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第十四章 夢の中で

 みーん、みんみんみんみいぃぃーん……みぃー――

 アブラゼミの大合唱で神野は我に返った。

 何が起きたのか解明しようと思案を巡らせたが、すぐにやめた。

 ただでさえ現実の(ことわり)から外れた夢の世界。その中でも一番混沌とした部分に自分はいる。

 夢の主は今、出口を見失った洞窟の中でパニックになって走り回る遭難者に同じ。

 次々と方向を変え、道なき道を進む。

 この中で正気を保つ唯一の術は、考えるのではなく、感じることだ。

 まず自分の姿を確認した。

 髭はきちんと剃られている。お気に入りのモッズコートも、夢姫と初めて出会った時につけていた赤茶色のネクタイもそのままだ。革靴のかかとを踏まないようにしているのも変わっていない。首からかけているガラス玉も無くなっていない。OK。

 師匠から受け継いだ腕時計を見ると、カラフルな文字盤の上で、秒針が見えなくなるほど速く回っていた。縄跳びなら二重飛び三重飛びの速度だ。OK、非常にマズい。

 周囲はどうだ、空は雲一つない快晴、太陽の高さと熱線はまるで夏。ギラギラと肌を焼く。どうりでアブラゼミがうるさいはずだ。足元は固いアスファルト、目の前には踏み切り、その向こうには車の行き交う車道。左右に広がるは果てしない線路。背後には住宅と公園だ。

 なるほど、広島駅近くで、似たような景色を見たことがある。

「きゃはは!」

「そーそー、それでね、もぐりんがぁー」

 ペチャクチャと、おしゃべりなインコの群れのように女子中学生たちが現れた。

 四、五人のグループだったが、何の前触れもなく、まるでそこの地面から生えてきたように不意に現れた。

 一人残らず真っ白な半袖のセーラー服を着て、スカートを、パンツが見えないギリギリまで短くしていた。キーホルダーの方が本体かと疑いたくなる比率で学生カバンを彩り、ケースだけで一キロはありそうなゴージャスなスマホを手に笑っていた。彼女らは神野の前を横切り、踏切の向こうへと歩いて行った。

 その中の一人だけ、たった一人だけが、鉱床の中で色めく原石のように光り輝いて見えた。

 神野は全身の毛が逆立つのを感じた。

 夢姫だ。

 綺麗に染めた金髪をショートカットにして、碧玉のような瞳をコロコロと転がして笑って、年頃の娘らしく腕や足をむき出しにして。そこには一つの傷痕もなくて。神野の存在には露ほどにも気付かず、友達と一緒に踏切を渡っていった。

 夢姫、お前、それじゃ日焼けするぞ、とか。変な男が寄ってくるぞ、とか。思わずそんな、つまらないことで声をかけそうになった。

 思いとどまったのは、彼女が心の底から楽しそうに笑っているのがわかったからだ。

 カーディガンを着て腕を隠さなくていい、タイツを履いて足を隠さなくていい。自分がやりたいオシャレだけを存分に楽しめる。キーホルダーはつけ放題。スマホだって持てる。それが、夢姫にとって、どれほど待ち焦がれたことか、神野には痛いほどよくわかったから。

 このまま見逃してやるべきなのか?

 なにも見なかったふりをして、彼女をこのまま、なんでも願いのかなう夢の世界に残してやるべきなのか? 

 神野は右手を固くかたく握りしめ、歯を食いしばった。

 違う。

 これは夢だ。現実ではない。

 現実世界で、あいつが同じように笑っていられるようにしなければ、何の意味もない。

 それを認めてしまったら、自分はあのろくでもない親よりひどい存在になりさがる。

 神野は彼女らの後を追った。

 踏切の中に足を踏み入れたところで、声をかけた。

「夢姫」

 女子中学生たちはその場で立ち止まり、はて、と振り向いた。

 夢姫の、緑色の瞳がこちらへ注がれたとたん、神野は抱きしめてやりたくてたまらなくなった。

 すまなかったと、許してくれと叫びたかった。

 自分勝手な気持ちを押し殺すために、長いながい時間が必要だった。

 その間に、夢姫は神野のことをまじまじと見つめ、そして、首を傾げた。

「おじさん、誰?」

 神野はショックを受けて立ちすくんだ。

 悪意なき言葉に胸を叩かれ、息がつまった。

 夢の天才だと見込んだ女の子が、まさか、記憶を見失ったのか?

 今の夢姫がひどく不安定な状態であることを加味しても、それだけはありえないと思っていたのに。

 カンカンと、遮断機が警報を鳴らし始める。夢姫と神野の間を遮るように、黄色と黒の縞々が降りてくる。

「ねぇ姫ー」

 夢姫の隣にいたおさげの女の子が、まるで神野など存在しなかったかのように会話を再開した。

 あまりにも不自然なその様子に、夢姫の顔がこわばったのを、神野は見逃さなかった。

 プァアアアアアン!という電車の警笛音が、山口方面から近付いてきた。

 このままここにいれば、ミンチにされてしまうだろう。

 しかし、そんなことよりも、目の前の夢姫に集中した。

「ちょ……ちょっと、だから姫とか恥ずかしいって!」

 瞬きの合間に、夢姫は女子中学生の顔に戻っていた。

 カバンの紐をきゅうぅ、と握りしめ、翡翠の瞳を金色の前髪で隠してしまった。

「えぇー?いいじゃん!かわいくて!ひーめー!」

「ゆうくんとはどうなったのー?」

 女の子たちは、夢姫の疑問を押し流すかのように、次々とからかいの言葉を浴びせた。

 夢姫はたちまち真っ赤になって、キーホルダーのついた学生カバンを狩猟民族のように振り回した。

「ばっ!別に!なっ!なんともなってないし!」

「えー?でも、この前……」

「夢姫ぇ!」

 神野は、今度は、大声で呼んだ。極限まで集中していた。

 夢姫がはっとして振り向き、その瞳に、自分の姿と、自身に向かって猛スピードで突っ込んでくる電車が映っているのが見えるほど集中していた。

 ギイイィィィィ!と、甲高いブレーキ音が右耳の鼓膜を突き破り、左耳の向こうへ抜けていく。

 神野は右腕を突き出し、鋼鉄の塊を掴むと、将棋の駒のように軽々と投げ飛ばした。空中に浮いた電車は、バツンとはじけて、真っ白なハトの大群になって大空へ飛び立って行った。

 それを見る夢姫の目が、なにかを悟ったように見開かれた。

 勝った――と、神野が思ったその瞬間だった。

「やめて」

 強い拒絶の感情が、暗い、呪いの言葉のようになって夢姫の口から這い出てきた。

 その想いに応えるように、今度は左手、広島駅の方からだった。

 神野にも反応できない速度で、新しい電車が線路の上を薙いだ。





 神野は飛び起きた。

 心臓が破裂し、全身の血管が引きちぎられ、肉という肉が、骨と一緒にすりつぶされる夢を見た。

 腰掛けていた丸椅子がガランゴロンと転がり、病室の壁に当たって止まった。

「クソ~やりやがったな~!」

 神野は目の前で眠り続ける夢姫に罵声を浴びせ、壁際まで歩いて丸椅子を引っつかんだ。

 手術を終えた夢姫は、個室の病室に戻されていた。今は高級ベッドの上でVIP待遇だ。

 天音に負けず劣らず、色んな機械に体を繋がれていたし、病院支給のピンクのガウンからのぞく腕はまだ細い。それでも顔色はよくなり、すうすうと、人工呼吸器の向こうで寝息を立てている。

 それが逆に、神野の中の苛立ちを増幅させた。

 もはや、夢姫がしらばっくれて寝たふりをしているのかと疑うレベルで。

 植物状態だからと甘く見ていた。頭を刈られ、網目のネット包帯をされた病人の姿に騙された。

 こいつは夢の天才だ。今ようやくわかった。

 夢姫は、夢の居心地の良さのとりこ(・・・)になっている。

 よくある話だ。夢に魅入られて、現実を忘れてしまう人間なんて、昔は腐るほどいた。

 そして、そう思わせてしまった自分の不甲斐なさも身に染みる。

 だが、それでも、電車で轢き殺すことはないだろう!

 今まで色んな死に方を経験してきたが、ぶっちぎりのダントツに痛かった。親知らずを抜かれた時だってここまで苦しくなかった。

 神野は病室の床に丸椅子を叩きつけると、椅子の足で床にくぎ打つように尻をぶつけて座った。

 そして、知らんぷりして眠り続ける夢姫の足下に、生意気な小娘には不釣り合いなほどふかふかのベッドに、飛び込むようにうつぶせになった。




「このガキィィィ!」




 叫ぶと、辺り一面、海水浴客でにぎわう砂浜になっている。

 灼熱の太陽が地面を焼いている。

 革靴の向こうからでもわかるほど、砂つぶたちが熱を持っている。鉄なべの底にいるのかと錯覚するほど熱い。

 キャーウ、キャーウ、とカモメが鳴いている。

 (げん)実化(じつか)を解くまでもない。ここは夢の中だ。神野は夢姫の姿を探した。

 いた。

 レモンをスライスしたような、黄色と白の縞々ビキニの女の子だ。後姿でもわかる。なまめかしい生足や腕、大胆に見せる背中をこげ茶色に焼いて、向こうの方で、友達とビーチバレーのまねごとをして遊んでいる。

 夢姫は金髪を肩まで伸ばして、シュシュでひとつにまとめていた。ビニールのボールを打ち上げるたび、お尻に食い込むビキニパンツをちまちまと直している。

 そんなに小さい水着を着るからでしょうが!やめなさい!と言いたいのをグッとこらえて、神野は夢姫の方へ近づいて行った。

 友達が放った見当違いのサーブを、夢姫は受け止めきれなかった。

 と、言うより、背が小さすぎて、飛んでも跳ねても届かなったのだ。

 転々と転がってきたボールが足に当たり、神野は立ち止まった。

 顔を上げると、ポニーテールの夢姫が、ニマニマと唇をゆがませ、期待に目を輝かせていた。

 神野は、自分の顔が思いがけずほころんでしまうのを感じていた。

 夢姫の顔には、〝泥夢どろぼうさんに会えて嬉しい!〟と書いてあった気がしたから。

 神野は顔をにやけさせたまま、夢姫の方へまた一歩、近づこうとした。

 ところが、後ろからやってきた何者かに跳ね飛ばされた。神野はバランスを求めて砂浜と格闘する羽目になった。

「あっ、さーせん」

 神野にぶつかってきたのは軽薄そうな少年だった。謝罪もそこそこに小走りで逃げていった。

 肌を真っ黒に焼いて、ぱさぱさの金髪を、サボテンの花のようにちょこんと頭に乗せ、ほっそい腕にしょうもない筋肉をつけた小柄なやつだった。両手で青と黄色のかき氷を持っていた。

 無礼なやつだと、神野は直感的に思った。

「あっ、ゆうくん!」

 夢姫が半オクターブ高い声で姿勢を正したのを見て、神野は身震いした。

 無礼な少年が、夢姫に応えて黄色のかき氷を高く掲げた。

 やめてくれ、あんな、礼儀も知らないような馬鹿ガキに、そんな甘ったるい顔をしないでくれ。神野は祈るイタコのように懇願した。

「わり、変なおっさんにじゃまされて」

「んーん、ありがと!」

 変なおっさん、という部分を丸ごとスルーして、夢姫はかき氷を受け取った。

 日焼けしてよくわからないが、ゆであがったニンジンくらいに頬を紅潮させている気がする。

 神野は我慢がならなくなって叫んだ。

「その、ゆうくんってのは誰なんだ!」

 今度は、夢姫は、すぐに気づいて振り返った。

 ポニーテールを止めていたシュシュがはじけ、長かった金髪が、すすられるスパゲッティのようにみるみる縮み、神野のよく知るショートカットに戻った。

 元の姿に戻った夢姫は、責めるような目でこっちを見て、黄色のかき氷をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。

「べつにええじゃん。あたしの人生なんじゃし」

 機嫌が悪い時の夢姫だ。頬を大福のように膨らませている。

「よくない!その男は、ちゃんとお前のことを大事にしてくれるのか?お前のこと、体目的の女だと思ってないのか?」

 神野は砂浜に革靴をうずめ、熱弁した。かき氷を持ったまま立ち尽くすゆうくんを指さした。

 ゆうくんは、海水浴客たちは、処理落ちしたパソコンのように固まっていた。波しぶきも風も、風に乗って漂っていたカモメも止まって、神野と夢姫だけが、グリーンバックの前で演ずる役者のように命を持っていた。

「いいか、男なんて汚い生き物なんだよ!オレみたいに、嘘ついて、へらへら笑って取り繕って、うわべだけで相手を信じ混ませるんだ!騙されるな夢姫!」

「なんなん、泥夢さん、親でもないのに――」

「心配なんだオレは!」

 神野は半狂乱になって叫んだ。

 もはや、(げん)実化(じつか)とか関係なしに、ここが夢の中だということを忘れていた。

「天音が、元気なまま大きくなったら、こんな風に可愛い女の子になるんだって思ったら、他人事にできないだろ!」

 夢姫が驚いて、かき氷を取り落とすのが見えた。

 自分の声が届いたのかと、神野は淡い期待を抱いた。

「は……なんなん、それ」

 夢姫は声を震わせると、サンダルをぐりぐりやって、砂浜にめりこませた。

「そんなこと、はじめて言われたし」

 砂浜に温められたかき氷が、じろじろと溶けていった。夢姫があけた穴に、染みこんでいった。

「みんな、あたしのこと怒るんよね」

 夢姫はうつむいて、自分の足にかかる黄色いシロップを見つめていた。

「あたしが不幸になったらいけんとか、それらしい理由つけて……」

 再び顔を上げた時、夢姫は、泣きながら笑っていた。

「もうなっとるし」




 ごぼごぼごぼ……空気の泡が次々に現れ、上っていく。神野は海の中にいる。

 まただ、また変わった。

 水を吸って重たくなったコート、スーツ、シャツ……神野はどんどん、海の深い方へ、暗い方へ沈んでいく。

 しかし、これらは(げん)実化(じつか)のたまものだ。

 神野は大きく手をかいた。

 神野の体は水の重みを忘れ、ぐん、と海面に近付いた。

 殺されこそしなかったが、夢姫は自分を避けている。

 彼女が作り出せる夢の世界に次々と放り込んでくる。

 こちらを疲弊させ、諦めさせるつもりだろうか。

 そうはいかない。

 最後の一かきに、怒りとも執念ともつかない想いを乗せ、神野はクジラの吹いた潮のように海面から顔を出した。

 まず飛び込んできたのは、ギラギラと照り付ける太陽だ。

 さっきの海水浴場に戻ってきたのかと思ったが、目の前に広がっていたのは広いひろい干潟だ。遠浅で、砂ではなく泥のようなものが溜まっている。若者の数が少なく、代わりに家族連れでにぎわっていた。

 みな、手に熊手やバケツを持って、宝でも探しているかのように泥の表面をかき回している。つまりここは、潮干狩り場なのだ。

 神野はコートや革靴を、チョコクリームを塗りたくった生ゴミのような色にしながら、ぐちゃぐちゃと歩き回って夢姫の姿を探した。

「そーお、そーお、じょーずねえ」

 潮干狩り場の一番奥まで行った時、聞き覚えのある声がした。

 神野はぐちゃりと泥を撥ねて立ち止まった。

 あのアパートで聞いた、神野がこの世で最も嫌いな声だった。

 そこにいたのは、白い帽子に白いワンピースの女だった。

 ろくでもないあの女の顔が浮かぶ。

 帽子がシンバルのようにデカくて助かった。顔を直接見なくてすむ。

 女は服が汚れないよう、たくし上げて泥んこにしゃがみこんでいた。何をしているのかと訝しんだが、その真意はすぐにわかった。

 すぐそばに、女の膝丈にも満たない女児がいて、プラスチックの熊手を使って、一心不乱に泥をすくっていた。

「おかーたん、みて!みて!」

 女の子は五百円玉くらいの小さな手で、泥の塊をにぎにぎしていた。母親に見て欲しくてたまらないのだろう。生まれたばかりの天使のような声で、自らの手柄を主張していた。

 髪を金色に染めていなくとも、カラコンを入れていない、薄茶色の瞳であっても、神野には一目見てこの子が夢姫だとわかった。大福のような頬が愛らしいのは、この世で彼女だけなのだ。

 ワンピースの女は、しばらくの間、ちっちゃな夢姫に「すごいねえ」とか、「よかったねえ」とか、似たような感想を繰り返し呟いていた。

 夢姫はその度に、狂ったように笑って、はしゃいで、母親の足下に泥の塊をぴっちり並べて置くと、次のお宝を探しに泥山に戻った。

 母親が夢姫の贈り物に一度も手を付けなかったのが、神野はたまらなく悔しかった。

 女は、自分だけは太陽に焼かれないように、大きな帽子をしきりにつまんで、角度を調整していた。

 やがて、干潟の向こうから一人の男がやってきた。

 アパートにいたガングロ男とは別のやつだ。だが、こいつもなかなかの男前だった。

 紫色の下地に、星をちりばめたようなスーツを着て、上着と革靴を肩にかけ、素足で泥の中をやってきた。

「きゃあ!皇帝くぅん!」

 白ワンピの女が何と言ったのか、神野は聞き取れなかった。

 むしろ、知らぬが仏のような気がした。

 女は、紫スーツの男の元へ駆け寄ると、ぶちゅう、と音が聞こえてきそうな濃厚なキスをした。足元で泥と戯れている夢姫は一切合切無視だ。

「あぁ~ん、待ってたよお、皇帝くん!」

「俺も会いたかったわぁ」

 夢姫の母親となんとか君は、潮干狩り場の隅っこで、蜘蛛の巣で絡め取られた蝶のようにねっとりと絡み合った。ちゅっ、ちゅと、アサリを採るのには必要のない音で溢れかえった。

「いいのかー?子供は」

 男は一応、夢姫を気遣う素振りを見せた。しかし、白ワンピにくっきりと浮かんだ尻を激しく揉みしだいているのを、神野は見逃さなかった。

 夢姫の母親は男の手をとり、より強く、自分の尻を揉むように促していた。

 それだけで吐き気がするというのに、母親は、

「だいじょーぶ、ぷりんちゃん、いぃーこだから。ぷりんちゃん、もうちょっと掘っててね」

さらりとそれだけ言って、小さな我が子に手を振ると、すたこらさっさとと干潟から立ち去ってしまった。

 余りに無責任な行動に、神野は開いた口がふさがらなかった。

 母親に置いて行かれたことに、夢姫は気付かなかった。子供とはそういうものだ。一生懸命になると、自分が今いるところさえ見失ってのめり込む。そこに罪はない。子供を見失うのはいつも、自分のことを優先する無責任な大人たちの仕業だ。

 ただもう一度、母親に褒めてもらいたい。夢姫はそう思っていただけだ。

「わぁ……!おかーたん!みて!みて!またみちゅけたよ!」

 ちっちゃな夢姫は、新しく見つけた泥の塊を、嬉々として掲げた。新たなライオンキングを取り上げるヒヒのように、誇り高く。

「……おかーたん?」

 そこに母の姿はない。

 夢姫は、小さな体を目いっぱい伸ばし、くるくると首を回し、母親の姿を探した。

「おかーたん……?」

 まだ、立って歩くことすら慣れていないだろうに。

 母親を求めて泥の中を歩き始めた。

「おかーたん!」

 小石のように小さな足跡が、干潟の中に転々と落ちて行く。

 周りにいる大人たちは、揃って見えないふりをする。バケツの中にアサリが何個入っているのか、レンタル品の熊手が無くなっていやしないか、そんなことばかり気にかけて。

 じりじりと照り付ける太陽が、ちっちゃな夢姫の体力を奪っていく。

 当然だ。大人だって、麦わら帽子がなければ一時間で限界を迎える。適切な分量で水を補給しなければ、命にだって関わる。

「うん……うー……」

 夢姫がふらふらと、やじろべえのように揺れ始めたのを見て、神野は我慢できなくなった。

 今さら意味がないことは分かっている。

 ここで助けたからって、夢姫が救われないことは知っている。

 それでも、神にも、仏にも、実の母親にも見捨てられた可哀そうな女の子を、助けずにはいられなかった。

 夢姫が泥だまりの中に倒れる前に、その小さなちいさな体を、自らの膝で受け止めた。スーツが泥まみれになろうと構わなかった。

 夢姫が、これ以上汚れてしまうくらいなら。彼女を汚すもの全てを、自分が代わりに引き受けてやろうと、そう思った。

「……おじちゃん、だれ」

 大福のような頬を震わせ、夢姫がこちらを見上げていた。

 神野は夢姫の頬についた泥を優しく拭って、教えてやるのだった。

「おじちゃんは泥夢(どろぼう)だ」

「どぼろーさん?」

 夢姫の小さな目が見開かれた。

 疑うことを知らない瞳。まだ、無限の可能性を秘めた瞳。

 これから、大人たちに殺されていく瞳。

 その光の美しさに、力強さに打ち震え、神野は答えた。

「そうだ。お前を盗みに来た――」




 神野は教室の一番後ろに立っていた。

 参観日で保護者が立つような位置だ。普通でないのは、教室の中にいる大人が、自分以外には先生しかいなくて、誰一人、その異常に気付いていないことだ。

「はーい、静かにしてくださぁい」

 まだ若そうな女の先生だ。青いカーディガンを着て、胸元で画版を抱えていた。

 きゃっきゃとはしゃいでいた生徒たちが、もっと喋りたいのをぐっとこらえた。まだ小学生だ。低学年のように思えた。天音より頭一つ大きいくらいだ。

「今日は転校生がきています」

 転校生、というキーワードに、小学生たちは色めきだった。

 青いカーディガンの先生が、狂喜乱舞する暴れん坊たちを鎮めるのに、永遠とも思える時間がかかった。

「久保田さん、どうぞ」

 カラカラカラ、と寂しい音をたて、前の方の扉から、青ざめた夢姫が現れた。

 一年経って売れ残ったようなキャラ物のTシャツに、明らかにサイズ違いのミニスカートをはいていた。背負っているランドセルは、誰かのおさがりだろうか、気の毒なほどボロボロだった。

 夢姫は先生の隣まで来ると、ほんのちょっとだけお辞儀した。

 何かに怯えているのか、口を真一文字にして、決して目元を見せようとしなかった。

 この年で、彼女がすでに髪の毛を茶色に染めていることに、神野は気付いた。

 あるいはペットのトリミングのように、飼い主の趣味でそうなったのか。

「はい、久保田さん、自己紹介して」

 先生は夢姫の仕草にてんで無頓着だった。画板をつらつらと興味無さそうな目でなぞって、朝の会の進行それのみに気を配っているように思えた。

 夢姫は助けを求めて先生を見つめていた。クラス中の誰もが――先生だけを除いて――夢姫に注目していた。

 先生が何もしてくれないとわかったのか、夢姫は泣きそうな顔でうつむいた。強風にさらされたろうそくの火のように、今にも消えてしまいそうな声で挨拶した。

「くぼた……………………ぷりん……です……よろしく――」

「えー!ぷりん?」

「ぷりんて、言った?」

 一番前の席に座っていた男子数人が、色違いのポケモンでも見つけたみたいにはしゃいだ。

 となりの席の女子が、それにつられて大きな声を出した。

「ぷりんって、あのプリン!?」

「プリンちゃん!?」

 小学生にとって、面白い話というものは特効薬のない伝染病だ。

 山を駆け上る火の手より速く、白い布に落ちたカレーより深く浸透する。そして収まらない。

 教室は瞬く間に笑いの渦に飲まれ、あちこちでプリンちゃんぷりんちゃんとはやし立てる声が上がった。

 夢姫はうつむいて、うつむいて、ひっくり返ってしまうのではと思うほどうつむいて。前髪の隙間からわずかに見える頬を真っ赤に染めて、そして、瞳の端に、静かに光をためていた。

 神野は大人げなく叫んだ。

 しかし、どれだけ声を荒げても、神野の声は子供たちに届かなかった。手近な生徒に掴みかかりまでしたが、神野の右手は、子供の肩をすり抜けた。

 この夢の中では、神野は透明人間よりも薄い存在なのだ。

「こ!ぉら!静かにしなさい!」

 騒ぎに気付いた先生が、手遅れ甚だしいタイミングで説教を始めた。

「人の名前を笑わないの!」

 先生の一言で朝の会は終わりを迎えた。

 夢姫が顔を上げることは、最後までなかった。




 休憩時間になって、夢姫はそそくさと教室を出た。

 トイレでも、空き教室でもいい。人目につかないところに行けば、バカにされないですむ。そう思ったのだろう。神野はその背中を追いかけた。

 夢姫は、悪いことをしたわけでもないのに、抜き足差し足、歩いていった。

 目立ちませんように、バレませんように、そんな彼女の声が聞こえてきそうだった。

「あぁ!プリンだ!」

 廊下の突き当りまで行く猶予もなかった。

「ぷーりーんー!」

 他のクラスの男子だった。学校中に響き渡る、大きな声で叫んだ。

 夢姫はひっ、と言って立ち止まると、両耳をぱっと塞いだ。追い詰められたうさぎのように、ぶるぶると震えた。

 それが面白かったのか、男子たちは祭囃子のようにはやし立てた。

「「ぷーりーん!ぷーりーん!ぷーりーんー!ぷーりーんー!」」

 その声を聴いて、教室という教室から生徒が顔を出した。

 ぷりんなどと面白い名前でと呼ばれているのは誰だろうかと、無邪気な好奇心を隠すことなく現れた。

「ぷりん?」

「なーに?ぷりん?」

「ぷりんって……へへっ、ぷりん?」

 次々とぶつけられる悪意の中を、夢姫は両手で耳をふさいで走った。




 とぼとぼとと、夢姫がやってきたのは職員室だ。

 開け放たれた扉の上に、そう書かれたプレートが付き出していた。

 夢姫は職員室の前で二度、三度足踏みして、悩むような素振りを見せた。両手を重ね合わせ、見えないあやとりでもするかのように指を絡ませた。

 転校初日から話しかけるには、なかなか勇気がいるだろう。

「髙畑せんせー、これ見てくださいよ」

 担任の声が聞こえてきて、夢姫はビクッと肩を震わせた。

 どこか嘲笑するような、鼻から抜けていくような喋り方だったから。

「えー、なになに?あっ、新しく来た子?」

 髙畑先生、だろうか、おしゃべり好きが出しそうな、ぴーちくぱーちくした声で、夢姫の担任と親し気に話していた。

「これ、なんて読むと思います?」

「えぇ~?ちょっと待って、これ……んー……」

 夢姫は体を固くして、その場で立ち尽くした。ゾンビに見つかることを恐れた主人公のように、呼吸も瞬きも忘れて。

 小学生の夢姫にもわかったのだ。

 今、二人の教師が誰の話をしているのか。

「これ――〝ぷりん〟って読むらしいですよ」

「えっ、ぷりん?そぉおれは……」

 読めんわぁ、と、髙畑先生は笑いながら続けた。

 夢姫は全力疾走したあとのように、肩を激しく上下させ始め、苦しそうに呼吸した。

「最近、名前読めん子多いけど、いくらなんでも〝ぷりん〟はないわぁ」

「でしょーっ?もー、朝から大変で……」

「たしかに、子供は好きそ――」

「梶田先生!高畑先生!」

 甲高い男性教師の声で、二人の先生のおしゃべりは止まった。

 コホン、と意味のない咳ばらいをして、青いカーディガンの先生が顔を出した。

 夢姫はぶるぶると肩を震わせたまま、先生の顔を睨みつけた。

 先生が冷や汗をかきながらもしかし、すましたように笑顔を浮かべたのを見て、神野はその顔面を二度と修復できないところまで殴り続けてやりたくなった。透明人間でさえなければ、警察でも自衛隊でも、自分を止めることはできないのに。

「あら、久保田さん?どうしたの――」

 先生が見当違いの言葉をかけた瞬間、夢姫はそれ以上聞くことなく走り出した。

「久保田さん!?久保田さん?」

 教師にも見放されたら、いったいどこに夢姫の居場所はある?

「あっ!ぷりんだ!」

「ぷりーん!」

「ぷりんちゃーん!」

「ぎゃあーはっはっー!ぷーりーん!」

 靴箱に行くまでの間にも、夢姫は何千何万という中傷を浴びせられた。

 どんな土砂降りの雨だって、どんなに凍てつく吹雪だって、こんなに痛いことはないだろう。苦しいことはないだろう。

 だから夢姫は、自分の名前がわからないと言ったのだ。

 どんなに不審に思われても、知られなければ傷つけられずにすむから。

 逃げる者に追い打ちをかけるな卑怯者。背中から(やいば)を刺すな臆病者。

 神野の言葉は糠に打つ釘のようにすり抜けてゆき、何一つ夢姫を守ることはかなわなかった。




 太田川の河川敷で体育座りして、ぼうっと川の流れを見つめている少女がいた。

 夢姫だ。

 薄茶色の瞳を大きくはらして、鼻水の流れた痕をカピカピに残して、流れていく水面を無表情で見つめていた。

 神野が近づいて行くと、夢姫の放り投げていたランドセルに足が当たった。

 乾いた音がして、夢姫が、ちょっとだけ振り向いた。

 透明人間が終わったのだと、神野は嬉しくなった。同時に、今すぐ傷心の少女を慰めてやらなければと、使命感に駆られた。

 夢姫の元へ駆け寄って、跪いて、右手でそっと、天音のそれと同じように小さな、夢姫の手をとった。

「大丈夫だ夢姫」

「ゆめ……ひめ?」

 泣きはらした目で、夢姫が見上げた。

 頬の周りにまとわりついていた髪の毛がはらはらと落ち、たくさんの涙の痕が現れた。

 神野は胸が締め付けられるのを感じた。左手も重ね合わせて、夢姫の手を、強くつよく握った。

「お前の名前は、誰よりも素晴らしい」

「……ほんとう?」

 夢姫は煙ほど細い声でそう問うた。

 神野は何度もなんども頷いた。

「本当さ!」

 夢姫の薄い、茶色の瞳に、じわっと涙が浮かぶのが見えた。

 嬉し涙であって欲しい。せめて、安堵の涙で。

 そんな神野の想いを裏切るように、後ろから声が聞こえた。

「ああー!ぷりんだ!」

 夢姫がさっと手を引っ込めた。

 神野は矢のように速く振り返った。

 河川敷の散歩道に、五、六人の小学生がいた。先頭にいた気の強そうな男子が、うきうきしながらこちらを指さしていた。

「このっ……」

 神野は立ち上がり、小学生の集団めがけて走り出した。

「きゃあー!ぷりーん!」

「ぷりんぷりーん!」

 小学生たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 多勢に無勢だ。神野は小学生を捕まえることができない。

 河川敷の方から、悲鳴とも嗚咽ともつかない泣き声がして、神野は走るのをやめた。

 壊れたバイオリンみたいに泣きじゃくる夢姫を、神野は慰めてやることができなかった。




 瞬きすると、泣き声は遠く三つ向こうの街へ消え、河川敷だった足下がタイルの床になった。

 目の前には、おにぎりやサンドイッチが軍の隊列のように整然と並べられている。背後には冷凍食品やアイスの入ったフリーザーがあり、その向こうには総菜パンのコーナーがある。

 聞き覚えのあるコンビニ入店音と共に、金髪の少女が入って来る。

 ミント色のカーディガンを着て、重たそうな学生カバンを肩に背負っている。

 少女が神野の隣にやって来た時、カバンのジッパーが拳一個分だけ開いているのが見えた。

 金髪の少女は少し悩んだ後、昆布と明太子のおにぎりを手に取り、店舗の後ろの方へ歩いて行った。

 カップラーメンとかの棚の影に入ると、きょろきょろと他の客を見て、背伸びをしてレジにいる店員を見て、そして、手に持ったおにぎりを、カバンの方へ滑らせた。

 神野は反射的に右手を伸ばし、おにぎり握る少女の手を掴んだ。

「やめろ――夢姫……!」

 成長した夢姫の瞳は、もうエメラルドグリーンの色になっていた。その目が、瞬く間にトンビのように鋭くなり、むき出しにした前歯から、怒れる猛獣のように低い唸り声が飛び出した。

「もう三日も何も食べとらんのじゃ、何がいけんのんじゃ!」

 神野は、無理やり引きはがされる夢姫の手を、もう一度握り返すことができなかった。

 小さいころ、大福のようにぷにぷにしていた彼女の頬は、病人のようにガリガリにやせ細っていた。金色に染めていた髪はくすんで、爪先が青紫になっていた。

 彼女を止める言葉を、神野は持ち合わせていなかった。




 コンビニから逃げていく夢姫を目で追うと、はげかけのペンキで201と書かれたドアが現れた。

 辺りは暗く、静かで冷たい空気が満ちていた。

 自分の心音が一段跳ね上がり、鼓膜の内側を激しく叩いていた。

 オンボロアパートは、神野が知っているのよりも少しだけ綺麗で、扉の蝶番がまだ外れていなかった。

 どん、と、鈍く重たい音がした。

 神野は身構え、生唾を飲み込んだ。

 鈍い音がさらに二回、三回と聞こえ、その後に、女の子のすすり泣く声が聞こえた。

「三十万をよぉぉー誰が払ったぁ思うとるんじゃ!」

 ノコギリを押し当てられたような、ギザギザの声がする。

「だって……だってぇ……お腹――」

「誰が口答えしよんな!」

「ゔ―っ!ゔうぅぅぅ!」

 男の怒号の後に、高いところから砂袋を落としたような音がした。

 空き缶やプラスチックの容器が大合唱を始め、誰かが、ゴミの山の上で転げまわっているのが嫌でもわかった。

「誰の金じゃぁ思うとるんじゃ!あぁ!?おらぁ!」

「痛い!いだいぃぃ!やめて、やめてぇぇぇ!」

 神野は201のドアにかぶりついた。

「はっ……あぁ……夢姫……!」

 ドアノブが石膏で固められたようにびくともしない。どんなに体重をかけても、一ミリも回らない。

「夢姫ぇーっ!」

 今、がんがん鳴っているのは、自分がドアを殴っている音なのか、それとも別の何かなのか、神野は恐怖に駆られてドアを殴り続けた。

「ああぁぁぁぁあ!ごめんなさい!ごべんだざい……!」

「ごめんなさいでぇ!金が返ってくるんか!?あぁ!?」

「ひーっ!ひぃぃぃ!ごべんだざぁい……」

「言うても覚えんなら……仕方ないのぉ……?え?」

「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、やめで……やめでぇぇぇええ」

 夢姫が金切り声を上げて泣き始めた。

 取り返しのつかない何かが起きるのだと、神野は直感した。

 死に物狂いでドアノブを引っつかみ、ゆすり、右手にこめられる全ての力を使ってこじ開けた。

「夢姫ぇぇぇ!」

 なだれ込むように201号室に入ると、台所に倒れこむ夢姫と、そこに馬乗りになっている色黒の男が見えた。男は手に大きな安全ピンのようなものを持っていて、もう片方の手で夢姫の頭を鷲掴みにしていた。

 男の指の隙間に、緑色の瞳が見えた。神野の姿を捉えたとたん、きゅぅっと絞られた。助けを求めるように手を伸ばした。

 神野も懸命に手を伸ばした。

 二人の右手が、その指先がもう少しで触れようかというその時。


 夢姫の左耳に。


 安全ピンが突き刺さった。




 右手を伸ばして神野が飛び込んだのは、汚い水たまりだった。

 泥水が目と鼻に入り、神野は水たまりを吹き飛ばしながらむせた。

「げほっ……ごほっ……こはっ……」

 立ち上がると、そこはどこかの軒先だった。

 大きくて白い壁だった。背後には灰色のグランドがあったから、ここはどこかの学校施設なのだろうと思った。

 さめざめと雨が降っていたので、それ以上濡れないよう、神野は軒下へと入った。

 するとそこに、地面にうずくまって泣く夢姫がいた。

「ひっく……ひっ……ひっ……」

 夢姫は足を抱え、体を前後に揺らしながら、膝に目を押し当てていた。

「ぅんっ……いだい……いだいぃ……」

 近づいてみると、夢姫は金色の髪の毛の下で、しきりに左耳をいじっていた。

 その耳たぶが、熟れすぎたいちじくのように腫れ上がっているのが、神野の位置からでも見えた。

 夢姫の前でしゃがみこみ、視線を同じ高さまでさげ、神野は、何も言わず、何も言えず、その肩に、そっと手を乗せた。

 夢姫は、絶望に染まった緑の目で神野を見て、体を揺らしながら、何度も鼻をすすった。

「誰にもっ……言えん……!おしゃれって言うしかない……」

 体だけでなく声までわなわなと震わして、夢姫は気を張っていた。

 神野は、針で鼻先をつつかれたように、つん、としたものを感じた。

 夢姫の肩を、腕をさすってやって、まずは体だけでも温まるように祈った。

「痛くないおしゃれも、あるんだぞ……?」

 神野がそう言うと、夢姫は煙ほど細い声で問うた。

「ほんとう?」

 その瞬間、神野には、河川敷で泣いていた小学生の夢姫が見えた。

 今度こそ笑顔にしてやりたいと、神野は強くつよく思った。

「ほんとうさ!」

 滑稽なピエロのように見えたかもしれない。あるいは、無理くり笑ってみせたのが、バレバレだったかもしれない。

 それでも、いくつになっても子は子だ。

 夢姫が少しでも楽しくなるなら、少しでも明るいところに行けるなら、神野は悪魔に魂だって売ってみせる。

 神野は空中に右手を走らせた。

 一流のパティシエのように正確に、世界一の指揮者のように優雅に。

 銀色の線が走った後には、そら豆ほどの大きさの、涙が貯まったビニール袋のようなものが模られた。

 よくよく見るとそれは柔らかなハートの形をしていて、ピアスではなく、耳を挟み込むようにつけるイヤリングの体を成していた。ふんすふんすと泣いている夢姫の目の前で震え出すと、銀色だった部分が眩い黄金に輝き、枕から飛び出した羽よりもゆっくりと、神野の右手におりて行った。

 神野は、夢姫のまだ無事な右耳に手を伸ばすと、怪我した小鳥を介抱するように、ゆっくりと、優しく、イヤリングをつけてやった。

 夢姫は左耳をいじるのをやめ、恐るおそる、右の耳たぶに手を伸ばした。

 黄金のイヤリングに手で触れると、安堵したようにほっと息をついた。こみあげてくるものがあったのだろう、唇を噛んで、あんこを詰めすぎた大福のように頬をパンパンに膨らませて、それでもなんとかこらえて、神野に微笑んだ。

 神野は急いで手鏡を作り出すと、夢姫がよく見えるように、顔の前に掲げてやった。

「そりゃ、ずつとつけてたら痛いかもしれんが……ほら、見てみろ!なっ!似合ってるぞぉー!」

 神野は左手で鏡を持ったまま、もう片方の手で夢姫の肩を抱き寄せた。

 背中をさすって、叩いて、お前は世界一の美女なのだと、その言葉が染みこむように元気づけた。

 鏡の中の夢姫は、下唇を噛みながらそれでも、懸命に笑顔を作っていた。




 パチン、と大きな風船がはじけたような音が鳴った。

 腕の中にいた夢姫はどこかへ消え失せ、神野は暗闇に放り込まれた。

 蚊もノミもいない。

 空気のゆらぎすらない。

 自分の姿以外、何一つ見えない。存在しない。

 しいん、とか、じーん、とか、静寂の音すらしない。

「……夢姫?」

 周囲を見渡したが、どこまでも闇が続いているだけだった。

『どうして――』

 頭のてっぺんから、唐突に、夢姫の声が降ってきた。

『どうして今さら、優しくするん……?』

 夢姫の言葉はぼうぼうと神野の頭の周りで響いた。まるで、宇宙服の中に大音量のスピーカーをつけたようだった。

 声の出所はわからなかったが、神野は眼前の闇に胸を張った。

「そりゃお前、野暮な質問だ。泣いてる顔なんて見たくない。それ以外にまだ必要か?」

「……意味ないし、今さら」

 今度は背中の方から声が聞こえた。

 氷点下の朝のようにとてもクリアに、混じりけなく届いた。

 神野は踵に重心を乗せ、その場でくるりと回転した。

 そこにはいつもの夢姫がいた。

 プリンみたいな金髪と、エメラルドグリーンのカラコン、ブラウスの上に羽織ったミント色のカーディガン、ミルクティーとチョコレートを混ぜたようなチェックのスカート、黒いタイツ……左耳には、楔のように彼女を締め付ける銀ピアス。初めて出会った時の、あの日の夢姫が。

 神野は、今度は、傘ではなく右手を差し出した。

 夢姫を、彼女に振りかかる雨ではなく、もっと重たくて汚いものから守るために。

「帰ろう夢姫、オレと一緒に、元の世界に戻ろう」

 夢姫は、神野の右手を興味無さそうに一瞥した。

 頬を膨らませるわけでもなく、眉間にシワを寄せるわけでもなく、しかし、彼女の全身から、決して塞がることのない傷口から、世の大人全てに対する不審と不満が、暗闇にさえ混ざることのない真っ黒な血となってにじみ出ていた。

「……嫌だ」

 感情のない顔で、夢姫はそう答えた。背中の方で手を組んで、つい、と一歩、神野から遠ざかった。

 神野の右手は空を切った。

「……はっ?」

 夢姫を追いかけようとしたら、何かに足をとられて動けなかった。

 闇が、細くて黒い線状に変化して、螺旋を描くように足に巻き付いていた。道端に吐き捨てられたガムのようにねっとりと、すねのあたりまでまとわりついていた。

 神野は、長靴を沼に取られた調査隊員のように、足を引っこ抜こうと奮闘した。

「おまっ……あのなぁ、文句なんか言ってる場合か!このままだとお前、死んじまうんだぞ!あの親どもに見つかってみろ!内臓売られて、痛みも何にも感じないところに行っちまうんだぞ!」

「いいよ、痛くないなら」

 夢姫は投げやりに呟きながら、また一歩、後ろへ下がった。

 怒りも悲しみもない瞳には、同じように、生気も感じられなかった。

「痛いのはもう、ヤだもん」

 夢姫はどんどん、神野から遠ざかっていった。

 追いかけようにも、神野を締め付ける闇はどんどん強くなった。足にまとわりついていたやつは膝の上まで登ってきて、背後から伸びてきた真っ黒い触手が、両腕をがんじがらめにした。

 神野はあらん限りの力を振り絞って闇を引きちぎった。自由になれたのは右腕だけだった。しかしそれも、またすぐに無数の触手に蝕まれた。

「バカ言うな。痛いってのは、生きてるから感じることなんだ。生きるってのはあぁそうだな、痛いし、苦しいかもしれない!でも、それよりももっと楽しいことだってある!嬉しいことだって盛りだくさんだ!お前だって、将来いい男が見つかるかもしれない!女かもしれんが……いや、どっちだっていい!幸せな家庭を――」

「わかっ…ような……口をきくな!」

 突然、夢姫の怒りに火がついた。神野は思わず身をすくめた。

泥夢(どろぼう)なんかに何がわかるんじゃ!」

 夢姫は千切れそうな甲高い声で、髪を振り乱し、大粒の涙をぼろぼろとこぼしていた。

 涙は闇に落ちるたび、誰にも気付かれない流れ星のように消えていった。

 胃の外側を氷で撫でられたような気分だった。

 神野はそれ以上、闇の触手に抗うことができなかった。

「あたしが何回殴られたと思っとんじゃ!何回、知らない男にこび売ってきたと思っとんじゃ!楽しいことなんかなかった!お金をもらっても嬉しくとも何ともないんじゃ!今日も生き延びた、今日は食べられた!明日はどうかな、ちゃんと食べれるかなって!そんな風に震えながら寝たことがあるんか!」

 夢姫はぎゃんぎゃん泣いて、自分の体を何度もなんども叩いた。痛めつけた。

 怒り、怒り、怒り。怒りの塊だ。

 誰にも言えなかった怒り。

 誰も気付いてくれなかった怒り。理解してくれなかった怒り。

 見えていたのに、見えないふりをされ続けた怒り。

 神野だって、見たはずなのに。

 彼女が、ミント色のカーディガンでひた隠していた傷跡が。

 黒いタイツで隠していた、忌むべき痕跡が。

「もう嫌だよぅ……!知らない人にぎゅってされて、ちゅーされて、なめられて……気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!……取れんのよ!どんだけ洗っても取れんのよ!うっひっひっ……ひーっ、ひーっ、ひっ……ひぃい……」

 夢姫は発作を起こしたように泣き続けた。

 彼女が自分の腕を、足を、首筋を、爪を立ててガリガリと洗い続けるのを、神野は止められなかった。

 世界中の洗剤をかき集めても、彼女の体についた汚れは洗い流せない。

 歴史の偉人たちが紡いできたどんな言葉でも、彼女の心を救えない。

 神野は闇に拘束されたまま、泣きじゃくる夢姫を見つめることしかできなかった。

「なんであたしはフツーじゃないん?みんな(うち)に帰ったらごはんがあるって言うんよ……なんであたしにはごはんくれんの?お腹すいたんじゃもん……お腹すいてっ……()ぬがどおもっだのに……!なのになんで……みんな、ずっとずっとあたしを怒るん?あたしが悪いん?なんでなん?なんでっ……なんでぇ……?ぇっへっへっへぇぅ……うひぃ……ひいいいぃぃぃ…………」

 やがて闇が、夢姫を迎えに来た。

 柔らかな布で 彼女を抱きとめるように、闇が、その背中を触手で絡め取った。

 真っ黒なイソギンチャクのような触手が、金髪の一本一本に巻き付き、まぶたをそっと閉じてやり、腕や足を、彼女に代わって折り畳み、繭で包み込むように丸めていった。

 夢姫は抵抗しなかった。

 引きつった嗚咽に支配されたまま、闇の中に自ら沈みこんで行った。

 それに呼応するかのように、神野を拘束している闇が、徐々に徐々に、重みを増し始めた。

「くっ……夢姫……」

 夢姫が、一部の隙間もなく闇に覆われていくのが見える。

 駆け寄りたいのに、助け出したいのに、闇が底なし沼のようになって、足首が、膝が、太ももが沈みこんで行く。

「夢姫……!」

 もう、見えているのは彼女の顔だけだ。

 神野も、肩まで闇に浸かった。首から下の感覚がない。

 口を開くたびに、溶けた金属のように冷たく、重たい闇が流れ込んでくる。喉を通り、腹の底に入る度に、自分がどんどん、闇の中へ沈みこんで行くのを感じる。

 それでも神野は叫んだ。

「夢姫ぇぇぇ!」




 どむ、どむ、どむ。

 サンドバッグを蹴るような音がする。

 だが、蹴られているのは人間だ。サンドバッグではない。

「っはゅ……えふ……」

 神野の足下に、夢姫が倒れている。虫の息になった、死にかけの夢姫が。

 口の周りに、血とも吐しゃ物ともつかない何かがこびりつき、目の横や頬にたくさんの切り傷ができている。左の耳たぶには赤い点がある。寿命を終えた太陽のように、じわぁ、と広がる赤い点がある。

 かあ、かあ、かあ、部屋の外でカラスが鳴いている。

 たった一つしかない窓から、夕日が差し込んで、汚い台所を、そこにあるごみを全部燃え上がらせるように真っ赤に照らしている。

 ぎゃーっ、とカラスがいなないて、バサバサと飛び立って行った。

 部屋に誰かが入ってきた。201号室に。

 誰かは、片方の手に錆びた包丁を、もう片方の手に、傷ついたカラスを持っていた。カラスの首根っこをねじるように握りしめると、台所の床、夢姫の顔の前に叩きつけた。

 げえぇぇ、げえぇぇ、カラスはもがいた。

夢姫(ゆらり)……」

 ギザギザの声で、誰かは言った。

「よう見とれ……」

「はゅっふっぅ、うぅ……」

 夢姫はもがいていた。しかし、目を逸らせないでいた。

 包丁が振り上げられる。

 カラスがもがいている。

 夢姫ももがいている。


 運命(さだめ)を告げる、音がして。


 黒い羽と、血が舞って。


 カラスの頭が転がった。


 くちばしが夢姫の唇に触れた後も、頭を失った体だけが、バサバサと翼をまき散らしていた。

「覚えとれ……次万引きしたら……」

 誰かは言った。

「お前がこうなるんで」




 凍てつくような風だった。

 広島にしては珍しく、吹雪いていた。

 夢姫は新しく積もった雪に足跡を残しながら、アパートへ帰る道をずるずると歩いていた。

 ひどいありさまだった。

 髪はほつれ、ブラウスのボタンは掛け違え、あらわになった首元には噛まれたような痕がある。学生カバンはずれて、肘のところでひっかかっている。

 そのどれもを気にせず、夢姫はあてもなくさまよう亡者のように歩き続ける。

〔いしや~きいも~……おいもっ……〕

 少し先の方で、焼き芋屋のスピーカーが唄った。

〔おいしい、おいしい、石焼き芋だよ〕

 夢姫はカバンを掴みなおすと、獲物を見つけたチーターのように駆けだした。

 くしゃくしゃの一万円札を握りしめ、焼き芋屋の荷台をバンバン叩いて停めた。

「おじさん!焼き芋売って!二つ……いや三つ!」

 夢姫はあつあつの焼き芋をむさぼるように食った。

 皮もむかず、立ち昇る湯気ごと飲み込んだ。

「う~ぅ、うぅぅー、うぅうぅぅぅぅぅ……!」

 一本目を食べ終えたところで、夢姫は突然泣き始めた。

 涙が止まらない。

 それでも、芋を喰らいながら歩いた。

 夢姫はしきりに股のあたりを気にしながら、下腹部を必死になってさすっている。

 痛くてたまらないのだ。

 太ももで丸太でも挟んでいるかのような、ぎこちない歩き方で少しずつ、本当に少しずつ歩いて行った。




 どれくらい眠っていたのだろう、どこまで深く潜ったのだろう。

 神野は闇の中で目を覚ました。

 あまり深いところまでいくと戻れなくなる。

 昔、師匠にそう言われたことを、神野は今さら思い出す。

 すぐ目の前に夢姫がいた。

 左肩を下にしている神野と対になるように、右肩を下にして横たわっていた。

 彼女は裸で、腕と足を折りたたんで、お腹の中にいる赤ちゃんのように身を縮めて眠っていた。

 彼女の肩には、常に真新しい闇が、ビターチョコレートのムースのように流れ落ちていて、彼女と周囲の闇とを溶け合わせていた。

「ごめんな」

 神野はつぶやいた。

 その声に気が付いて、夢姫が目をさました。

「ごめんな、夢姫。ごめんな」

 夢姫は闇の滝に打たれながら、うとうとと、神野の方を見ていた。

 神野は右手を伸ばして、彼女の頬に触れた。

「オレは何も知らなかった。何も知らずに、お前の明るさに頼りきってた。お前がどれだけ痛かったのか、どれだけ苦しかったのか。目で見たことだけで決めつけて、わかった気になってた。許せないよなぁ、許せないよな。いいことがあるとか、そんなのわかんねえよな。大人は勝手だよな。あれをするな、これをするな、こうした方がいい、あぁした方がいい、その方がお前は幸せになれるからって……そうがいいんだって……腹が立つよなぁ、殴っちまいたいよなぁ、殺しちまいたいよなぁ……!お前は、本当は泥棒なんてしたくなかったのに、知らない男となんて、寝たくなかったのに、それがまるで、お前が望んだみたいに、みんな決めつけて怒るんだもんな」

 神野の目から涙が溢れた。重力に逆らい、顎を伝って落ちて行った。

 神野は大きく鼻をすすって、夢姫の頬を撫で続けた。

「なのにお前はいいやつだ……お前っ……なんで自分の命かけてまで…………オレのっ…………」

 夢姫がそっと目を伏せて、置いてけぼりにされた犬みたいにしょぼくれた。

 神野はすぐに否定した。

「いや…………いいんだ。お前がそうしたかったなら」

 夢姫は寂しそうな顔のまま、うつむいていた。

 神野は心に決めた。

 この先、何が起きようとも、たとえ世界を敵に回そうとも、自分だけは、夢姫の味方でいようと。

 大丈夫だと、お前は大丈夫なんだと、言い続けようと。

 それこそが、彼女が心の底から求めてやまないものなのだと、そう思ったから。

 神野は夢姫を抱き寄せた。

 たくさんのありがとうを、彼女に伝わるように抱きしめた。

「生きてて欲しいなんて、生きてた方がいい(・・・・・・・・)なんて、オレはもう言わない。お前がどんな答えを出しても、絶対に怒らない。だから……これが最後だ。夢姫」

 夢のお姫さまを抱いたまま、神野右蛻は問うた。

「お前がどうしたいか、言ってみろ」


「…………怒らん?」


 爪楊枝で水面をつついたくらいの、小さなちいさな声だった。

 神野の耳元で、ぽつんと聞こえた。

「あぁ」

 神野は一言一句、聞き逃さなかった。

「絶対に、怒らん……?」

「絶対に怒らない」

 神野は夢姫の頭を、彼女の金色の髪を、ゆっくりととかすように撫でた。

 彼女の背中を、とん、とん、と、子供を寝かしつける時のように優しく叩いた。

 夢姫は大きなため息をついて、震えながら息を吐いて、一度だけ、神野の背中をぎゅっ、と力強く抱きしめた。そして少しずつ、すこしずつ離れていき、神野と向き合った。

「……ほんとう?」

 夢姫は煙ほど細い声で問うた。

「絶対だ」

 探るような目をする夢姫を、神野は真っ直ぐに見つめ返した。

 夢姫は目をぱっちりと開いた。

 右耳についていた黄金のイヤリングが、闇の中できらりと光った。

「うちね……」

「あぁ」

 小さな子供みたいに告白する夢姫に、神野は相槌を打つ。

「お腹いっぱい、ごはん食べたかったんよ」

「知ってる」

 神野は笑顔で頷いた。そう、誰よりも。

「学校だって……ほんとは行きたがっだ……」

「そうか」

 涙声になった夢姫の頬を、神野は今一度優しく撫ぜた。これが最後だから。

「いっばいおしゃれしでね……はぅ……ぁはっ……友達とっ、お買い物とか、したかったぅ……」

「そうだな。夢姫なら、何着ても似合うだろうな」

 夢姫は両手で涙をすくっては落とし、すくっては落とす。

 神野はまだ見ぬ夢姫の晴れ姿を思う。一度でいいから、見たかった。

泥夢(どろぼう)さんみたいに、素敵な人と……デートとか、したかったんよ……」

「オレみたいに?そりゃ難しいかもな。オレは世界一のナイスガイだからな」

 とぼけてみたが、そりゃ無理だ。お前に言い寄って来る男は、オレが全員テストする。合格するまで、指一本触れさせない。

泥夢(どろぼう)さん……!」

 夢姫が涙をこらえながら、歯をカチカチ言わせながら、コートの襟にしがみつく。

「あぁ、言ってみろ……」

 神野右蛻は準備する。

 神の右手を持つ男が、持ち得る全ての力で。




「死にだぐだいよお……!」




「よしきた」




 そこからだ、夢姫が覚えているのは。

 泥夢さんが、髭を剃った綺麗な口を、サーベルのようにひん曲げたのを見た。

「グォオオオォォアアアァァァァァァ!」

 (みどり)の龍が咆哮し、翼を雄々しく振り上げた。

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