バトルィ号「幸運の船」/(ポーランド遠洋定期便船)/ノート044
●バトルィ号(ポーランド遠洋定期便船)1940年就航、1971年故障その後に(1974年香港で?)廃船。排水量14287t 全長160.4m 幅21m スクリュウ―2基。 速度18ノット。
もともとは遠洋定期便船で、フランス降伏時、亡命ポーランド軍兵を乗せ、ドイツ軍による空爆をくぐりぬけて、多くの兵員を輸送、英国に届けた。数多くの作戦に参加、兵員輸送船・病院船として活躍する。そのため「幸運の船」「歌う船」の異名がある。地獄をみてきたポーランド兵士たちも乗れば歌と笑いが待っていた。
非戦闘時は、最初ニューヨーク航路およびインド航路であわせて27万人以上の乗客を運び、最後はカナダ航路を定期周航した。
Wiki
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ポーランド亡命政府高官ミコワイチクによると、彼の部隊が任務を終えてピレネー越えをしてフランス臨時首都ボルドーにくると、ダンケルク攻防戦が始まり、ほどなく双方とも陥落。1940年6月22日に、サンジャン・ドリュから出港し最後のポーランド24000名兵士を英国に届ける。最終的に25万人の亡命軍となったポーランド軍の中核を担う(ミコワイチク『奪われた祖国ポーランド――ミコワイチク回顧録』広瀬佳一・渡辺克義 中央公論社2001 P24)。