれたよ、コニィ。ぼくのために一生懸命になってくれてありがとう」


「でも……約束、守れなかったわ。二十歳の誕生日までに魔法が解けなかったら、フォルトーニオはずっとカニのままでいなきゃいけないんでしょう?」

「それでもいいよ。もう十年以上もここで暮らしているんだもの。慣れればけっこう快適なんだよ」

 フォルトーニオが抱き上げたコニィをあやすように揺らして明るく言う。

 けど、それは嘘だとコニィにはわかっていた。


 はじめて甲羅の中で会った日も、フォルトーニオは自身の数奇な運命を、こんなふうに明るく語った。

 彼はコニィの国から少し離れた北の国の王子だった。船で海を旅行中に嵐が起こり、七歳のフォルトーニオは海に放り出された。

 緑の髪の妖精ドゥーサはフォルトーニオを助けてくれたが、綺麗な金髪の男の子をすっかり気に入って、陸に帰そうとせず、カニの甲羅の中に閉じ込めたのだ。

 

 あの日、一緒にここから出ようと誘うコニィに、フォルトーニオは言った。


 ──ぼくはドゥーサの許しがなければ出られないんだよ。ぼくの命は十二年前の嵐の日から、ドゥーサが握っているんだ。ほら、ドゥーサがかぶっていた白い花冠。あれがぼくの魂なのさ。ドゥーサがあの花冠を持っているかぎり、ぼくはドゥーサの魔法から逃れられない。


 ──でも、外へ出たいでしょう? 会いたい人だっているんじゃない?


 ──そうだね……ドゥーサ優しくて好きだけど、でも……。


 綺麗な青い瞳に、かげりが浮かんだ。

 フォルトーニオは人間に戻って、祖国へ帰りたいと思っているのだ。

 あたりまえだ。

 いくら豪勢な生活でも、話し相手はたった一人、海の妖精だけなのだから。

 まぶしい光の中で走ったり、緑の匂いのする空気を体いっぱい吸い込むことも、彼には許されない。

 コニィは心からフォルトーニオに同情した。

 気がついたときには、こう言っていた。

 

 ──わたし、あなたを助けたい。なにか方法はないの?


 ──ないわけじゃないけど……。


 ──どうするの?


 ──ドゥーサがかぶっている花冠を手に入れることができれば……でも花冠を得るためには、引き換えになるものが必要だ。


 ──引き換えって……別の魂?

 

 コニィはびくびくしながら尋ねた。

 

 ──違うよ。歌と音楽さ。ドゥーサは歌も音楽も大好きで、特にバイオリンの音色に夢中で、素晴らしい演奏を聴くと我を忘れちゃうんだ。演奏者が花冠をくれと頼めば、きっと調子にのって『いいわよ』と言っちゃうはずさ。


 ──じゃあ、わたし、バイオリンと歌を習うわ。


 コニィは顔を輝かせて言った。

 海の妖精から花冠をもらうのは、とても簡単なことのように思えたのだ。


 ──約束する。フォルトーニオのことを、きっと助けてあげる。


 コニィの能天気に影響されたのか、フォルトーニオもやわらいだ表情になって言った。


 ──約束か……小さいころに遊んだ幼なじみとも、そういえば約束しっぱなしだったな。


 ──自由になったら、その子ともまた会えて、約束もはたせるわよ。


 ──そうだね。


 そうだね、とコニィの胸が震えるような優しい笑顔で言ったときから、フォルトーニオにはわかっていたのかもしれない。

 コニィの音楽の才は、そのときはまだ明らかにされていなかったけれど、並の音楽家の演奏ではドゥーサの心を動かすことはできない。

 音楽愛好家を自負するドゥーサの耳はとてもこえていて、下手な演奏が聞こえてこようものなら、たちまち不機嫌になり、『芸術に対する冒涜よ!』と、わめき散らし嵐を起こすというのだから。


 ただ、フォルトーニオはコニィの素直な申し出が嬉しくて、本当に感謝していたのだろう。


 コニィを床にそっとおろし、あのときみたいに澄んだ優しい眼差しで言った。

「二十歳になったら、ぼくは正式にドゥーサの一族に迎えられることになって、この城にももういられないけれど。それまでは、こんなふうにときどき遊びに来てくれると嬉しいな。ね、いいだろう」

「うん……うん……」

 コニィはまた泣きそうになりながら、こくこくとうなずいた。


 フォルトーニオは思いやりがある。

 フォルトーニオは本当に優しい。


 なんとか助けてあげたいのに、自分にはなんの力もないことが、コニィは悲しくてたまらなかった。

 池から上がると、庭ではみんなが集まって大騒ぎしていた。

「ああ、姫さま!」

 水びたしのコニィを、いきなり若い声楽教師が抱きしめた。

「よかった。わたくし、姫さまがふらふらと池に入ってゆくのを窓から見ていて、バイオリンや歌のことを気に病んで、身投げしたのかと……心臓が止まるかと思いました」

 城で働く人たちも、わんわん泣き叫ぶ。

「姫さま、すみません。わしらが国王さまにあんなことをお願いしたばっかりに。もう結構ですから歌でもバイオリンでも存分になさってください」


「あの……わたし、身投げしたわけじゃ……」


 コニィが誤解を解こうとしたとき、高名な音楽家が力を込めて言った。

「音痴がなんだ! バイオリンがなんだ! 姫にはこんなにも姫を心配してくれる人たちがいるじゃないか。天才なんて悲惨なものだよ。私が教えた生徒の中にエリゼッタという王女がいて、この子は間違いなく天才だったが、父親と折り合いが悪くて、なにかというとバイオリンをやめろと叱責されていたよ。本人がひねくれ者なので、ますますバイオリンに没頭して、二人の仲はこじれる一方だった。召使いもとばっちりを恐れて、王女に近づこうとしなかったから、彼女はいつも一人でバイオリンを弾いて歌っていた。それに比べれば、コニィ姫は幸せだ。死のうなんて考えちゃいけない。この世の中、凡人のほうが絶対に生きやすいはずなんだよ」


「あら、エリゼッタ姫というと……()()?」


 声楽教師が、音楽家のほうへ顔を向けた。

「ご存じでしたか、あなたも」

「ええ、それは美しい声をしていて。天使だってああは歌えませんわ。風や波が、彼女が歌い出すと、ぴたっと静まるんですからね」

「バイオリンも素晴らしかった。伝説の中で語られる神々さえ感動させる音があるとすれば、まさしくあれがそうですね。ただ……」

「そう……」

 二人は顔を合わせ、同時に叫んだ。


「「性格は最悪!」」


 それから二人は競うようにエリゼッタの根性悪ぶりを並べ立た。

 侍女も家臣も、みんな彼女のわがままに手を焼いていたこと。

 王女でなければ国外追放にされているところだと、さんざん言い、天才なんて人間的にはヘンなやつばかりだ、みんなに愛されているコニィ姫は幸せだと、ムキになって慰めるのだった。


「エリゼッタ……姫?」


 自分と同じ十六歳だという王女の名を、コニィはつぶやいた。

「そのお姫さまは、本当にそんなにバイオリンも歌も上手なの?」

 それだけは認めざるを得ないようで、音楽家と声楽家は苦い顔で大きくうなずいた。


(風のそよぎと海の波を止めるほどの音……)


(天上の神々さえ感動させるって……)


 もし二人の言う通りなら──。


 エリゼッタ姫がフォルトーニオを救えるかもしれないと、コニィは思った。

 教師と家来たちは、そのあともさんざんコニィを慰め、励ましたが、コニィは心ここにあらずだった。

 夕飯はコニィの好物ばかり並んでいた。

 コニィはいつものように食事をすませると、すぐに自分の部屋に引っこみ、手紙を書いた。


『わけあって、お客さまを迎えに行ってきます。

 お迎えの準備をして、待っていてください。

 それからブクブクに、すぐに帰るから心配しないでと伝えてください。

 約束は守りますって。

 じゃあ、行ってきます』


 翌朝、手紙をベッドの上に置いて、コニィは小さな袋をひとつ背負って城を出ていったのだった。

 のんびりやだが、コニィはわりと持久力はあったので、さして疲れたとも思わず、朝からずっとてくてく歩き続けた。

 やがて夜が来ると、なんのためらいもなく、持ってきたシーツを、そのへんの草むらに広げて寝転んだ。


「おいおい、お姫さま」


 頭上であきれきっている声がした。

 コニィは体を起こしたが、誰もいない。

 気のせいかと思ったとき、闇の中からすぅーっと一人の男が現れた。

 男は黒い髪に黒いマント、おまけに肌も褐色で、闇にとけて見えたのだ。


「こんなところで野宿するバカがあるか。悪い連中に襲ってくれと言っているようなもんだぜ。そんな世間知らずで、エリゼッタ姫のところまで辿り着いて、名高きへそ曲がりのわがまま娘を、連れ帰ることができるのか? やっぱりオレの力が必要なようだな」


「どうして、そんなにいろいろ知っているの? あなたは誰?」

 コニィがぽかんとして尋ねると、男はやれやれというふうに頭をかいた。

「本当は姿を現すつもりはなかったんだけどな。ま、いいか。オレの名はジン。天上の神が、おまえさんのドジぶりを見かねて使わしてくれた救い主だと思ってくれりゃあいい。だから、おまえさんの身分も、おまえさんが城を出てなにをしようとしているかも、当然知っている」


「あ……それは、ご苦労様です」


 コニィはぺこんと頭を下げた。

「おまえ……寝ぼけてるか?」

「ううん、まだ眠くない」

「……」

 ジンはため息をつき、言った。

「マリア=コルディーヌ姫。つまりあなたは、今の私の話を全面的に信じてくださったわけですね?」

「んーと……わからないところもあるけど、でもジンは、わたしを助けてくれるんでしょう? それはとっても嬉しい……です」


「オレのこの格好を見て、なにか感じないか?」


「え?」

「オレは魔法使いだ。世間並の道徳感とか助け合いの精神なんてものは、魔法使いには通じないぞ。そんなにすぐにオレを信用していいのかな? 魔法使いには注意しろと、父王や周りの者たちは教えてくれなかった……ようだな」

 悪ぶって語っていたジンだが、コニィがなんの反応も示さないので、だんだん力が抜けてきた。

 まったく、どこかの国が攻めてきたら、あんなお人好しだらけの国、ひとひねりだぜ、とブツブツつぶやいていると、コニィがようやく口を開いて尋ねた。


「ジンは信用できないの?」


 率直な問いかけに、魔法使いはうろたえた。

「あ、いや、今回は信用してもいいんだけど……」

 じゃあ問題ないじゃない、変な人、というようにコニィはジンを見上げて、にこにこしている。

 このままコニィのペースに乗せられっぱなしでは、あやかしをなりわいとする魔法使いの沽券(こけん)に関わる。

 ジンはエキゾチックな顔に、うんと魅惑的で悪っぽい笑みを浮かべて言った。


「少なくともフォルトーニオ王子を救い出そうとしているのは、()()さ」


「じゃあ、よろしくね」

「ええ、素直で善人のマリア=コルディーヌ姫」

 ジンはからかってそう言ったが、コニィはやっぱりぽわぽわ笑っていた。

 

 ◇◇◇


 そのあとはジンの手配で、コニィは立派な宿に泊まることができた。

 ジンは魔法使いのシンボルである黒マントの代わりに商人が着るような服を身につけ、完全に一般人を装っていた。コニィとの関係は腹違いの兄と妹ということになり、宿賃もジンが払った。

 コニィがお礼を言うと、

「なに、石ころを宝石に変えるのは得意だ」

 と片目をつむってみせた。

 こんなふうに決して善人とは言いがたいジンだが、なかなか紳士的なところもあり、コニィのためにいつも清潔な寝床と、良い食事を用意してくれた。

 ジンとの道中は快適で順調だった。

 きっかり七日目に、エリゼッタ王女の住む城が見えるところまで辿り着いた。

 ジンはコニィに一通の封書を渡して言った。


「それを持って城へ行くんだ。王女付きの侍女として雇ってくれるはずだ。いいか、絶対に自分の本当の身分やフォルトーニオ王子のことをしゃべるんじゃないぞ。まずは侍女として王女に近づいて信用を得るんだ」


「ジンはどうするの?」

「オレは、そうだな、王女に結婚でも申し込むかな」

 ジンは意地悪く言った。

「噂に聞こえたわがまま姫を追いつめて追いつめて追いつめるのが、オレの役目だ。そこで救いの手を差し伸べるのが、おまえさんというわけさ。うまくやれよ、マリア=コルディーヌちゃん」

 こうしてコニィはジンが捏造した紹介状を持って、城の門を叩いたのだった。

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