004
翌日、かもめ岬の麓にある屋外劇場楽屋に駐在の巡査が困った顔をしてやってきた。
「姫様、なんとかこの舞台だけは取りやめにしていただけませんかねえ」
「気遣っていただいてありがたく思うのですが、そういうわけには参りません。町のみなさんが楽しみになさっているのですから──」
騎士の衣装を身にまとった少女が伏し目がちにいった。
「まあ、姫様のことだから、そういうとは思っていたのですがね、しょうがない──実は父君であらせられる伯爵様からも要請されていましてね……本部からの捜査と姫様警護の派遣増員を申請しておきました」
若い巡査はため息をついてから、
「そろそろ教えてくださいよ、姫様……犯人が誰だかもう察していらっしゃるんでしょ?」.
「おおよそは──でも決め手となる証拠や証言がありません……すべては明日のレオノイス夏祭りで明らかになるでしょう」
このとき監督の青年が屋外の舞台で、「第二幕のリハーサルだ。みんな集まってくれ!」と呼ぶ声がした。観客席には前日と同じように、サトウ卿が座っていた。ちょっと様子が変わったのは、そこに庭師老夫婦と調理師若夫婦、そして庭師の孫であるジョン少年が加わったことだ。
✩
明け方、アイルランドの騎士モルオルトとの死闘で毒刃による傷を負い、従者ゴルヴナルの漕ぐ小舟がアイルランドにたどり着いた。砂塵をまきあげて浜辺を疾駆する沿岸警護の斥候騎兵が二人をみつけ駆け寄ってくるのがみえる。
「時化で船が沈んだのか? いま行く。もう大丈夫だ、祖国アイルランドは漂着者にも慈悲深い国だ」
従者ゴルヴナルは、落ち着かぬ様子で主に耳打ちした。
「ここはアイルランド王国です。騎士モルオルトはイゾルテ王女の婚約者で、トリスタン様が御名をいえばたちどころに殺されてしまいます。ここはどうか、タントリスという偽名をお使いなさいませ」
「……」
トリスタンは毒のために声もだせずに、どうにか、うなづくのみであった。浜辺で発見された主従二人は斥候騎兵のはからいで修道院付属の病院に預けられた。トリスタンがほかの傷病者とともに寝台を並べていると、ほどなくして、慈悲深い王女が診療にやってきた。長い黄金の髪、伏し目がちな目、繊細な指……。
(この人がイゾルテ王女か……なんと美しく心優しい王女なのだろう)
病床のトリスタンは思った。王女は寝台に腰を降ろし、トリスタンの傷口に毒消しの秘薬を塗り、侍女に手伝わせて包帯を巻いてやった。
王女と侍女が立ち去ると従者ゴルヴナが主人に耳打ちした。
「すばらしい女性ですが敵国の王女です。好いてはなりませんぞ、トリスタン様」
(わっ、判ってる)
若い騎士は従者に返事した。
☆
五日ばかり経って、タントリスと名乗った患者とその従者は正体が明かされないうちに、もと来た浜辺で漁師を買収するとアイルランドから脱出した。
シナモンがリハーサルをしていた頃、町の居酒屋のテーブルに髭面の流れ者が、ボトルから手酌でコップにウイスキーを注いでおり、その横に男が腰掛け耳打ちした。
「報酬は三百ポンド」
「承知した」
三百ポンドというのは、当時の平均年収である。髭面の男は、懐に拳銃を隠し持っている。依頼者と請負人は互いに横目でみやりながら薄笑いを浮かべたのだった。
【登場人物】
●レディー・シナモン/後に「コンウォールの才媛」の異名をとる英国伯爵令嬢。13 歳。
●伯爵夫妻(シナモンの両親)及び使用人たち
●ウルフレザー家宰、老庭師夫妻、ジョン(庭師の孫)、調理師夫妻。
●サトウ卿/英国考古学者・元外交官・勲爵士。サー・アーネスト・サトウ。歴史上の人物。
●T.E.ロレンス大佐/アラビアのロレンス。第一次世界大戦の英雄。歴史上の人物。
●オットー・スコルツェニー/後にナチスドイツ大佐となる。歴史上の人物。
●ミューラー/スコルツェニーの友人。
●ジョージ・セシル及び関係者/レオノイスの町の大地主(第1の被害者)。エリー(妻)、モーガン(友人)、チャールズ(従弟)、エディック(従弟)
●その他/灯台守(第2の被害者)、商工会会長(劇団座長)、駐在の巡査、レザー警部(コンウォール警察)