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二章 コニィまたはマリア=コルディーヌ〜趣味はお魚を見ることです。(1)


 その城は、水をたたえた堀に囲まれて建っていた。

 かつては難攻不落とうたわれた名城だが、今は国も時代も平和である。

 敵の侵入を防ぐ目的で作られた堀では、海から流れてきた魚が楽しそうに泳ぎ回っており、城内に続く吊り橋は、外から来るの客人のためにいつも降ろされていた。


 城に住む人々も、平和に、のんきに、暮らしている。


 国王コンスタン四世は、財政にも外交にもそれほど熱心ではなく、仕事といえば村人たちから持ち込まれる陳情を、うんうん、と聞いてやって、適当な判決をくだすだけだったから、毎日たっぷり時間があった。

 菓子作りが趣味で、専用の厨房にこもり、季節の果物を使った焼き込みパイや、動物の形をしたクッキーを焼いて喜んでいた。

 そんなわけで、城内にはいつもお菓子の甘い香りが立ち込めていた。


 妃はずっと前に亡くなってしまったが、姫が一人いた。

 今年十六歳になったばかりで、マリア=コルディーヌという名前だったが、長ったらしいので、みんな「コニィ」「コニィ姫」と呼んでいた。

 国王の趣味が菓子作りなら、コニィの趣味は魚を眺めることだった。

 城の庭にはひょうたんの形の大きな池があり、別に珍しい魚をいっぱい飼っていたので、コニィは池のふちで膝を抱えてぺたんと座り込み、毎日、飽きもせずに、縦縞模様が素敵なスマートなボラや、ギザギザの背びれがカッコいい夕焼け色のタイが泳ぐのを見ていた。


「うちの王さまと姫さまは、親子そろって変わってる」


 家来たちはよくそう口にしたが、決して軽蔑したり嘲笑ったりしているわけではなかった。

「あんなに質素で庶民的な王さまはいないよ。菓子を焼かれるとおれたちにも振る舞ってくださるしな」

「姫さまも、ちょっとばかし、のんびりやだが、宝石や衣装をねだることもないし、わがままを言うわけでもない。いい娘さんさ」

 近所の親子の話でもするように、あれはいい子だ、いい旦那だ、と語りあうのだった。


 ある日、一人の漁師が、大きなカニを荷車に乗せてやってきた。

「立派なカニでしょう! こりゃあ王さまに買っていただくしかないと思って、持ってまいりました。どうです、王さま」


「うむむ……」


 カニのあまりの巨大さに、国王は戸惑っていた。

 これは娘と二人では、とても食べきれまい。カニパーティーでも開いて城内のものたちにカニのスープでも振る舞おうか。しかしこの暑い夏に、熱々のスープはさぞつらかろう。

 網をぐるぐる巻きつけてある甲羅に、国王はちょっとだけ手をのばした。とたんに大きな二つの目がぎょろりとこちらを向いた。

 国王はワッ! と叫んで尻餅をついた。

 慌てて駆け寄る漁師の手を借りて起き上がりながら、

「すまぬが、どうも私にはうまい方法が思いつけんので、よそへ持っていってくれんかね」

 と国王が言ったとき、コニィが通りかかった。

 カニを見て、

「わぁっ」

 と小さく歓声をあげる。


「綺麗ね、綺麗なカニね、お父さま」

「そうか? おまえがそういうなら池で飼おうか」

「うん、そうしてください」


 父と娘は、にこにこと笑いあった。

 つられて漁師もへろへろ笑った。

 こうして巨大ガニはブクブクと命名され、城で飼われることになった。


 ブクブクはコニィのお気に入りだった。


 陽射しの強い日は、頭に修道女のような布をかぶり、雨の日は傘をさし、ブクブクを見てうっとりしていた。

 ブクブクのきらきらと輝く赤い甲羅や、真珠みたいにこぼれだす泡、リズミカルな横歩きも、くりくりした目も、コニィはみんな大好きだった。


 この世に、こんなに綺麗な生き物はいない。


 ブクブクを見ていられることは最大の幸福だというふうに、何時間でもぽーっと眺めていた。

 あんまり長々と見つめられてブクブクも恥ずかしいのか、ときどき『なんだよォ』というようにチラッとコニィのほうを見る。

 そうするとコニィは平和で少々間の抜けた、にこーっという笑みで応える。ブクブクはもっと恥ずかしくなるのか、池の中にちゃぷんと飛び込んで、しばらく顔を見せない。

 だけど池にひかれた水はとても綺麗で澄んでいたので、ブクブクがなにをしているのかはすぐにわかった。カニとは思えない優雅さで水の中をすいすい泳ぐブクブクの姿は、これまたコニィをうっとりさせるのだった。


 ひとつ不思議だったのは、正午から三時までのあいだ、ブクブクがいなくなってしまうことだった。もしかしたら、うんと深く潜って海藻の影に隠れているのかもしれないが、その三時間はコニィがいくら探しても姿が見えない。


(ブクブクは、お昼寝の時間なのかなぁ?)


 のんびりした性格だったので、コニィは一応そんなふうに納得しており、謎は謎のままだった。

 その日も正午になってブクブクの姿が見えなくなり、他の魚を見ていると、突然、ザパ──ン! という水しぶきとともに、人間の顔が現れた。


(海坊主!)


 さすがにコニィも腰を抜かして悲鳴を上げかけたが、海坊主──いや、そう見えた人間は、ぶるぶると首を横に振って訴えた。

「お、お静かに、姫さん。おれは別に怪しいもんじゃありません。ほら、さっき姫さんに金貨を恵んでもらった笛吹きですよ。ほらほら、覚えてらっしゃるでしょ」

 男は腰から水びたしの笛を抜きとり、口もとにあてた。


「ああ、あの……」


 コニィもようやく胸をなでおろした。

 お昼前に、城の橋のところで笛を吹いている旅回りの芸人に、コニィは城の窓から金貨を投げてあげたのだ。

「いや、姫さんが投げてくれた金貨が、運悪く堀の中に落ちてしまいましてね。水の中まで拾いに行ったんですよ」

 笛吹きは水をぽたぽた垂らしたまま、興奮した口調でしゃべりはじめた。


「ところが、もぐれどもぐれど底が見えない。こうなりゃ意地だと思って、どんどん泳いでいったら、いきなり目の前がパーッと明るくなってね、デカい水槽の中にいたんですよ。

 でもって、その水槽ってのが、淡いブルーのカーテンで囲まれた大広間だったんです! 床も、天井も、全部水晶で、カーテンをめくってみたら壁もやっぱり水晶で、総水晶ばりだ!

 家具は、細長いテーブルとソファーだけで、そのテーブルに、銀の皿だのガラスのグラスだのが並べてあるんです。

 そこへ誰かがやってくる音がして、俺は慌ててカーテンの中に隠れました。そしたら──」

 

 笛吹きはここで一旦息を止めた。

 立て続けにしゃべって喉がかわいたのだろう。コニィはバスケットからオレンジを出してすすめた。


「あ、こりゃすいません」


 笛吹きは遠慮なくオレンジにかぶりつき、喉のかわきがおさまると、せっかちに話を続けた。

「なんと姫さん! 水槽の中に現れたのは、でかいカニに乗った緑色の髪の、むちゃくちゃ色っぽい美女だったんですよ。裾の長い真っ白なドレスを着ていてね、頭に白い花の冠をかぶっていて、水の中から出てきたばかりだってのに、緑の髪も服も全然濡れてないんです。ありゃあきっと海に住む妖精──」


「カニって、大きかったの? これくらい?」


 笛吹きの迫力に押されて黙って話を聞いていたコニィだったが、珍しく人の話を遮り、両手を横いっぱいに広げてみせた。

「そうですね。とにかくあんなに、でっかくて立派な様子をしたカニを見るのははじめてでしたね」

「ブクブクだぁ」

 コニィは驚きとともに、つぶやいた。

「ブクブク?」

「お城の池で飼っている、わたしの大好きなカニなの。すごく綺麗で、大きくて。それでブクブクはどうしたの?」

「姫さん、そいつが本当なら、あんたはとんでもないもんを飼ってらっしゃるね。あのカニ、わけありですよ」


「わけあり……って?」


「妖精と一緒に、こう水晶の壁をするーっと抜けて水槽の中に入ってきたあとね、女が金の鞭でカニをピシピシと叩いたんです。そしたら甲羅の真ん中から出てきたんですよ。世にもべっぴんな若さまが」

 笛吹きは大真面目に言い切った。


 べっぴんな若様とカニのブクブクがどうしても結びつかず、ぼーっとしているコニィに、笛吹きはさらに、妖精がもう一度鞭を振ると、空っぽの皿にうまそうな料理が湯気を立てて出現したこと、二人はソファーに座って料理をすっかり食べてしまうと、ダンスをはじめ、やがて妖精が若者をカニに戻し、水槽から出ていったことなどを、話し続けた。


「そんでおれも水槽から出て泳いでいるうちに、なんとしたことか、この池に出ちまったというわけです。おそらく外の堀と地下の部屋とこの池は、水路でつながっとるんでしょう」

 笛吹きがここまで話したとき、水面に赤い影が浮かんだ。


「あ……」


 ブクブク、と言いかけたコニィの手を引っつかみ、笛吹きはドドドッと駆け出した。

「間違いないですよ、姫さん! ありゃ、あんときの化け物ガニです。ひぇ〜、びっくりしたなぁ」

 池から離れて走るのをやめてからも、しきりにひぇ〜、ひぇ〜、と驚いていた。

 普段めったに走らないコニィは、ぐったりして芝の上に座り込んでしまう。


「おや、コニィ」

 ほのぼのした顔で通りかかったのは、父王だった。

 手に、紫の実がぎっしりつまったパイをのせている。


「ごらん、美味しそうだろう? ちょうど三時だし、お茶にしようじゃないか。お客人も一緒にどうかね」

「へ? お、お客人って……」

 笛吹きは目をぱちくりさせた。

 ようやく乾きはじめたものの、彼のシャツもズボンもぼろぼろである。

 なのに国王は彼をお客人と呼び、一緒にお茶を飲まないかと誘っている。こんな妙ちきりんな国王に会ったのは、はじめてだった。


 十分後──笛吹きは狐につままれた顔で、国王親子と一緒にお茶のテーブルについていた。


 国王は期待に満ち満ちた眼差しで、笛吹きがブルーベリーパイを口に入れるのを見守っている。

「う、うまい! いや、おいしいでございます」

 笛吹きの言葉に、国王は上機嫌で、どんどん食べなさい、よかったらお土産に持ってゆきなさい、とすすめた。

 笛吹きも、もともと物おじしない性格だったので、緊張がとけると、とたんに饒舌になり、旅で見聞きした面白い話などをしゃべりはじめた。

「いや、だけど今日ほど。すげぇ体験をしたことはありませんでしたよ」

 そう言ったら、コニィに服の裾をきゅっとつかまれて、口をつぐんだ。


 コニィが、だめだめというように首を小さく横に振ったからだ。


 帰り際、コニィは笛吹きをわざわざ橋まで見送り、こっそりささやいた。

「あのね、明日のお昼に、もう一度来てください。わたしも水槽のお部屋に行ってみたいの。案内してください。お願いします」

 笛吹きは、とんでもないと断ったが、コニィはお願いします、お願いします、と頭を下げ続けた。

 一国の王女にこんなふうに低姿勢で頼まれて、むげにできるものではない。

 結局笛吹きは、明日もまた城へ来ることを約束させられたのだった。


 ◇◇◇


 性格と同様に動作もおっとりしていて、およそ運動神経というもののなさそうなマリア=コルディーヌ姫だったが、水泳だけは得意だった。

 正確には、水にただふよふよ浮いていたり、深く潜ってゆくのは得意だが、長い距離を進んでゆくとなるとちょっと問題があった。

 どういうわけか、かいでもかいでも前に進まないのである。


 そんなわけで笛吹きのあと続いて池に飛び込んだまではよかったが、すいすい泳いでゆく彼との差は開く一方で、笛吹きは仕方なく、コニィの手を引っ張って泳ぎはじめた。

 なにぶん人の住まぬ水の底である。

 とろとろと進んでゆくうちに、笛吹きもコニィも酸素が恋しくなってきた。

 目をおっきく見開き、頬をぷっくりふくらませ、双方とももう限界だと思ったとき、頭上が明るくなった。


 水槽の中で、二人はしばらくのあいだスーハーと息を吸い込んでは吐き出していた。


 中は笛吹きの言ったとおり、水晶の部屋だった。

 きょろきょろするコニィを、笛吹きはカーテンの後ろへ引っ張った。

 そんなに待たないうちに、ブクブクが背中に緑の髪の美女を乗せてやってきた。

 息をひそめて見守るコニィの前で、甲羅がパカッと割れて、中からやわらかそうな金色の髪と、澄んだ青い目の美少年が現れた。


 コニィは吸い込まれるように、少年を目で追っていた。


 心臓がドキドキして顔がほてってゆく。


 ブクブクが、こんなに綺麗な男の子だったなんて。

 ブクブクも海の妖精なのだろうか?

 だけど、そんなことはどうでもいい気がした。

 赤い甲羅をキラキラ輝かせたブクブクを、コニィは大好きだったけど、人間の少年の姿になったブクブクはもっと素敵だと思った。

 食事を終え、少年と美女は楽しそうに踊りはじめた。

 コニィはそっとカーテンから忍び出て、脱ぎ捨てられた甲羅のほうへ近づいていった。

 二つに割れた甲羅は、またぴったりとくっついている。けれど目は閉じたままで、まったく動かない。


「おいおい、姫さん」


 笛吹きが身振り手振りで戻るように言うが、その前にコニィの手が甲羅にふれた。

 とたんに強い力で、コニィの体は甲羅の内側に引きずりこまれてしまった。

 不思議なことにコニィが尻餅をついていたのもまた、水晶の部屋だった。

 赤いカーテンでおおわれており、カーテンの隙間からそっとのぞくと、少年と妖精が踊っていて、青いカーテンの隙間から顔を出して呆然とする笛吹きの姿も見ることができた。

 こちらの部屋には生活に必要なものが一通りそろっていて、クローゼットを開けると、きらびやかな衣装がずらっと並んでいる。

 好奇心のままあちこちのぞいていると、突然壁や天井がぐらぐらと震え、金髪の少年がすべりこんできた。


「あれっ、きみは」

「こ、こんにちは。おじゃましています」


 澄んだ青い目を見開く少年に、コニィは顔を赤らめながらもじもじと挨拶した。

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