周旋屋/ノート030
「ハンター荘の謎」『クリスティー短編全集――ポワロの事件簿1』(厚木淳訳・創元社1980年 108頁)の一文にきき見慣れない言葉があった。
ヘイスティングのところに届いたポワロの電報で、
「周旋屋ヘノ調査ハ無用。ソノ女ノコトハ夢ニモ知ルマイ。女が初メテハンター荘ニ到着シタトキニ、イカナル乗物ヲ利用シテキタカ、ソノ点ヲツキトメヨ」
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風邪で寝込んでいる探偵ポワロに代わって、依頼主ロジャー・ヘイヴァリングとともにロンドン発ミドランド鉄道一等車に乗りこんだ相棒ヘイスティング大尉。着いたのはエルマーズ・デールの小さな駅から八キロばかり自動車で行った、ダービーシャー地方の荒地のど真ん中にある狩猟小屋だ。
ロジャーはロンドンのマンションに住んでいて、本宅はニューマーケット近くにあり、夫人と暮らしている。週末になると叔父ハリトン・ベース卿の所領である荒地にゆき狩りをする。小屋は家政婦・ミドルトン夫人が管理している。
ハリトン卿とロジャー夫妻が訪れた晩。小屋に賊が襲い掛かって、ロジャー夫人と家政婦ミドルトン夫人の目の前で、ハリトン卿が射殺された。――その後、アリバイを証言した家政婦は失踪する。
ポワロは、ヘイスティング大尉の報告から、ロジャー夫人が女優で家政婦に変装しアリバイの偽装工作をしたこと、現場に落ちていた拳銃はロジャーが、叔父を射殺する前にあらかじめ一発撃っておいた別の同型の別の拳銃だというトリックを見破る。
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さて問題の件。
辞書をめくると、「周旋屋」とは、近世における奉公人紹介業者とのことだ。
当時の奉公人は、親戚筋が奉公にあがっていると、そのつてで奉公にあがったり、あるいは一度奉公にあがった主人からその知り合いを紹介されて別の奉公先にでたりするのが普通だった。そういったつてがない者は「周旋屋」を利用する。――もっとも、グラナダテレビのホームズシリーズを視聴していると、「職業紹介所」も存在しているのが判る。ヴィクトリア朝あたりからそういった公的機関ができてきたわけだが、上流階級がステータスとして構えるカントリー・ハウスがあるような田舎にはなくて、ポワロが主に活躍した時代・ジョージ六世朝になっても、そういう前近代的な業者「周旋屋」が活動していたことがうかがえる。
ヘイスティング大尉が、ポワロからの電報で「周旋屋ヘノ調査ハ無用ダ」と指示されたのは、調査の過程での迷走の一コマ。