003
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ジョージ・セシルは、レオノイスの大地主であったが、ロンドンに本社を構える証券会社の株主で役員でもあった。近年は、オーストリアのウイーンにある支店長として経営にも携わっており、当然、家を不在しがちとなった。奥方であるエリーは寂しい思いをしていた。そんなとき、同じ証券会社の役員であるモーガンが、エリーに言い寄ってきてきたのだ。二人は禁じられた仲になった。ジョージは滞在先のウイーンで、人づてに妻の不貞を知り急ぎ帰国する。
だがジョージの帰国方法が奇怪であった。列車を使ってフランスに行き、ドーバー海峡を渡ればいいものを、わざわざドナウ川を下って黒海に下り、そこから小さな貨物船で、レオノイス港に入ったのだ。これではまるで密航だ。さらにジョージの不可解な行動は続く。 ジョージは帰国した翌日、「釣りに行く」といって、一人でレオノイス川の船着き場から、モーターボートでトリスタン島へ向かい、そこで何者かに後から撲殺された──撲殺された瞬間は、伯爵家庭師の孫ジョン少年が目撃している……。
シナモンは声のトーンを落として、容疑者の一人であるモーガンにいった。
「何ゆえにジョージ小父様は、モーターボートを島に上陸させる必要があったのでしょうか? ──それは本来、小父様が、書斎の本棚に収めていたファイルを、どなたかに渡すためだったにほかなりません……小父様がファイルを渡そうとしたお相手はモーガンさん、貴方ですね?」
「さすがだね、シナモン。ばれてしまっちゃ仕方ないな」
モーガンは不遜な態度で笑った。
チャールズとエディックが、(それみたことか!)という顔をした。シナモンは悲しげに目を伏せて二人にいった。
「ではなぜ、灯台守の御爺さんが殺されたのでしょうか?」
「そんなこと知るか!」
チャールズとエディックが口を尖らせた。
「チャールズ小父様は、投機に失敗して莫大な借金がおありですね?」
「つっ、つまらん噂だ」
チャールズは明らかに動揺している。シナモンは続けた。
灯台守の老人には病気で入院中の御孫さんがおり、かさむ治療費のために頭を悩ませていた。そしてチャールズ小父様が借金で悩んでいることを灯台守が、どこからか訊きつけ、こう焚きつけた。
──あんたの従兄ジョージ・セシルを殺せばよいではないかね。ジョージには子供がいない。あとは未亡人のエリーを始末すれば莫大な遺産が転がり込む。わしが住んでいる灯台からは何でもみえる。ジョージがいきつけにしている釣りのポイントとかもね。何時になったらどこにいるとか細かいことまで知っているのさ。手を貸してやるよ。
灯台守にそそのかされたチャールズは、ジョージがトリスタン島に上陸するのを先回りして待ち伏せし、島の断崖に立っていたその人の後から棍棒で撲殺した。
シナモンの話しを訊いていたチャールズは嘲笑した。
「それじゃ、ジョージが私が島にいることをあらかじめ知っていたことになる。それに、訊いたよ──君のところの使用人の子供が、犯行の瞬間を望遠鏡でみてしまったんだろ? すぐさま若い巡査とトリスタン島に渡ったけれども、犯人もいなければ死体もなかったそうだね……。しかも、かもめ岬にいた君たちはトリスタン島から出ていく舟の存在をみつけることもなかった。そのことはどう説明するんだね?」
シナモンが横にいたレザー警部に目配せをすると、警部は少女に粘板岩の小石を渡した。「これは粘板岩といって海底の泥が圧縮されてできる固い堆積岩です。ご存知のようにコンウォール州一帯は花崗岩を岩盤としています。ところがここ、レオノイス付近にある小島や岩礁はだけ粘板岩で形成されているのです。私がこれが重要な鍵となることに気づいたのはジョージ小父様の葬儀の直後でした。モーターボートの縁にはついたばかりの新しい傷とそこに食い込んだ粘板岩の細片、船底にはこの小石があった──つまり、モーターボートは粘板岩でできた低い天井をすり抜けていった……ことを意味します」
シナモンが左手に小石をかかげ、その下を舟に見立てた右手で動かした。
【登場人物】
●レディー・シナモン/後に「コンウォールの才媛」の異名をとる英国伯爵令嬢。13 歳。
●伯爵夫妻(シナモンの両親)及び使用人たち
●ウルフレザー家宰、老庭師夫妻、ジョン(庭師の孫)、調理師夫妻。
●サトウ卿/英国考古学者・元外交官・勲爵士。サー・アーネスト・サトウ。歴史上の人物。
●T.E.ロレンス大佐/アラビアのロレンス。第一次世界大戦の英雄。歴史上の人物。
●オットー・スコルツェニー/後にナチスドイツ大佐となる。歴史上の人物。
●ミューラー/スコルツェニーの友人。
●ジョージ・セシル及び関係者/レオノイスの町の大地主(第1の被害者)。エリー(妻)、モーガン(友人)、チャールズ(従弟)、エディック(従弟)
●その他/灯台守(第2の被害者)、商工会会長(劇団座長)、駐在の巡査、レザー警部(コンウォール警察)