第一話 地獄の酒場(4/7)
第一話 地獄の酒場 (4/7)
「アレぇ? おいおい、これどうなってるんだ」
男はわざとらしく手の中にあるものをひっくり返したり、日にすかしたりした。
「………………」
「おい、兄ちゃん、お前なまえなんて言うんだ」
「え、俺はヤグラですけど」
「ヤグラ君かあ。俺はヴァーギンって言うんだけどよ、ちょっとヤグラ君、これ見てくんねえかなあ」
ヴァーギンが差し出した手を開いた。
見ると懐中時計が握られているのだが、その針が止まっている。文字盤の数字が取れかけていて、六の数字がひっくり返り、九になっている。
「お前にぶつかったせいで、壊れちゃったんだよなあ。この時計。ほら、針が止まってるしよお。数字がひっくり返って、六が九になっちゃったじゃねえか」
数字がひっくり返るくらいなんだっていうんだ。こっちは消化管がひっくり返って、口が肛門になったんだぞ。
「なあ、ヤグラ君……、なんとか言ってくれよ」
「はあ……、その……すみません」
「そうだよな? すまねえよな? ここは一つ弁償した方がいいよなあ」
男はフロア全体に響くような馬鹿でかい声を出している。自分が金をむしり取る正当性を周囲の冒険者に主張しているのだろうか……。
周りの冒険者も俺がトラブルに巻き込まれていることには気が付いているはずだが、誰も助けようとはしてくれない。
俺はゲームやアニメの影響で、冒険者を正義の味方か何かだと勘違いしていたのかもしれない。金次第ではどんな危険な任務もこなし、命を賭して依頼人を守るとしても、それはそれが彼らの仕事だからだ。だが、別に世の悪を見過ごすことができないというわけではないのだろう。考えてみれば当たり前か。
「俺……弁償したいことはしたいんですけど……あいにく一文無しで、本当にお金持ってなくて……」
「みんな最初はそう言うんだよ。弁償できないって」
ヴァーギンの言葉に俺は違和感を覚えた。
「みんなそう言うってどういうことですか?」
俺は咄嗟に口答えをしていた。ほとんど無意識にツッコミが口から洩れていた。
「はあ?」
「だって、そうじゃないですか。ヴァーギンさんは今日たまたま僕にぶつかって、時計が壊れちゃったんでしょう? そんなこと、そう何度も起こることじゃない。でも、今の口ぶりだと、しょっちゅう誰かにぶつかって、弁償させてるみたいじゃないですか」
周囲の冒険者がまたニヤニヤし始めるのが分かった。
「なに言ってんだよ。お前、今謝ったじゃねえかよ!! 謝って、弁償できるなら弁償したいって言ったじゃねえか!! それが、時計を壊されて、落ち込んでる人間の揚げ足を取って、まるで俺が悪かったみたいに言うじゃねえか。反省してないのかな? ホントは悪いと思ってないのかなあ?」
ヴァーギンが覗き込むように俺を見た。
明らかにさっきよりも生き生きとしている。まるで俺をいじめることに生きがいを感じ始めたみたいだ。
俺はさっきの自分を殴ってやりたかった。こんなチンピラに正論を言ってどうする。あれこれと難癖をつけられて、余計に損するのがオチだろう。
第一、俺は普段ならチンピラに口答えなんかできないほど小心者なのだ。それが一度反論し出すとほとんど才能と言っていいほど、相手をムカつかせるのが得意なのだ。クソ……、バカ! 俺って本当にバカバカバカ……。
「マジでお金がないんですよ……」
「ほんとかよ。確かにいかにも金持ってなさそうだけどさ、なんかあんだろ。こういうのは気持ちだ。な? 誠意が分かればそれでいいんだ。とりあえず、な? ポケットのもんを全部出してみろよ」
俺はポケットを探ってみたが、そこには何もなかった。
俺はポケットをひっくり返して、裏地をヴァーギンに見せた。
「はっ、こいつは今どき珍しい本当の一文無しだぜ! でもよ、冒険者として登録したからには、魔導書か、得物の一つでも持ってんだろ? な? それをちょっとこっちによこしてみろよ」
「得物も魔導書もないんですよ!!」
「じゃあ、武術家なんだろう? そりゃあそうだ。この商売は、誰にでもできるってもんじゃねえ。得物もなくて、魔導書もなければ、そりゃあ腕に覚えがなけりゃあ、やっていけねえじゃねえか。な? 武術家なんだったら、一つ技を教えてくれよ。その道の極意ってやつをよ」
ここまで来るとヴァーギンの言い分が正しい。得物もなくて、魔導書も、格闘も駄目なら、冒険者はやっていけない。俺は本当に冒険者になる資格がないのだ。
でも、さっきの受付のお姉さんの話だと、農民や病人だって冒険者をやってるという。裏を返せば職業欄に病人と書くほどとぼけた奴でも、冒険者ができるのだ。俺は折れそうな心を必死で慰めた。
「すみません……武術もできないんです……」
「得物もなければ、魔導書もない? それで武術家でもないっていうなら、お前なんなんだよ!!」
「なにって言われても……」
「なあ、登録証を見せてくれよ。そこに書いてあんだろ」
「え? 何が?」
「何がってことないだろう。冒険者ギルドに登録するとき、自分の職業を書くじゃねえか。剣士とか、僧侶とか、魔法使いとかよ。書いただろ?」
「確かに書きましたけど……」
「じゃあ、さっさと登録証を出せよ」
言われるがままに俺は先ほど貰った冒険者登録証を差し出した。
「叛逆者!? なんだよそれ……」
ヴァーギンが反応に困っていた。
「いや、読んで字のごとく、叛逆してる人のことですけど……」
「はあ、はあ。叛逆してる人な……。それでなにができんだよ」
「何がって蠕動運動ですかね」
「おお、良いじゃねえか。なんだか、知らねえけど、その蠕動運動ってやつを見せてくれよ」
ヴァーギンは嬉しそうに俺の肩を叩いた。
「え? 蠕動運動ですか……」
どうやらヴァーギンは蠕動運動という言葉を知らないらしい。
なにか身体を使った奥義のように思っているが、実際は一連の消化器官を収縮させて、便を押し出すだけだ。それも俺の場合だと、嘆かわしいことに顔から出てくる。
「なあ、良いじゃねえか! 見せてくれよ」
「…………できません」
俺は言った。
「あ? できねえってなんだよ。お前はそんなこと断れる身かよ」
「できないんですよ、今は!! 第一、俺はこの世界に来てから、何も食べてないんですよ!!」
俺が何を言おうと、ヴァーギンの目がいじめっ子の輝きを増していく。
「おお、それはすげえじゃねえか。しっかり飯を食わないとぶっ倒れちゃうようなモノスゲエ技なんだな? 良いじゃねえか。奢ってやるよ!! ささ、向こうでよ。一緒に食おうじゃねえか」
「ちょっとっ……」
俺はヴァーギンに肩を抱かれ、無理やり席につかされた。
「なあ、せっかくだしよ、飲み比べをやろうじゃねえか」
ヴァーギンが言った。
「飲み比べ……ですか」
「そうよ。俺はここにくる冒険者と仲良くなったらだな、まずは飲み比べをすることにしてるんだ。な? 飲み比べしようぜ」
カツアゲができないとみると、今度はアルハラか……。おおかた、こっちが酔いつぶれるまで強引にでも飲まそうということなのだろう。どうやっても新人に洗礼を浴びせなきゃ気が済まない男なのだ。
「いや、ヴァーギンさんには勝てないっすよ……」
俺は言った。酒自体は嫌いではないが、他人を酔い潰すことに喜びを見出すような男と飲み比べができるほど強くはない。
「良いんだよ、こういうのは気持ちだから、な? おい、おっちゃん、ブドウ酒を二つ持ってきてくれ!」
ヴァーギンが厨房に向かって叫び、酒が運ばれてくる。
「おい!! 俺は今からこいつと飲み比べをするんだけどよ、俺に賭ける奴はいねえか!!」
酒場にいた屈強な男たちがぞろぞろと寄ってくる。
「いやあ、久しぶりだなあ。俺はこういう賭け事が好きなんだ。ヒヒヒッ」
最初に来たた海賊風の男を筆頭に、賭けに参加するものが次々と増えていく。男どもはニヤニヤと唇を歪ませている。
「よっしゃ、決まりだな。じゃあ、もう一度確認するが、俺に賭ける者は手をあげろ!!」
ヴァーギンがそう言い一座の反応をうかがった。
だが、周囲はしんとしており、誰も手をあげるものはいなかった。
周囲の男はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていて、悪戯が発覚するのを心待ちにする悪戯っ子のようだった。
「ちぇっ!! 誰もいねえのかよ!! じゃあ、今度はこのヤグラ君に賭けるやつは手をあげろ!!」
今度は一座が一斉に手をあげる。
「おいおい、俺に賭ける奴が一人もいなければ、勝負にならんだろ……。しょうがねえな、じゃあ、ここは俺が俺に賭けるとして、ほら、ここに二十リラ置いた。ヤグラ君が勝ったら、お前らはこの二十リラを二十等分だ。ささ、お前らもここに二十リラずつ出すんだ!! 俺が勝ったら、お前ら全員分の四百リラを総取りだ。いいな?」
俺はヴァーギンの台詞に違和感を覚える。
何かがおかしい。大切なことが俺の消化管さながらにひっくり返っている。
俺はこの勝負の異常さに気が付き始めていた。
第一話 地獄の酒場 (5/7)へとつづく




