第8話 ゆめがたり 巻の参
桃里が見た不思議な夢の続きです。
この作品はフィクションであり、作中の国、歴史、文化、人物などは現実とは一切関係ありません。
<桃里語り>
翌々年の大晦日、大学3年生の時に見た夢だ。
昨年の夢がかなり衝撃的だったので、あの後、お姫様と想いが通じ合えたのか時々思い出しては気になっていた。2人の想いはさらにすれ違っていたが……。
そして昨年、年末年始を過ごした神楽家を去る際には、夢の中のお姫様と紅玉がよく似ていることに俺は気づいていた。
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俺はお姫様の肩を掴み、
「君が俺から離れるなんて、あいつと一緒になるなんて絶対に許さない!」
そう怒りながら言うと、
「離して!ほかの方を想っているのに、どうして私にそんなことをを言うの⁉」
いつも大人びた冷静な語り口だった彼女が、年相応の話し方で抵抗の声を上げた。
ふと正気を取り戻した俺は、自分勝手な言動をとっているにも関わらず、カチンと来て、
「だから、君のことが好きだと何度言えばわかってくれるんだ。愛しているのは君だ」
と強い口調で伝えるも、
「嘘!うそよ、信じない。だって、あれほど……あれほど想って苦しんでいたじゃない」
そう泣きながら声を荒げた。こんな話し方をするお姫様は初めてだった。だがそれが本当に可憐で可愛らしくて。こんなに愛らしい姫を悲しませ続けていた事実に俺は愕然とした。
「あんな女のことなんて想っていない!もうすっかり忘れていた。俺が落ち込んでいたのは、ただ自分を憐れんでいただけなんだ。俺が想うのは、愛しているのは君だけなんだ!一体どうすれば証明できる?」
「その手を離して!あなたを望む女人は多くいます!私ではなく、その人たちのところにお行きになればよろしいでしょう?」
「他の女のところになんて行きたくない!」
そう伝えても、姫のこれまで堪えていただろう感情は、昂って一気に堰を切った様に溢れ出して止まらなかった。
俺の言うことなんてまるで聞いていなかった。
姫だって本当はわかっているのだ。俺が姫を本当に想っていることを。
先程までは気付いていなかったとしても、今ならわかったはずだ。
だが、俺が拗らせて想いを伝えなかったばかりに、姫の心を閉ざしてしまったのだ。俺のことを想ってくれていたのに……。
姫は俺を想いながら、俺に心を閉ざした。
そんな苦しい思いをさせたのは誰でもない俺自身だ。
俺に心を閉ざして長いこと我慢していたせいで、俺の言葉も想いも受け付けられなくなってしまっているのだ。
……全部、俺のせいだった。
「もう嫌!あなたなんて嫌い。あなたといると苦しいの。もうこんな思いは嫌」
彼女はボロボロと涙を流しながら言った。まるで悲鳴のような悲痛な叫びだった。
「もう君に苦しい思いなんてさせない。償うから。本当にごめん。これからは……」
そう必死で伝えていると、
「謝らないで!」
と遮られた。
「謝らないで……。もう同情はいいの。無碍な優しさはやめて。……お願い」
自分が姫につけた心の傷はあまりにも深かった。
彼女の肩を掴んでいた俺の手から力が抜けた。
彼女は呆然とし、涙を流しながら俺に背を向けた。
俺はその様子を眺めていることしかできなかった。
姫は部屋の出入り口の扉に向かった。
何処かに行くつもりなのかと心配になった俺は、自分も寝台を降りて彼女の後を追った。
もし彼女が警備の者を呼んで、婿とは言えよそ者の自分が無体を働いたからといって斬られたとしても、それならそれで良いと思った。恐れているのは姫が身投げでもしないかという心配だけだ。
本当に心から姫が心配で後を追いかけた。
廊下に向かう部屋の扉を開ける前に、姫は呆然とした虚ろな様子でその名を呟いた。
俺の世界は暗転した。
姫は扉を開けて、廊下に向かい再びその名を呼んだ。
それはあの幼馴染の従者の名前だった。
そして、
「どこにいるの?」
と廊下に向けて言った。
外は雪がしんしんと降っている。
俺はあの従者によって姫の部屋から出され、廊下の扉の前に立ち尽くしていた。
それでも姫の部屋の前で、姫が出て来てくれるのを待ち続けていた。
翌朝、女官たちが姫の部屋に入って行き、女官たちと共に部屋から出てきた姫に必死で声をかけたが、当然だが返事をしてくれることはなかった。
その後も部屋を出入りする姫を待って何度も話しかけたがほとんど返事はなく、ましてや笑いかけてくれるはずがなかった。
たまにくれる返事は「あなたが嫌い」のみだった。自分は「俺は好きだ」と返した。
数日経って、ようやく姫がふと立ち止まって背を向けたままだったが俺の話を聞いてくれた。
「この国に来て、君も、城の皆も、国の民も俺に優しくて暖かかったのに、愚かな俺は裏切られた自分への憐れみと、長く一緒にいた時間をなかなか捨て去れなかったんだ」
俺は何も言わない姫の小さくて華奢な背中に語りかけていた。
「君を傷つけた。だが元の国には戻さないでくれ。こんな俺のことは殺してくれて構わないから。そうしたら最後の時だけはまた笑いかけてくれないか。初めて会った時、君の笑顔にたまらなく惹かれた。その時からずっと好きだった」
そう言うと姫が小さく震えて泣き出したのがわかった。
俺は姫を抱きしめて、
「君が好きなんだ」
と語りかけ続けた。
姫は政事などの仕事を少しの間休むこととなり、その分を俺が担うことになった。もちろん俺は姫のためなら何でもやると決めていた。
俺は政事で大臣たちとの話し合いのため不在にする時以外は、ずっと姫のそばにいた。
国の資料を読む時も、食事の時も、そして眠る時も。ずっと姫の部屋にいた。
俺といるなんて嫌だろうと思ったけれど、姫を愛しているから姫のそばを離れないと決めた。そして追い出されることはなかった。
不思議なことに、姫があの従者を呼ぶことはなかった。
姫は大体の時間を自分の部屋で過ごしていたが、昼間の暖かい時は城の庭園を散歩したり、春を待てば綺麗な花が咲き乱れる、現代で言う温室のような場所を巡っていた。俺もそれに付き添い一緒に庭園を巡った。
庭園を散歩中、ふいに姫と目があって見つめ合った。姫は心を閉ざした目ではなく、俺のことを純粋な、不思議なものを見るような輝く目で、その目には俺への想いが宿っていた。俺が姫を見つめる視線にも姫への想いが込められている。きっと今、端から見た俺たちは想い合っている者同士にしか見えないはずだ。
俺がそっと顔を近づけると、姫はやはり「あなたなんて嫌い」そう言って瞳を閉じた。
俺は「それでも俺は君が好きだ」そう言った。
彼女が俺の袖をつかんだ。
帰り道、姫がふいに、
「かの女性、あなたの想い人のことは本当に良いのですか?」
そう尋ねてきた。久しぶりにまともに話しかけてきたので驚いた。
そして、俺は、
「俺の想い人は君だが?」
と当然そう答えた。
すると姫は、
「もとの国で、あなたの恋人だった方のことです」
そう少々ツンとした感じで言った。
俺はそう言われても嘘ではなく本当に思い出せなかった。
今聞かれるまで欠片も記憶になかった。
大袈裟ではなく、顔などもまったく浮かんでこなかった。
姫は心底驚いた表情で俺を見ていた。
俺は、
「姫。もう何の繋がりもない人を想い人とか、恋人と言うのはやめないか?」
と言った。
「俺たち2人の世界には存在しないのだから」
俺がそう言うと、姫は俺の容体を気にするような、ものすごく心配そうな表情で俺を見たあと、ふと微笑んだ。
久しぶりの笑顔を見て俺は涙が出そうになった。百年ぶりくらいに感じた。
俺と姫は再び邂逅したのだ。
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