掌編小説 伯爵令嬢シナモン『南英エクスプレス』/ノート036
黄金の髪と碧玉の瞳をした〈姫様〉が小首をかしげて笑った。
まるでカジノのディーラーみたいな鮮やかさでカードを切る。
それからテーブルの上にカードの束を裏返しにして私の側に置いた。
「貴男がだすカードからキング四枚をあててみましょう。――まずは、いま置きましたカードをどんどんテーブルに置いていってください」
私は姫様のいわれるままに、カードを裏返しにしたまま、元の束の奥にまず二束、そこからさらに奥に二束ずつカードを置いていった。
少しすると、〈姫様〉が、
「お好きなところでストップしてください」
と続けた。
切りのいいところで私はストップをかけた。
結果。
目の前の切っていない束一つと、奥の束四つという形になった。
姫様が笑みを浮かべてその四束のカードを全部、表にひっくり返す。
なんて不思議なんだ。――ハート、スペード、クローバー、ダイヤ……四枚のカード全部がキングになっているではないか!
一九二一年、英国。
一九二一年といえば、第一次世界大戦終結から二年目だ。
また同年〝鉄道法〟が可決され、あまたあった鉄道会社は二年後の二三年一月一日をもって〝ビック・フォー〟と呼ばれる四大鉄道会社に統合されることになる。
ロンドン・ウォタルー駅。
四大鉄道会社の一つ・サザンに統合されることになるL&SW(ロンドン・アンド・サウスウエスタン鉄道)ロンドン始発駅は、幽霊がでてきそうなオンボロ駅で、ホームの屋根はみるからにみすぼらしく、あちこち痛んで崩落寸前。内部は迷路めいた複雑さで、プラットホームからむかいのプラットホームにゆくのに、歩行者は一度線路に降りてむこうへいったり、あるいは、駅員が歩行者用回閉橋のハンドルを回したりと大忙しだった。
評判の悪い例の駅は、旧駅舎本屋の激しい抵抗を受けつつ、それでも翌年二二年に、瀟洒な新駅舎にとって替わる計画だ。
おんぼろ駅名物・島形プラットホーム〈キプロス〉跡地には、石造の豪奢な宮殿のような新駅舎が、表玄関・ヴィクトリー・アーチのおまけつきで、完成しかけていた。ただ、最初の計画では二三番線をつくる計画だったのだが、実際につくられたのは二一番線までに変更になったというのが、いろいろと憶測を生むところ。
そんな駅には不似合いな列車がホームに停まっていた。
各鉄道会社の列車にはトレード・カラーがある。――L&SWの場合は〝サーモン・レット〟だ。鮮やかな紅とはいっても、ペイントして一週間もすると瞬く間に、テラコッタ焼きみたいな色に変色してしまうのだが、その列車が豪華仕様であったことには変わりはない。
西部本線特急。
車両は一等車から三等車があり、真ん中に食堂車がある。
同年、フランス・ファッション誌〝VOGUE〟の夏の装いは、花飾りの帽子、胸元が四角に開いた白いワンピースのドレスで、腰のくびれたところに青いリボンを結んでいる。――そんな格好をした少女が、喧騒絶え間ない憂鬱な迷路に風を送り込むようにしてから、お供の手を借り、一等車側廊に上がった。
ヴィクトリア朝時代のご婦人方の旅行は、殿方のエスコートを受けなければ許可されなかったものだが、息子であるジョージ五世時代になると、少し寛容になってきた。しかし慣習はそう簡単には変えられるものではない。
少女にはみるからに従者の男性と家庭教師と思合われる女性とがついていた。こういう上級下僕は紳士・淑女の格好をしているのがお決まりだ。従者にいたっては貴族めいた片眼鏡までしている。――相当の上流階級の家の・ご令嬢に違いない。
私は一等車両の個室でくつろいだ。
一等車の内装は、青のブロード布に金色のレースがついた窓の引手にまでついている豪華さがあった。
列車を牽引するのは、四つの動輪をもつ草色の車体、ドラモンドT9型機関車。これもまたエレガント!
汽笛が鳴った。
レンズパーク駅を抜け、サリー県、ハンプシャー県へと入る。
ここで「汽車の窓から」という詩をご紹介しよう。
妖精より速い、魔女より速い
橋や家屋、生垣や水路。
戦場の軍隊みたいに牧場を
牛や野原のなにもかもが
横なぐりの雨のように飛ぶ。
そしてときどき一瞬のうち
ペンキ塗りの駅舎が過ぎる。
這ってよじ登っている子がいる。
ひとりで野イチゴを積んでいる。
ほら、流浪者が立って見ている。
あっちは花輪がつくれる原っぱ!
道路を遠のく荷車がいる。
人と荷物ががらがら走る。
水車がまわる。
見るのは一目、一目で終わり!
私が子供のころ、俳優と女優だった両親が演じた『宝島』の原作を書いた作家ロバート・ルイス・スティーヴンソンの詩だ。
車窓の風景は緑の野原をわれらが特急列車が風を切ってゆく
サウス・イースタン・チャタム鉄道レディング支線が交差して頭上を越える高架橋があるあたりには飛行船格納庫があり、トロッコ・レールに乗せられた銀色の船体が牽引されて顔をだしているのが側廊の窓辺からみえた。
真ちゅう製の手すりに触れながら、私は、食堂車に入った。
いくつも並んだ四角いテーブル。
行儀よく座った例の少女が驚きの眼差しで食い入るように飛行船をみつめいていた。いや、無理もない。
「姫様、あの飛行船は鉄製アームで支えられた超大型飛行船に関心がおありのようですね。……全長は巡洋艦なみ、六百五十フィート(二百メートル)、否、それ以上だ。――ツッペリン型飛行船L77型。もともとプロイセン=ドイツ帝国の爆撃用だったものを、戦勝国・英国が戦利品にして持ち帰り、クルージング用豪華飛行船に改装しているって噂があります」
「貴男は?」
三三歳になった私が名乗ると、一〇歳の少女は椅子から立ち上がって、古風な作法〈カーテシー〉でお辞儀した。
「ザ・ライト・オノラブル・レディー・シナモン・セシル・オブ・レオノイズ。――よろしければシナモンとお呼びください」
ザ・ライト・オノラブルで貴族、レディー・シナモンでシナモン姫、セシル・オブ・レオノイズで、レオノイズ領主セシル家を表している。――城館大広間の肖像画に飾られているような大貴族のご令嬢だった。
私は、彼女と彼女の取り巻きに同席を許され、昼食をともにした。
作家エドガー・アラン・ポオにいわせると、美味しい英国料理とは、「朝食のサンドイッチ、昼食のサンドイッチ、晩餐のサンドイッチ」だそうだ。つまりそれ以外の美食は存在しないといわんとしている。ゆえに食事は、隣国・フランス風となるのは必然であろう。
メインディッシュのあとにだされたチーズと珈琲を口にしていると、姫様が、余興でカードゲームをしようといってきた。――というわけだ。
狐につままれたような顔をしていたであろう私に姫様が種明かしをしてくれた。
「このカードマジックのポイントは、『どんどんカードを出して適当なところでストップしてください』と続けていわないところ。私は貴男に八枚以上のカードを置かせつつ、『どんどん』と『ストップ』の二回に分けて、貴男の手を制限しました。カードの順番を私はあらかじめ憶えていますから、キング四枚がそろったところで、それとなく指示したわけです」
――まるで政治家やマスコミの大衆操作ではないか!
思い切り騙された私はコンウォール州エクセクター市にある駅で降りた。
姫様御一行はそこからローカル線に乗って城に戻るのだそうだ。
そうそう、自己紹介がまだだった。私はチャーリー・チャップリン。
引用参考文献/
●カスパート・エミルトン・エリス「私が愛した列車」(『英国鉄道文学傑作選』小池滋訳 筑摩書房2000年)
●ロバート・ルイス・スティーブンソン「汽車の窓から」(『英国鉄道文学傑作選』沢崎順之助訳 筑摩書房2000年)
●マジック研究会編『おもしろマジック67』(アントレックス2015年)15-16頁
●wiki