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 かもめ岬の斜面を削って造られたギリシャ風円形劇場では、舞台が整えられている。前日、刺客がシナモンを狙っていたとの情報は、ロレンスを通じて警察に連絡がいっている。レオノイスを所轄とするのは、デヴォン州およびコンウオール州警察というところで、本拠地はデボン州の州都エクセター市にある。そこから応援にきた制服警官たちが拳銃を携帯せず警棒のみを装備しているのは、(犯人を刺激しないように)との配慮でありポリシーであった。

 イギリスには、銃器を携帯した特別警察というのもあるのだが、首席治安官の判断で、特別警察の要請は見送られた。だが刺客は拳銃で武装しており、凶悪犯に対抗できるか内部からも疑問視する声があがっていた。

 観客たちは、裏舞台がそういうふうに慌ただしくうごめいていることに気づきもせず、着席して開演前のひとときを楽しんでいる。

 そして──

 劇場後方には貴賓席というのがあって、伯爵夫妻とその客人であるアーネスト・サトウが座っている。庭師老夫婦と調理師若夫婦、それに庭師の孫の少年はいつもの席に陣取っている。拳銃をもたない制服警官たちは二十人に増員され、劇場の要所要所に配備されていた。

 レディー・シナモンが演じるところの騎士トリスタンの物語『トリスタンとイゾルテ』は、第一幕のアイルランド騎士モルオルトとの決闘、第二幕のイゾルテ王女との出会い、第三幕のコンウォール帰還と新たなる旅立ちと続いていった。青年監督がいうように、モルオルトとの決闘シーンでは観客の娘たちが絶叫し早くも失神者がで、やがて第四幕となった。


 アイルランドに再上陸を試みるトリスタンの小さな帆船には竜と戦うために必要ないくつもの武器やら防具やらが置かれていた。長弓、石弓、鎖のついて鉄球、槍、戦斧、長剣、短剣、そして鏡のように磨いた長方形の盾、丸く小さい盾……。従者ゴルヴナルが舵をとり、たどりつくまでの間にトリスタンが手入れをし、武器類の刃先には毒を塗った。

 やがて小舟が竜の住みかに近い洞窟に、トリスタンと従者ゴルヴナルの二人が上陸すると、武器を浜辺から竜の住みかまで続く道筋の岩陰に点々と置いていくのだった。

 小さな帆船に残したゴルヴナルには、最後の武器となる剣を預けた。最後の剣の名前を、<エクスカリバー>といい、トリスタンを愛する叔父マルク王が貸してくれた神剣である。この神剣こそ、伝説の<赤き竜>の化身アーサー王の佩剣であり、子孫であるコンウォール王国歴代王の証しでもあった。

 松明を手にしたトリスタンが洞窟に入っていくと、後をつけていく者の存在に気づいたのだが、殺気を感じないため、つけてくる者のことはかまわずに洞窟最深部にまでおりていった。蛇行したり、上下したりする坂道の奥へ行くほどに、霧が濃くなっていく。トリスタンはむせりながら武器を道筋に置いていった。

 霧は酸を含む障気で、目や皮膚がぴりぴりする。洞窟最深部はおおきな空洞となっており、<黒き竜>がトリスタンを見下していた。それは巨大なトカゲのような姿をしているが前脚のところに蝙蝠のような翼があり、言語ではなく、<心>に直接語りかけた。

(よく来たなマルク王の甥トリスタン。アーサー王の末裔よ。吾は汝を知っている。なにゆえに汝がここにきたのかもな。なあ、トリスタンよ、汝が吾を倒しアイルランドのイゾルテ王女をコンウォールに連れ帰り、マルク王の妃に迎えたとしよう。しかしそれが何になるのだ? 考えてもみよ、トリスタン。イゾルテ王女がマルク王の子を身ごもれば、汝はコンウォールの王位継承権を失うのだぞ)

 <黒き竜>はあたかも不敵に笑みを浮かべたかのように話しを続けた。

(侵略してきたアイルランド軍第一の勇者モルオルトを倒してコンウォールを救い、アイルランドと同盟を成功させた汝が得られる報酬とは何だ? 百年の宿敵アイルランドは信用できるのかね? コンウォールは、汝ほどに、汝を愛しているのかね? ……なあ、トリスタンよ、かすかではあるが汝は<赤き竜>の血をひいている。コンウォールとアイルランドではなく、吾と汝とで盟約を結ばぬか?)

 <黒き竜>の言葉はトリスタンの胸に真実を突き刺さしていくのだが、その人は首を激しく横に振った。

 「アイルランドの斥候の騎士は、浜辺にたどり着いた私を救って教会に運び込んだ。教会ではイゾルテ王女が私を介抱してくれた。そしてコンウォールのマルク王は、孤児である私を息子同様に育て、いままた王位の証しである〈エクスカリバー〉を預けてくれた──私は人を信じる」

 そう叫んで、長弓で<黒き竜>に矢をいかけた。

(愚か者め!)

 <黒き竜>は、白く濁った酸からなる濃い霧をトリスタンに吐きかけたのだった。

【登場人物】


●レディー・シナモン/後に「コンウォールの才媛」の異名をとる英国伯爵令嬢。13 歳。

●伯爵夫妻(シナモンの両親)及び使用人たち

●ウルフレザー家宰、老庭師夫妻、ジョン(庭師の孫)、調理師夫妻。

●サトウ卿/英国考古学者・元外交官・勲爵士。サー・アーネスト・サトウ。歴史上の人物。

●T.E.ロレンス大佐/アラビアのロレンス。第一次世界大戦の英雄。歴史上の人物。

●オットー・スコルツェニー/後にナチスドイツ大佐となる。歴史上の人物。

●ミューラー/スコルツェニーの友人。

●ジョージ・セシル及び関係者/レオノイスの町の大地主(第1の被害者)。エリー(妻)、モーガン(友人)、チャールズ(従弟)、エディック(従弟)

●その他/灯台守(第2の被害者)、商工会会長(劇団座長)、駐在の巡査、レザー警部(コンウォール警察)

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