エディット・ピアフ(女性シャンソン歌手1915‐63)/ノート046
●エディット・ピアフ(女性シャンソン歌手)1915‐63
売春宿を営む祖母、大道芸人を父とする。1935年、ナイトクラブを営むルイ・ルプレー(Louis Leplée)に口説かれて歌手となり、レコードや映画出演が舞い込む。ルプレーは身長142センチの小身から「小さなスズメ」(La Môme Piaf)の愛称をつけた。エディット・ピアフの芸名はこれにちなむ。ドイツ占領下で高級将校相手に歌いつつ、フランス兵捕虜収容所でも歌い、脱走を支援。「薔薇の人生」はそのころつくられた。1963年に癌により死去。
「アコーディオン弾き」L'Accordéoniste (1939)
https://www.youtube.com/watch?v=qvTg2OJfrfg
「薔薇の人生」 La Vie en rose(1945)……代表曲
https://www.youtube.com/watch?v=kFzViYkZAz4
出典 wikiより
ノート20170513
【備考】
●パリ20区のエディット・ピアフ広場/、『ピアフのバーで』(au bar de piaf / Bar de la Place Edith Piaf) という名のカフェバーがあるが関連は不明。
●ロランピア(コンサートホール) 28, boulevard des Capucines
1888年創業。エディット・ピアフやマドンナも壇上で歌った。