掌編小説 シナモン・マジック02/ノート021
レオノイズ伯爵セシル家の令嬢シナモンは、十四歳でケンブリッジの中等学校に、十五歳でオクスフォード大学レディー・マーガレット・ホールに進んだ。新学期は秋からで、ラテン語にギリシャ語、それから本命の歴史学、考古学を学ぶ。
ヴィクトリア朝時代の女子学生は大学を卒業しても学士の資格をとることはできなかったのだが、女王の子息である、〝王冠をかけた恋〟で即位早々に退位したエドワード八世を介して、その後を継いだ弟ジョージ六世の時代は、第一次世界大戦で男たちが戦場にいっている間に、女たちが職場を乗っ取ったため、地位が向上。学士の資格も以前よりは取りやすくなった。
シナモンの親友といえば三歳年上のメアリ嬢だ。彼女は、町の法律事務所に勤務する弁護士アンダーソンの娘である。当時の医者や弁護士といえば中産階級に属している。毎週という分けではないが、日曜日の午後になると、シナモンはときどき彼女の家を訪ねることもあった。
一九二六年秋。
薔薇が咲く季節。運河に臨んだ喫茶店が華やいでいた。喫茶店はニスで光ったアールデコ風の木調内装で、カウンターがあって、通りに臨んだフランス窓に、十席ばかりのテーブルが並んでいた。
石畳の街路を、ロールスロイスのバスやタクシーに混じって、辻馬車が走っていた。
店内には、紳士用・婦人用・大衆用の新聞紙のほかに、ファッション誌があり客は自由に閲覧できる。
ひと昔前ほどではないが、女子大生はまだ珍しい。
レディー・シナモンとメアリを囲んで、エルメスのスカーフを首に巻いた長めのスカートにヒールを履いた学友数名が学校帰りに御茶を楽しんでいた。学友たちはメアリの年齢に近い。講義やレポートの話題もしたが、婦人参政権の問題を討論もした。
そして余興。おまちかねのマジックだ。
「ねえ、シナモン、手品してみてよ」赤毛でそばかす顔のメアリが小突いた。
「はい」黄金の髪をショートカットにしたシナモンは、小首を傾げて微笑んだ。
シナモンは店員に頼んでマッチ箱を用意させた。
彼女は、そこから二本のマッチ棒を取りだし、一本をおってみせ、折れたマッチ棒と折れていないマッチ棒を掌に収めてから握り、点火する黄燐のところを上にして拳からだした。
「くじ引きです。二本のマッチ棒のうち、折れたマッチ棒を引き抜いたら当たりです」
「確率は二分の一ね」
女子学生たちはそんなふうにいいながら、とても若い貴婦人のクジを、つぎつぎに引いていくのだが、誰もあたらない。
「ええっ、どうして?」
――これが噂のシナモン・マジック!
皆と別れたあと、メアリがしつこくシナモンに種明かしをきいてきた。
「仕方がないですね、メアリさんには逆らえません。お教えします」
「ほんと。――で、どうやったの?」
運河沿いを二人が歩く。
立ち止まったシナモンがさっきのマッチ棒をスカートのポケットに残していた。
マッチ棒は、頭二本を残して、シナモンの拳に収まっている。その掌が開かれると、掌中・親指に折れたマッチ棒があり、頭をだしていたのは折れていない二本のマッチ棒だった。
「なーんだ。単純なトリックね。私にもできそう」
「はい、単純なトリックです。メアリさんなら簡単にできます」
やってみるわね。
メアリはシナモンから三本のマッチ棒をひったくって自分でもやってみた。――シナモンのトリックを真似て、親指に折れたマッチを隠し、掌から頭だけ二本のマッチを代わる代わる抜いた。
「あはっ。できたわよ、シナモン!」
そのとき、シナモンは土手にある石造りのガードフェンスにピョンと跳び乗っていた。
「ユリ、ユリ、バラ……」
それからクルっと一回転してみてから、両手を拡げて天に掲げた。
「カーネーション!」シナモンが言葉をそう続けた瞬間だ。
「えっ?」
いま呪文を唱えた種類の花が、そのまま、宙に舞い上がっている。服の袖に隠しているような、はんぱな数ではない。花々は映画のスローモーションを観ているかのように、回転しながら、ボートがゆき交う幅の狭い三メートル下の運河の流れに落ちて行った。
――メアリは、シナモンのマジックにリックがなく、魔法そのものではないかと思うことがある。
「ねえ、シナモン。種明かししてよ」
「駄目です。こればかりはメアリさんでも、お教えできません」
「ねえったら、ねえっ――」
「駄目です」
シナモンは、体重というものを消したかのように、運河の縁にふわりとのっかり、そのまま駆けだした。
バス停まで、メアリが追いかけてゆく。
END