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二章 コニィまたはマリア=コルディーヌ〜趣味はお魚を見ることです。(2)

 

 色っぽい妖精と化け物ガニが去ったあと、池から城の庭に這い上がった笛吹きは、とんでもないことになったと青ざめていた。

 彼の目の前で、姫が甲羅に吸い込まれてしまったのである。

 あの綺麗な少年も甲羅に戻ったから、今ごろ見つかって酷いめにあっているかもしれない。


「いったいどうすりゃいいんだよぉっ」


 笛吹は池のほとりで、頭を抱え込んだ。

 あの姫さまは、国王のたったひとりの子供で、この国の次期女王である。また、あの気のいい国王さまにとってお妃さまが残した、たった一人の愛娘だ。

 その大事な娘が甲羅の中に消えてしまったなどと、どうして言うことができようか。

 かといって自分一人では、姫を助ける方法もわかならない。

「ああっ、だからおれは嫌だって言ったんだ。妖精とか魔物とかの領分に人間が踏み込むものじゃねぇって、何度も言い聞かせたのに」


 そのときだ。


 池の中から、にょきっと白い手が生え、笛吹きの足をつかんだ。

「ひっ」


 凍りつく笛吹きの前に、コニィのとぼけた顔が現れた。

「あ、あんた、姫さん、無事で──」

「ただいま」


 コニィは、なにごとなかったように、あっさりと言った。

 笛吹きはすっかり気が抜けて、コニィがスカートの端を両手で持って水を絞るのを見ていた。

 するとコニィが、笛吹きのほうを向いて言った。


「あのね、ありがとう」

「は?」


 笛吹は思わず聞き返した。

 急になにを言い出すんだ、この姫さんは。

 コニィは笛吹きの困惑など知らぬげに、にこにこ笑っている。

「お礼がしたいんですけど、うちはそんなにお金持ちじゃないから……でも、なにか欲しいものはありますか?」

「……おまかせします」

 と笛吹きは言っていた。


 ◇◇◇

 

 笛吹が銀色のイルカの像を抱いて、しきりに首をひねりながら帰っていったあと、コニィはまっすぐ父王のもとへ行った。

「お父さま、お願いがあります。わたしにバイオリンとお歌の先生をつけてください」

 日頃ものをねだったりしない娘の、はっきりとした意思表示に、父王は戸惑い気味に言った。

「バイオリン……かね?」

「うん、明日からでもお願いします」

「まぁ、別にかまわんが……しかし、コニィ、歌というが、おまえ……」

「?」

「いやいや、なんでもない」


 国王は口にしかけた言葉をあえて飲み込んだ。

(まぁ、じきにわかるだろう……)


 父の危惧を察するような鋭さは、残念ながらコニィにはない。

 本人はひたすら音楽に対する情熱に燃えていた。


 こうして、早速コニィの音楽修行がはじまった。

「うちの姫さまは、いったいどうなさったんだい? 人が変わったみたいじゃないか」

 レッスン室から、なんの前触れもなく聞こえてくる騒音にびっくりしながら、城で働く人々はささやきあった。

 部屋の中をのぞけば、真っ赤な顔でバイオリンと()()()()()()()()()姫の姿を見ることができただろう。

 弓を動かしても音は容易に出ず、やっと出たかと思えば、城がひっくり返るかと思うようなとんでもない怪音だ。

 バイオリンがしゃっくりしているみたいだ。


 コニィにつけられた教師は、父王がわざわざ隣国から招いた高名な音楽家だったが(国内には適当な人物がいなかったのである)、アドバイスをしようにもどうしていいのかわらず、茫然と突っ立っていた。

 弓を握りすぎて手が痛くなっても、バイオリンを顎に押しつけすぎて痣ができても、コニィは弾き続けた。

 そのうち弦が切れてしまうと、ようやく教師の出番となるのだった。

 新しい弦を付け替えながら、教師はぽつりぽつりとつぶやく。


「あまり根をつめませんように。誰だってはじめから上手く弾けるわけではないのですからね。気長に練習なさることです」


 コニィは素直にうなずく。

 教師の胸は、罪悪感に痛んだ。

 気長というのがどれくらいの時間をさすのか、幾種類もの楽器を自在に演奏し、オーケストラでは指揮者も務める彼にも、まるで見当がつかなかった。

 コニィが気まぐれな姫君で、遊び半分でレッスンを受けているというなら、教師もこんなに居心地の悪い思いをせずにすんだはずだ。

 ところがこの姫ときたら、本当に一生懸命なのである。

 手を抜くとか怠けるとかいった考えは、最初から彼女の中には存在しないようだった。

 情熱だけ見たら、過去の天才たちと肩を並べるだろう。


 ただ、天才たちが己の芸術世界を深めるため、魂を削って音と戦い抜いたのに比べ、()()()()()()()()バイオリンを、姫が必死に弾き続ける理由が、教師にはわからなかった。

 特別音楽が好きというわけでもなさそうだし、芸術的感性が優れているようにも、まったく見えない。


 ならば彼女は、なんのためにバイオリンを弾くのか?


 その理由はコニィ本人と、城で飼われている巨大ガニのブクブクだけが知っていた。

 レッスンの合間にコニィは池に出かけて、ブクブクに手招きして話しかけた。

「ねぇ、ブクブク、今日は最初からちゃーんと音が出たのよ」

 そう報告しても、ブクブクが返事をするわけではない。

 それでもコニィは、にこにこと話し続けた。


「待っててね。わたしがきっとブクブクを、そこから出してあげる。約束だもんね」


 指切りするみたいに、コニィの指がブクブクのはさみを、ちょこんとつつく。ブクブクは戸惑っているみたいに、目をきょときょと動かした。

 この様子を池に住む魚たちが、うちのお姫さまは大丈夫なんでしょうかねーというように眺めている。


「じゃあ、わたしレッスンがあるから行くね。今日からお歌のレッスンもはじめるのよ。今朝、声楽の先生がお城に到着したの。まだ若くて、とっても綺麗な女の人よ。今度ブクブクにも会わせてあげるね」


 そう言って、コニィは転びそうになりながら建物の中に戻っていった。

 魚たちはカニの周りに集まり、どうするんだよ、と赤い甲羅を口でツンツンつついた。姫さまに本当のことを言ってやれよ、というようにも見える。

 カニは困ったようにうつむく(実際にうつむけるかどうかは置いておいて)。

 甲羅の中で金髪の美少年は、苦笑しているかもしれなかった。


 と、いきなり水面をビリビリ震わせるほど、めちゃくちゃな──調子っぱずれな歌が聞こえてきた。


 魚たちはびっくりし、池の中を逃げ回った。

 歌声はまだ続いている。

 家来たちも仕事どころではなく、声のする方向に駆け込んだ。

 レッスン室では、コニィが胸をいっぱいにふくらませて、音程がはずれた歌もどきを、舌ったらずな声で絶唱していた。

 そのすぐ横では、今朝城へやってきたばかりの若い声楽教師が唖然としている。

 やがて声楽教師は説明を求めるように、隣で腕を組んで一見悠然として見える高名な音楽家のほうを見た。

 音楽家は軽く肩をすくめ、ため息をついてみせた。


 ◇◇◇


 コニィと、高名な音楽家と、若い声楽教師の、新たな苦闘がはじまった。

 コニィは一生懸命に弾いて歌えばよかったが、二人の教師は良心の痛みと戦わねばならなかった。

 姫はこれ以上ないほど頑張っている。

 なんとか姫の努力が報われるようにしてあげたい。

 しかしこればかりは、自分たちのキャリアとスキルを持ってしても、どうしようもなかった。


「わたくし、近頃では就寝前に祈っておりますのよ。わたくしのとるにたらない能力を、ほんの少しでも姫さまにわけてあげられるものなら、そうしてくださいって」

「わかりますよ、今となっては頼るものは神以外ない」


 二人はそうやって慰め合うのだった。


「素直で一生懸命だし、いい生徒なんですけどね」

「だから問題なのですよ」

「ええ、そうですわね。わたくし、自分がとてつもない大悪人のような気がしますわ。いっそ教師の役目を放棄して国へ戻ろうかと……」

「それはいけない! 唯一の同士に去られたら、私はどうすればよいのですか」


 二人があれこれ言い合っていたころ、城の人々も仕事を妨害する騒音に対する議論を重ねていた。

 姫さまに悪気がないのはよくわかる。

 わかるが──このままだと落ち着いて仕事ができない。

 井戸から水を汲み上げる最中、突如背中をどつくようなバイオリンの悲鳴に、せっかく引き上げた桶を落としてしまった者。

 牛をばらしたものを鍋に放り込んで出汁をとっている最中、ドアの隙間から忍び入る怪しげな歌声に気分が悪くなってしまった料理人たち。

 お針子たちは指に嫌というほど針を刺し、大臣は報告書に姫が歌った歌詞を書いてしまう。

 鶏は卵を産まなくなり、ヤギは乳を出さなくなった。


「姫さまに音楽を──せめてお歌だけでも、やめてもらいましょう」


 メイド頭の女性が言い、みんな一斉にうなずいた。

 彼らの言い分は、その日のうちに国王に伝えられ、国王から娘に申し渡された。

「その……な、コニィ。おまえ、自分で気づかなかったかね?」

 父王は言いづらそうに教えた。

「うちの家系は代々音痴なんだよ。だから私も人前で歌ったことはない……おまえも私の血を引いているからなぁ……」



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