モンゴリア号/モーム 『アンシャンデン』 登場の定期便船/ノート042
モーム『アンシャンデン』登場の定期便線モンゴリア号。
第一次世界大戦末、ロシア革命勃発、文豪にして英国MI6諜報員であったモームがアメリカから日本の船に乗り、横浜に上陸、ボート・トレインで敦賀港駅まで移動。そこから本船に乗艦、ウラジオストックにゆきシベリア鉄道に乗る。 ――当時は主要駅から埠頭に設けられた引き込み線・臨港鉄道を利用――ロシア東亜汽船のモンゴリア号(二九三七トン)。スパイ小説『アンシャンデン 旅は道連れシベリア鉄道』の作中にある。/『敦賀市史』wikiと照合。
追記
私は日本で諜報活動をしたのか期待したのだが、モームは日本の作家と接触しただけで大きな動きはないようだ。
後日談として、ロシア・ペトログラードでモームに接触したケレンスキーだが、同盟国・英国からの資金援助をとりつけることができた。しかし英国で計画を仕切っていた陸軍大臣チャーチルが、議会からバッシングを受けて、本格的な英軍派兵協力を得ることができなかった。結果、ケレンスキーはレーニンとの政争に敗れ外国に亡命。
ボルシェビキ率いるレーニンとその後継者スターリンは、当時の人口一億八千万人いたうちの二千万人を逆殺したといわれている。当時のペトログラードの様相はモームの作品『アンシャンデン』に示す通りだ。
帰国したモームは、体力を消耗しきって肺結核を患いサナトリュウムで養生し、画家ゴーギャンをモデルにした『月と六ペンス』を執筆。ドイツ暫定政権が第一次世界大戦後に降伏文書にサインするベルサイユ講和会議があった一九一九年、同書が出版されベストセラーとなった。
ノート2015.04.05