013
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老婆に変装した刺客が手にしているのは大型拳銃で、刺客は口元に笑みを浮かべていた。対抗するかのように、寝台に半身を起こしていたシナモンは枕の下から、手のひらサイズの拳銃を刺客にむけた。
刺客の手にしているのは、リボルバー式のアメリカ軍用拳銃〈コルトM1917〉で、全長二百七十三ミリ、重量約一千グラム、装弾数六発となっている。対するシナモンが手にしている拳銃は、同じくアメリカ製護身用拳銃〈レミントン・デリンジャー〉で、全長百二十四ミリ、重量三百十二グラム、装弾数二発となっている。
「だめっ、撃てない」シナモンは引き金を引こうとするのだが、どうにも指が動かなかった。
刺客はせせら笑った。
「デリンジャーは見かけが愛らしく手のひらにも収まるが、安全装置がないぶん引き金が重たいんだよ。お嬢ちゃんの可愛い指じゃ引けないようになっているのさ。しかもちょっと離れると命中精度が悪くなるときている。そしてなによりも──初めて人に銃を向けた者は七割が撃てない──という統計まである」
刺客がゆっくり引き金を引き出した。瞬間、レザー警部が捨て身で舞台に飛び込んでシナモンに覆い被さった。
――伏せろっ、テロリストだ!
観客たちは、声の勢いに圧倒されて全員、いわれるまま伏せた。
ダーン……。
撃たれたのは刺客のほうで観客席下の床にもがいている姿がみえる。劇場の縁辺に配備されていた制服警官たちが変装した刺客を取り押さえた。急所は外れているらしい。寝台にいたレザー警部は刺客を一瞥してから起きあがった。十三歳の少女が、恐怖と自分の非力さに泣いていると、青灰色の瞳をした人が歩いてきた。
「シナモン、君がそんなものを持たなくていいんだよ。そしてこれからも必要ない」
ロレンスの言葉に厳しさはないが、シナモンにはずっしりと堪えたようだった。
青灰色の瞳をした人、トーマス・エドワード・ロレンスは「ルガーP〇八」拳銃を懐中に収めた。、トグル作動式で、全長二百二十二ミリ、重量八百七十グラム、装弾数八発となっている。本来はドイツ製だが、イギリスでは模造品もある。ロレンスの拳銃は捕虜から没収した戦利品である。デリケートな拳銃で、戦場では砂をかんだりすると故障もしやすかったが、至近距離での戦闘には抜群の性能を発揮して「ルガー神話」を築いておりイギリス兵にも人気が高かったといわれている。
貴賓席の伯爵夫妻、アーネスト・サトウ、それに一般席にいたレオノイス城の住人たちも血相を変えて舞台に駆け上がってきた。
サトウ卿が、ロレンスをみつけて声をかけた。
「久しぶりだね、ロレンス君──レディー・シナモンを助けてくれてありがとう……私からも礼をいわせてもらうよ」
他方で、舞台裏から軍人たちもやってきた。
「ロレンス大佐ですね。チャーチル閣下から、あなたに直接お渡しするようにと命じられてうかがいました……」
灰色の瞳をした人は、差出人を確かめると無造作にポケットに押し込み、観客席の奥に座っていたはずのスコルツェニーのほうを見やったが、みることはむろん、存在を感じることすらかなわなかった。
【登場人物】
●レディー・シナモン/後に「コンウォールの才媛」の異名をとる英国伯爵令嬢。13 歳。
●伯爵夫妻(シナモンの両親)及び使用人たち
●ウルフレザー家宰、老庭師夫妻、ジョン(庭師の孫)、調理師夫妻。
●サトウ卿/英国考古学者・元外交官・勲爵士。サー・アーネスト・サトウ。歴史上の人物。
●T.E.ロレンス大佐/アラビアのロレンス。第一次世界大戦の英雄。歴史上の人物。
●オットー・スコルツェニー/後にナチスドイツ大佐となる。歴史上の人物。
●ミューラー/スコルツェニーの友人。
●ジョージ・セシル及び関係者/レオノイスの町の大地主(第1の被害者)。エリー(妻)、モーガン(友人)、チャールズ(従弟)、エディック(従弟)
●その他/灯台守(第2の被害者)、商工会会長(劇団座長)、駐在の巡査、レザー警部(コンウォール警察)