22 初めて
「私は君を愛していた。いや、今も愛しているよ。もちろん、見た目も好きだったけれど私はキャロラインの中身が好きだった。だから、ミーナに逢えて嬉しい。君の心は美しいよ」
ミーナとして生まれてから、人から見た目を美しいと言われるのは嫌い。でも、この人は私の心が美しいと思ってくれているらしい。カールも……同じようなことを言ってくれたな。
「ねえ、カールと……喧嘩していたね?」
「あ……ええ。ちょっと」
「あいつが知らない女性の傍にいるはずがない。ミーナがキャロラインの生まれ変わりだと知っているんだろう?」
さすが、鋭いわね。
「はい。出逢ったのはたまたまですが、一緒に過ごすうちにバレました」
「だろうね。あの男が君に気が付かないわけがない」
ジークフリートは何故か不機嫌そうに眉を顰めた。
「私に恋人の振りを頼んだのはどういうこと?君たちの今の関係は何?」
「あー……ええと……」
何と言えばいいのだろうか。彼に好きだと言われて、私も好きだとわかったけれど……実は婚約者がいて……これは一体何という関係なんだ?
私が困っていると、ジークフリートは真面目な顔でこちらをジッと見つめた。
「ぶつかった時、泣いていたね?」
「……泣いてません」
「いや、泣いていた。君を泣かせたのはカールなんだろう?」
「……」
私は何も話していないのに、この人はなぜこんなことがわかるのだろうか?
「許せない。君を傷付けて泣かせるなんて」
「彼が悪いわけではありません」
「まさか……付き合っているの?」
付き合ってはいない。でも、何と言えばいいかわからず返事ができなかった。ジークフリートは、ギュッと拳に力を込めた。
「私はずっと君を探していたよ。キャロラインの君も、ミーナの君も全てを愛している。今度こそ私の人生をかけてあなたを世界一幸せにしたい」
彼は私の前に跪いた。これは……求婚のポーズだ。
「結婚してくださいませんか」
ジークフリートは私に求婚をしてくれた。しかし、今の私はカールが好きなのだ。いくら自分が振られるとわかっていても、彼が元婚約者でも……うん、とは言えない。
「ジークフリート、お気持ちは嬉しいです。しかし……私は」
断ろうとした時、彼は私の言葉を遮るように勢いよく立ち上がった。
「急にこんなこと言ってごめんね。戸惑うよね」
「いえ、あの……」
「でも、気持ちが溢れて止まらなかったんだ。前世で君と結婚するのをずっと夢見ていたから」
ジークフリートは泣きそうな顔で、無理矢理微笑んでいる。
ズキン、と胸が痛くなる。そうなのだ……あの暗殺がなければ私達は夫婦になっているはずだった。
「愛しているよ」
彼は私の頬をするりと撫でて、そっと顔を近付けた。その顔はとても切なくて……苦しい。
ちゅっ
一瞬触れるだけのキス。私は拒否したいのに、体が痺れるように動けなかった。
――紛れもない私のファーストキス。想像していたような甘く蕩けるものではなく、しょっぱくて苦い。しょっぱさは……ああ、自分の涙なのだとぼやっとした頭でやっとわかった。
その瞬間に、彼にギュッと強く抱きしめられた。そして……先程とは全く違う濃厚な口付けをされる。
ちゅっ
「んんっ……ふっ」
「可愛い声。君はこの声をカールにも聞かせたの?」
怒りを込めた美しい碧眼がギロリと恐ろしく光る。驚いて体が動かない。
ちゅっ……くちゅ……
息もできないほど、濃厚な口付けが強引に繰り返される。舌を絡められ、わざと音を出されて……恥ずかしくて苦しくて意識が遠のく。
私は離して欲しいと、力を込めて胸を精一杯押すが鍛え上げられた体はびくともしない。
「愛してる」
「好きだ。君をあいつになんて渡さない」
「私のものになって。前世でも今世でも君は私のお嫁さんだよ」
彼は呪文のように、私の耳元で甘い声で囁いている。腫れる程、唇を強く吸われてかくんと力が抜けた。
「ごめん、暴走して。でも愛する君をカールになんて渡したくないんだ」
「ひっく……ひっく……酷いわ」
「うん、ごめんね。妬いてしまった。だってカールと付き合っているんだろう?」
「付き合って……ない」
「え?付き合ってないのか?」
ジークフリートはぽかんと驚いた顔をした。
「付き合ってない。ひ、酷い。勝手に口を吸うなんて。私……キャロラインの時も、今も初めてだったのに」
私は哀しくてポロポロと涙がこぼれ落ちた。ジークフリートはあからさまに狼狽えていた。
「は、初めて?キスが?」
「当たり前でしょう!こんな勝手なことするなんて。貴方は紳士な人だと思っていたのに酷いです」
彼は真っ青になり、深く頭を下げた。
「すまない!本当に。その、あいつとそういう関係なのかと勘違いして……もう経験済みだと……思ったんだ」
ジークフリートはまだオロオロと困っていた。
「私は今も昔も乙女です!」
そのとんでもない勘違いに、私は言わなくても良いことを口走ってしまった。
すると彼は頬を染めた後、口元を手で押さえて目をつぶった。
「ああ……駄目だ」
「何がですか?」
私は冷たくジロリと睨んだ。
「申し訳ないけど、君がまだ乙女で……ファーストキスの相手が私だという事実に嬉しくてにやけてしまう」
ジークフリートは顔を真っ赤に染めたまま、嬉しそうに照れ笑いをした。
「こんな風に初めてを奪ってごめんね。もっと……ロマンチックにしたかったよね。でも責任は取るから」
「え?責任?」
「うん、結婚しよう。君の唇に触れるのは、これからも私だけがいい」
前世で結婚していれば、この人とキスも……それ以上のこともしていたはずだ。でも、だからといってミーナがジークフリートと結婚するという決まりはない。
「私はカールが好きです。ごめんなさい」
正直な気持ちを、そのまま伝えた。変に誤魔化すより、それが一番いいと思ったから。
「……やつには別の女がいると言ってたね?そんな男と幸せになれるの?」
「彼が幸せならいいのです。私は付き合えなくていい。遠くから彼を想いますから」
私がそう告げると、ジークフリートはくっくっくと笑い出した。
「ミーナ、それは愛じゃない」
「愛じゃ……ない?」
「自分の愛する人と他人との幸せを祈るなんてできるわけがない。できるなら、それは『愛』じゃない。昔から知っている大事な知人へのただの『情』だよ」
「情……」
「好きな人は絶対に渡したくないものだ。ミーナは……もしかしてキャロラインの時からあいつを好きだった?」
彼は緊張した顔で、少し低い声でそう聞いてきた。キャロラインの時から?その答えはノーだ。
「いいえ、あの時は私の護衛騎士でしたからそんなこと考えたことはなかったです。とても信頼していましたが、恋愛なんて。それに、あなたという婚約者がいましたから」
そう言った途端に、彼はフッと嬉しそうに笑った。
「そうか。良かった」
「でも、ミーナとして出逢って、好きになりました」
「……それは、たまたま私より先に彼に出逢っただけではないのか?」
「え?」
「私と先に出逢っていたらどうだった?私の気持ちを受け入れてくれたのではないか」
「それは」
それはわからない。でも、今好きなのはカールなのだ。
「それにね、ミーナ。君を幸せにできない……他の女に目移りするような男に俺は君を渡せないよ。ゆっくりでいい。私と付き合うこと、真剣に考えてみて?」
彼は私の頭をぽんぽんと優しく撫でた。
「君だけを愛してる。苦しいくらいに」
「……」
「おやすみなさい、良い夢を」
彼は美しく微笑み、食堂を出て行った。私はその場にうずくまった。
いろんな情報が一気に沢山入って、頭の中がパンクしそう。ジョセフ王子はジークフリートに生まれ変わっていた。しかも、信じられないことに私のことを見た目ではなく中身で愛していたと。生まれ変わった私をずっと探してくれていて……無理矢理だけど口付けをされてしまった。
私は、そっと唇を手でなぞった。初めてなのに、あんなに強く吸われたせいで少し……ぷっくりとしている。
キャロラインの時、閨教育を受けている。あの時一週間後に結婚を控えていたので……それはもうきちんと最後まで知識として教えられていた。私は実践だけが抜けているのだ。
『お母様、私はとても不安です』
『ふふ、そうね。でもジョセフ王子にお任せすれば大丈夫よ。きっと優しくしてくださるわ』
『く、口付けもよくわからないの』
『緊張しなくていいの。キスは気持ちがいいわ。愛を伝える手段だもの。旦那様にしてもらうのは幸せなことよ』
そう言って微笑んでいたお母様を思い出した。そして、自分がそのキスをしてしまったという事実と……同時にカールのキスシーンを思い出した。
カールとアレクシア様はなかなか熱烈に口付けをしていたな、と思う。なんだか心がもやもやしてくる。
やっぱりもうだめだ。カールのことはもう忘れよう。あんな酷いことを言ったし、ジークフリートのことを嘘とは言え恋人と紹介したのだ。もう……私の前には現れないだろう。
「ジョセフ王子……」
私とジョセフ王子。元々前世で夫婦になるはずだった二人だ。本来なら一番しっくりくるはずだ。一緒にいればカールのことは忘れて、彼のことを愛するようになるのだろうか?
そんなはずはない。きっと、私はカールのことを忘れられない。
ジークフリートには申し訳ないが、やはり明日お断りをしよう。カールとうまくいかないから、ジークフリートとお付き合いするというのはおかしな話だ。キャロラインとミーナは別人だ。ジョセフ王子とジークフリートもまた別人なのだから、前世とは違う人生を歩むべきだわ。
それに今の彼の立場はきちんと確認はしていないけれど、間違いなく高位貴族だ。平民と結婚は現実的ではない。どちらにしろ、今の私はカールともジークフリートとも似合っていない。彼等は違う場所の住人だ。
平凡を……今の平民の人生を望んだことは全く後悔はしていない。この十五年間、とても穏やかで温かくて幸せだった。キャロラインでは経験できなかったことを沢山できた。
「好きって伝えたかったな」
カール……キャロラインの時からずっと私を護ってくれた人。そしてミーナになって、初めて私が恋をした人。
きちんと振られないと、この気持ちは断ち切れないのではないだろうか。でもそんなことは彼の婚約者に迷惑だし、決してしてはいけないことだ。
いや、きっぱり諦めよう。もう恋なんてせずに……仕事に生きよう。一生懸命食堂で働いて、みんなに美味しいと言われるように料理人として一人前になろう。しっかりと力を身につければ、女に一人でも生きていける。私は泣くのはやめてそう心に誓った。
――もう恋なんてしない。




