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太宰治は日本を代表する文豪です。
"走れメロス" "斜陽" などの著作があり。
この度は ”朝” という題材を扱わせていただきます。
原文 https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1562_14860.html
わっきゃ遊ぶ事たんげ好きだはんで、家で仕事ばすばって、友あり遠方より来のばむったどひそかに心待ちにすてら状態で、玄関、がらっとあくと眉ばひそめ、口ばゆがめて、だばって実は胸ばおどらせ、書いちゃあ原稿用紙ばさっそく取りかたして、その客ば迎える。
「あ、こぃは、お仕事中なんず。」
「なんもなんも。」
そうすてその客と一緒に遊びさ出る。
だばって、そいだばいつまでも何も仕事っこ出来ねはんで、某所さ秘密の仕事部屋ば設ける事さすたんだ。それはどこさあるのが、家の者さも知らせてね。毎朝、九時頃、わっきゃ家の者さ弁当ば作らせ、それば持ってその仕事部屋さ出勤す。さすがにその秘密の仕事部屋さは訪れて来ふとも無えはんで、わあの仕事もずんぶ予定どおりに進行す。だばって、午後の三時頃さなると、疲いし、ふとが恋すくもなるす、遊びてくなってろ、頃合いのとこで仕事ば切り上げ、家へ帰る。帰る途中で、おでんやなどさ引ががって、深夜の帰宅さなる事もある。
仕事部屋。
だばって、その部屋っこは、女のふとの部屋なのだ。その若え女のふとが、朝早く日本橋の或る銀行さ出勤する。そのあとにわーが行って、そうすて四、五時間そこで仕事ばすて、女のふとが銀行から帰って来る前に退出る。
愛人だが何どが、そったもんでは無え。わーがそのふとの母っちゃば知ってで、そうすてその母っちゃは、或る事情で、その娘さんとわがぃわがぃさなって、いまは東北のほうで暮すてらんだ。そうすてろ時たまわーさ手紙ば寄こすて、その娘の縁談さ就いで、わあの意見ばけたりなどすて、わーもその候補者の青年と逢ってろ、あいだばいお婿さんだびょん、賛成だ、なんてふとがどの苦労人のしゃべるんた事ば書いで送ってけた事もあった。
だばって、いまだはその母っちゃよりも、娘さんのほうが、まんずわーば信頼すてらんた、んだども、そうらすくわーさは思わぃで来た。
「キクぢゃん。こねだ、おめの未来の旦那さんさ逢ったよ。」
「そう? どうですた? わんつか、キザね。そうだべ?」
「まあ、だばって、あったどごろさ。そりゃもう、わーとぐらべれば、どった男も、つぼけさ見えるんだな。けっぱれじゃ。」
「んだば、んだね。」
娘さんは、その青年とあっさり結婚する気でいるんた。
**掲載の論拠**
著作権は作者死後50年経過すると消滅する。
(法的見方を変えれば、70年という意見もあるが。)
よって太宰治氏は昭和23年(1948)に亡くなったため、現在2019年において問題ないと考えられます。
http://www.cric.or.jp/qa/hajime/hajime3.html
なお太宰治の著作を取り扱う団体である ”津軽カタリスト” 代表の平田成直様にも確認を取っており、特に問題はないとの回答を得ています。
https://twitter.com/shigechas1971




