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終章 天使
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シナモンが発掘調査を進めていくにしたがって、かもめ岬にセットした試掘坑の溶岩下から武具や甲冑多数をみつけ、また、そこかが、土を突き固めながら構築した砦の保塁であることも発見した。定説では、火山に伴った溶岩とされていた場所が、実は――戦火でどろどろに溶けてしまった古代の砦跡の一部<溶融保塁>であった――ことが証明されたわけだ。
考古学者でもあるアーネスト・サトウやT・E・ロレンスが立ち会って、シナモンの発見した<溶融保塁>がローマ帝国と交戦した先住民ケルト族の砦跡の一部であることが追認されたのである。
その話題は、コンウオール州の地方新聞どころか、ロンドンの新聞社にも伝わり、十三歳の少女が起こした快挙として──「コンウォールの才媛」あるいは「考古学界の妖精」……という見出しが新聞各社の第一面を飾ったのだった。
夏休みの終わり、<かもめ岬の姫君>が、ロンドンに出発する日となり、いつもは閑散としたレオノイス駅も、その日ばかりは、シナモンを見送る人々でごったがえした。両親であるレオノイス伯爵夫妻はもう少し現地に残って家令たちと資産管理などの事務処理を行う。それゆえ駅で町の住民たちたちと一緒に娘を見送った。町長夫妻、町議会の名士たちも少女を見送りに出向いたのだが、レザー警部は多忙なため若い巡査に感謝の言葉をあらわした手紙を託した。またチャーチルを首班とした諜報機関に属しているロレンスやモーガンも席を外しており、シナモンは少し寂しく思った。
狭軌道路線を走る機関車でいくロンドンまでの旅にはサトウ卿が同行するため何も心配することはない。シナモンが、ホームから客車に乗り込もうとしたとき、呼び止める声がして振り向くと、ジョージ・セシル夫人エリーが、十三歳の少女を抱きしめた。
「私が弱かったばかりに、あなたを、危険な目に遭わせてしまいましたね。いつか私が強くなれたら、シナモン──私たちの……娘になってくれますね」
涙目のエリーをみつめてしばし戸惑っていたカンカン帽の少女はやがて、「ええ、喜んで」と笑みをこぼしたのだった。
エリーは後に、
「シナモンがティーパーティーでいれてくれたカップに浮かんだウバ茶のゴールデンリングが、〈エンゲージリング〉ではなく、天使の輪にみえました」
と周囲に話した。その上で、あのとき、「シナモンが頭上に天使の輪を戴いている姿をイメージしていました」とも語った。
汽笛が鳴ったのでシナモンはアーネスト・サトウ列車に乗った。
シナモンたちを乗せたコッペル機関車はゆっくりとホームを離れていった。
ジョン少年、劇の監督を務めた商工会の青年、それに若い巡査が手を振って後を追った。
ジョン少年が叫んだ。
「姫様、僕が大人になったらお嫁さんになってくださいね。きっとですよ!」
横で聞いた巡査と青年監督が、年がいもなく少年を羽交い締めにしてわめいた。
「ませガキめ、俺の台詞を横取りしやがったな──」
車窓から様子を見ていたシナモンはくすくす笑った。
列車はレオノイス川を渡り南の森を抜け、広大な牧草地を走り抜けた。遠くにはいくつかの風車小屋、それにジョージ・セシルの屋敷もみえる。このときシナモンは単線線路に平行した小道を走るサイドカー仕様のBMWオートバイに乗った二人の人物をみつけて、少しはしゃいだ。
「あっ!」
「どうしたんだね、シナモン」
「サトウ卿、ロレンス様とモーガン様が……」
老勲爵士は目を細めてみると、二人の男が手を振っているのが判った。
(女嫌いで有名な<アラビアのロレンス>もシナモンだけには心を開くのだな──あるいはこの二人──まあ、老人の野暮な想像だな……)
機関車はサイドカーを追い越していき、やがてロレンスたちやレオノイス城もみえなくなった。
「どうなされたのですか?」
シナモンは不思議そうな顔で笑みを絶やさずにいる老紳士をみやって訊くと、「なんでもない」と笑みを消した。ごまかすというわけではないが、サトウ卿は鞄から小さな紙包みを取り出し少女に渡したのだった。
「それは私が日本にいたとき、知人の一人であるアメリカのモース氏から頂いた土器だよ。コードマーク(縄文)が入っていて面白い。君にプレゼントするよ」
古代エジプトに存在したS字文様がユーラシア大陸の東端に位置する島国にも存在する。のちに<加曽利E式>と呼ばれる一片の土器が、カンカン帽の少女を飛行船の旅にいざなうことになろうとは、このとき誰もが知るよしもないことである。
【登場人物】
●レディー・シナモン/後に「コンウォールの才媛」の異名をとる英国伯爵令嬢。13 歳。
●伯爵夫妻(シナモンの両親)及び使用人たち
●ウルフレザー家宰、老庭師夫妻、ジョン(庭師の孫)、調理師夫妻。
●サトウ卿/英国考古学者・元外交官・勲爵士。サー・アーネスト・サトウ。歴史上の人物。
●T.E.ロレンス大佐/アラビアのロレンス。第一次世界大戦の英雄。歴史上の人物。
●オットー・スコルツェニー/後にナチスドイツ大佐となる。歴史上の人物。
●ミューラー/スコルツェニーの友人。
●ジョージ・セシル及び関係者/レオノイスの町の大地主(第1の被害者)。エリー(妻)、モーガン(友人)、チャールズ(従弟)、エディック(従弟)
●その他/灯台守(第2の被害者)、商工会会長(劇団座長)、駐在の巡査、レザー警部(コンウォール警察)