英国パトカー史/ノート024
ロンドン警視庁〝スコットランドヤード〟は8つの大きな管区に分割して、さらにそれを25管区に細分している。
英国公道に自動車が走るようになったのはヴィクトリア朝中期である1890年代のことだ。蒸気自動車で制限速度4マイル(6・4キロ)というのんびりしたものだった。ところが1900年代になるとガソリン車が登場し1903年、制限速度20マイル(32キロ)に引き上げられた。1920年から30年代にかけて車の登録台数は20万から100万に急増する。
もとは貴族のステータスである背広を着こんだ中流階級以上の紳士たちが、助手席に恋人をのせて街乗りしだした。急激な車両の増加は暴走車・悪質度ラバーの増加にもつながった。
対策として騎馬警察に代わってパトカーが導入され、また、ロンドンからその南郊にかけて300名の警官が増員される。――彼らは、上から目線で、「おいこら」とやるのではなく、紳士的に、いかに安全運転が大切かを、捕まえたドライバーたちに説明してやった。その結果、反発して警察への敵対心から暴走する者がいなくなり、安全運転ドライバーが増えたとのことだ。
1936年の黒塗りパトカーは箱形で、後部に、PORICEと書かれていた。
岩崎公平『ロンドン警視庁』サイマル出版会1990年 122-124頁