掌編小説 シナモン・マジック/ノート018
ロンドンの一等地・メイフェア、チェルシー、マリルボーンおよびオックスフォード・ストリートは、名門貴族が、居処としているところだ。後に首相となるチャーチルはハイドパーク・ゲートすなわち王立公園ハイドパークの正門付近に、1930‐39まで居を構えていた。赤レンガの高級マンションだ。
そこからさほど遠くないところに、コンウォール地方に中世以来の所領をもつ、レオノイス伯爵セシル家の別邸があった。――二十世紀を迎えて四半世紀、レディー・シナモンの父親が、貴族院議員であるため、国会開催中、一家は故郷を離れて、ロンドンにあるタウンハウスで過ごすことになる。
地価が高い高級住宅地であるため、富豪たちが郊外に構えるカントリーハウスのようにはいかないが、そこそこの広さをもった庭園があった。ティータイムは午後の四時だ。当主の家族や客人たちは、薔薇の垣根に囲われた芝生のスペースにテーブルを持ちだしてお喋りに興じる。
ここを訪れる名士たちは、伯爵の一人娘がティーパーティーでよくやる、隠し芸を心待ちにしていたものだ。
黄金の髪と紺碧の瞳をした若い貴婦人が人々の前に姿を現すと拍手が起こった。
「ではみなさん、ちょっとした〝魔法〟をおみせいたしましょう」
釣鐘型のクロッシェ帽、ロングスカート、長手袋。
テーブルを前にしたレディー・シナモンは、鮮やかな手つきで素早く彼女はカードを切った。……五枚のカードを客たちに示してから、卓上・左から順に、スペードの四、スペード八、ダイヤのA、クラブのジャック、ハートのクィーンが表をむけ並べられた。
「種もしかけもございません。――市長閣下、ご覧のように、五枚のカードがあります。いま貴男が欲しいと思うカードを一枚イメージしてください」
呼ばれてやってきた紳士は肥満気味だ。市長が微笑んで、
「レディー・シナモン、君は聡明にして優雅。しかも慈悲深い。イメージするところは、ハートのクィーンというところですかな」
「お世辞がお上手、ありがとうございます。けれどここでは回答をお話にならずに、私が後ろをむいて十数えるうちに、一枚抜き、ほかのお客様にお示し下さい。――それから、カードを元の位置に戻してください。私が数を数え終わったら、そのカードを当ててさしあげます」
快活に、伶人がルールを説明。テーブルを背にして数を数えはじめた。
でっぷりした市長が、カードを一枚抜き取った。その際、聴衆にウィンクすることを忘れない。
――左から二番目・スペードの八だ。
「……八・九・十」
小首を傾げたその人が、仔猫のように悪戯っぽい目をしてカードをみやった。
「スペードの八ですね?」
ええっ!
聴衆がどよめいた。
市長が、信じられない、という顔をした。
だいぶ経ってから、シナモンの友人である市長の娘が種明かしをきくことができた。
「ああ、あれですね。あのカードマジックには、ほんとうに種も仕掛けもありません。……私は予想しました。被験者の市長閣下は、引き抜いたカードをみて、目立つものを無意識のうちに除外。左から順に並べられたカード――スペードの四、スペード八、ダイヤのA、クラブのジャック、ハートのクィーンから、まっ先に、目立つカード・ダイヤのA、クラブのジャック、ハートのクィーンの三枚を捨てると。つぎに平凡なカードだけれど、左端にあって目立つスペードの四を捨てるはず」
「――それでスペードの八になったわけね?」
「ええ」
「それって、もしかして、トリックっていうよりは推理じゃない!」
「もちろん」
テーブルの上には、中国風の絵付けをした金縁のティーカップが二つ。
庭に設けられた席で、若い貴婦人が小首を傾げ、微笑んだ。
あの日、市長を相手にシナモンがおこなったのは、〝メンタル・マジック〟という推理ゲームだ。
引用参考文献/
高木重明『トリックの心理学』講談社1986年