切手
ある時、若い女が郵便局に配属された。女は初めのころまだ表に出してもらえず、裏の地味な仕事ばかりやらされていた。配属されて数か月後、女はとある男と相まみえた。男は足腰が弱いのか常に杖を突き、折れ曲がった背と河童のようにきれいな頭が特徴的であった。男はゆっくりと受付まで来ると、女を見て不思議そうにした。それを見た同僚は男に女を紹介した。
「おじいさん。この子はこの前配属されてきた子なの。よろしくお願いしますね。」
「あぁ、そうなんですか。見たことが無かったから、入る場所を間違えたかと思いましたよ。私もついにボケたのかと。」
男は笑っていいのかわからないタイプの冗談をいい、場をしらけさせました。
「えぇと、おじいさんは本日どのような御用で……?」
「あぁ、忘れるところでした。わたしももう年でねぇ、すぐものを忘れてしまうんですよ。この前も……」
男は目的を忘れ世間話を始めました。女は困り果て、止めるわけにもいかないし、だからと言って続けるのはいかがなものかと考えました。
「それでなぁ、あの時の妻の顔と言ったら!」
「奥様がいらっしゃるんですか?」
「えぇ。妻がいまして。ってそうだった。新しい切手はありますかな?」
「切手でしたらこちらにございますよ。何円ですか?」
「いえ、それらは全部持っているんです。他のものはありますか?」
「いえ、こちらのもので全てです。」
「そうですか……じゃあ帰ります。ありがとうございました。」
ないと分かったとたん、男はそそくさと帰っていった。女はあっけにとられ呆然としていた。
同僚によればあの男は毎日やってきては切手を要求し、新しいものがないことを知ると帰っていくのだそうだ。所謂切手コレクターというものらしい。女は率直に疑問をいだいた。なぜ切手を集めているんだろう。女は失礼のないように気を付けつつも男に聞いてみることにした。
「え?切手を集める理由……ですか?」
「はい。失礼でなければ教えていただけないかなと。その、気になってしまって。」
「なるほど。ですが、そう難しくありませんよ。ただ、亡き妻との思い出を増やしたいだけなのです。」
「奥様との思い出……ですか?」
男はまるで若返ったかのように意気揚々と話し始めた。
昔々、まだ男が学生だった頃。男はとても地味な青年であった。男は毎日勉学に励んでいたが、人間づきあいに興味を持てず一人慎ましく学業に励んでいた。とあるとき、消しゴムを落としてしまい、拾おうとしたときだった。隣の席の女学生が先に拾いやさしく男の手の中に消しゴムを包ませ笑顔を浮かべた。
男はその時初めて月の美しさを実感した。
それからというもの、男はどうにかして女学生を振り向かせるために努力するようになった。朝に挨拶をして顔を覚えてもらったり、授業中のペアワークの際に世間話をするなど今まで避けていた人間関係を構築し始めた。そうすると次第に人というものが好きになり、どんどんと男の周りには人が集まってきた。
男はきっかけをくれた女学生への気持ちがどんどん高ぶっていくのを感じた。そして卒業までに交際を果たすことを目標にした。ありとあらゆるアプローチを考えたが、どれもこれもしっくりこなかった。男は行き詰まりふと机の上の消しゴムに目をやった。消しゴムの外側には切手のような絵柄のカバーがつけられている。男は亡くなった祖父が切手を集めているのを思い出し、探し出した。だが思っていたよりも数が少なく、彼女にアプローチするには見栄えが悪いのだった。男はまたもや一から考える日々を過ごした。気が付くともう卒業間近になっていた。
もはやこうなればアタックするしかない。男は何かの役に立つかもしれないと切手を1枚もって女学生のもとへ行った。女学生は急いでやってきた男に驚きながらもにこやかに迎えた。男は告白しようと口を開けたその時、後方から強く風が吹き男の背中を押したかのように切手を女学生の手に渡らせた。女学生は切手を見てきれいだというばかりに目を輝かせた。男は勢いに任せることにした。
「私と共に一生をかけて切手を集めませんか。といった時の妻の笑顔と言ったら……。いつまでも忘れることはありませんよ。」
「切手は奥様との交際のきっかけになったんですね。」
「あらゆるところへ旅行して切手を集めてきましたが、すべてを手に入れることはできず、妻は集めきる前に死んでしまいました。ですが、私は彼女と死ぬ前に約束したのです。集めきることを。」
女は男の野望をかなえてやりたいと考え、郵便局の同僚、上司たちに相談した。みなその考えに賛成し、局長はほかの郵便局に切手をあるだけ用意してくれないかと頭を下げた。ありとあらゆる切手がこの郵便局に集まり始め、時間がたつにつれその業界では有名になってしまった。
男が妻との記憶を話した数か月たったある日、昨日まで毎日何年も欠かさずに来ていたはずの男がやってこなかった。何日も来なかった。局長は男が独居老人であるため孤独死している可能性を鑑みて、警察に連絡をした。警察が男の居所を調べると現在病院で療養中とのことだった。なんでも数年前に癌になったが切手を集めることを優先し手術しなかったそうだ。ついに先日倒れてしまい、運ばれたらしい。病院に見舞いに行った女は、沢山の土産を手にびょうしつに入った。
「失礼します。おじいさん、お久しぶりです。郵便局のものです。」
男にはあらゆる管が刺さっており、仰々しい見た目になっていた。男の容態はかなり悪く、端的に言えば虹の橋にもうすぐでたどり着きそうな状態である。男は照れたように、そして悲しみを隠すように笑って見せた。
「もう切手を集めることもできなんだなぁ。」
「いえ、そんなことはないですよ。」
「でもどうやって集めるというんです?私はもう出歩けそうにはないですが。」
「出歩く必要はありません。すべてはここにありますから。」
「え?どういう意味ですか?」
「おじいさんの夢をかなえるためここ数か月、我々各地郵便局は切手をかき集めました。そして、できる限り種類を揃えました。いくつかの種類はかなり古く手に入らないものもありました。」
「本当ですか……?古いものは大体揃えているから大丈夫だと思います。」
「それならよかった。」
「お嬢さん、頼みたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「なんでしょう?」
「私の家に行って切手を入れてるファイルを持ってきていただけませんか。」
「わかりました。お任せください。」
女は男に家の場所をきき、1時間ほどで帰ってきた。
男は女からファイルを受け取ると、一つ一つ眺め始めた。
「あぁ、懐かしい。二人でいろんなところに行ったなぁ。」
「たくさんあるんですね。それでは、そちらのファイルをお借りしてもよろしいですか。」
「えぇ。」
女は男が思い出に浸る前に集めた切手たちをファイルに入れることにした。
莫大な量の切手たちをファイルに収める作業はかなりの時間を要した。まず年代ごとに割り振り、その後一つ一つ丁寧に収めていった。
女の努力の末、その日のうちに切手フォルダーは完成した。男は涙を流しながら言葉をこぼした。
「あぁ、ありがとうございます。ありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいのか。」
「いつもお越しくださったお礼ですよ。喜んでいただけてうれしいです。それでは、私めは帰らせていただきますね。」
「ありがとうございます、本当に。」
男は満面の笑みで女を見送った後、窓の外に広がる夕日を見てつぶやいた。
「これでようやくあなたのもとへ行けますね。」
数週間後、男はこの世を去った。その手には切手の入ったファイルを握ったまま、幸せな顔をして眠るように。その知らせを聞いた郵便局の一同は葬式に参加はしないものの、その後幸せに過ごせるよう祈った。その日から女はあの時の男の嬉しそうな顔を思い出し、一日仕事に励むようになった。
男は天国で妻と共に切手を眺め仲良く過ごすのであった。