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戦前の、米国ファッション誌 『マンボシェ』と『ページ』/ノート028
マンボシェ(Mainbocher)設立者はマン・ルソー・ボシェ(1890-1976年)という米国人で略してマンボシェの愛称となった。1922-29年、フランスの『ヴォーグ』編集長を経て、1930年に、米国人として初めてパリにオートクチュールのメゾンを開設した。1940-1971年にかけては米国ニューヨークでファッションブランドとして一世を風靡した。
スーザン・イークリーニアル・マクニール『チャーチル閣下の秘書』(坏香織訳・創元社2013年――204頁)の一場面。
「……ディヴィットが眼鏡をはずし、ハンカチで拭いてからかけ直すと、よく見ようとするとするようにジョンの後ろから顔を出した。『これはまたシャレたドレスじゃないか。マンボシェ(米デザイナー)が37年に発表したやつだろ?』/ページのドレスよ。クローゼットの奥にあったの」
このページというのはファッション雑誌『ページ』というのを出していて、1937年のイラストには、マッチングの、帽子・ジャケット・ドレスがある。
引用参考文献/
本文中記載
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