第一話 地獄の酒場(3/7)
ギルドの集会所では、様々な冒険者がいた。
一人酒を飲むもの、仲間と談笑しているもの、次のクエストの打ち合わせをしているもの、魔導書の勉強会をしているもの。
誰かと一緒にいる人間はどうも声をかけにくい。一人でいるものは、昼間からすでに酔いつぶれているやつばかりだ。
その中で俺は一人の女性冒険者を見つけた。
その子は、いかにも重そうなプレートアーマーを身にまとい、優雅に一人コーヒーを飲んでいる。
兜だけは外しており、甲冑からは想像もつかないほど首の線が細い。短く切り揃えられた金髪は色つやがよく、良い匂いがしそうである。
兜は外しているとはいえ、あのプレートアーマーを着るだけでも、相当力がいるはずだ。それにコーヒーを飲んでいるということは恐らくシラフだろう。
声をかけたからといって絡まれることもない。
俺はまず彼女から始めることにした。
「すみません、僕はヤグラケイスケっていうものなんですけど……」
俺はそう声をかけた。
「………………」
その子は俺を見ることすらなく、コーヒーを啜っている。
「今日冒険者になった新入りですけど……よろしくお願いします」
「………………」
彼女はまるでブリキ人形のようにまっすぐと一点を見つめている。ちらりとこちらを見ることも、耳をぴくりとさせることもない。
「あの……、あなたのお名前は…………」
「……………………」
俺は明らかに無視されていた。
何か返事をしてくれれば、それに合わせて話を進めることもできるが、こう無視されると、会話は続かない。
その中で、集会所にはなぜか緊張感が漂っている。談笑していた冒険者たちが会話を止め、さりげなく俺の方を見ていたり、次のクエストの打ち合わせをしていた男たちが急に黙り込んでしまったのだ。それどころか、先ほどまで酔いつぶれていた男までもが、目を覚まし、ことのなりゆきを見守っている。
もしかして、俺は声をかけてはいけない相手に声をかけたのではないか。
俺は居ても立っても居られなくなった。
「それじゃあ……失礼します」
俺は彼女から離れることにした。
彼女は結局一言も口を聞かなかったし、こちらを見ることさえしなかった。俺を邪険にするような態度も取らなかった。最初から俺が存在することを知らないみたいだった。
俺は仕方なく別の冒険者に声をかけることにした。
「あの……、ぼくはヤグラケイスケっていうものなんですけど……」
今度はカウンターでお茶を啜っている老人にした。方針はさっきと変わらない。一人でいて、酒を飲んでいない人間だ。
「………………」
老人もやっぱりただ、ずるずると茶をすすっているだけだ。
「今日から冒険者になったんですけど、これからよろしくお願いします」
「………………」
いくら、酒場がうるさく、俺の声がお尻に吸収されて小さくなると言っても、俺が見ていることは分かっているはずだ。それなのに、老人もさっきの女性冒険者と同様、俺の存在を無視している。
だがどういうわけか、話しかけた相手以外の、その場にいる全員が、俺を意識しているのだ。
これはどうなっているんだろう。
「…………じゃあ、そういうことで」
俺はその老人のもとを離れた。
俺はコミュニケーション能力もそれほど高い方ではない。知らない人に話しかけるなんて、現代人には忘れられた感覚なのだ。それをすでに二回もしている。現世、(いや今となってはもう前世か)の俺なら、それだけでどっと疲れを感じるはずだ。加えて、二度も無視された。
俺のメンタルは既にボロボロだったが、俺はもう一度だけ試してみることにした。
「あの俺はヤグラっていうものなんですけど……」
今度はテーブルについて肉を齧っている獣人に話しかけてみた。
獣人と言っても、猫耳をして、しっぽを生やして、体表をふさふさの毛皮が覆っているだけで、骨格や顔立ちは人間みたいなのだ。性別は女性だろう。しなやかな体型と顔つきの柔らかさから俺はそう判断した。
「あの俺っ!! ヤグラっていうんですけど!!」
少しだけ大きな声を出してみた。
「……………………」
だが、その獣人もやはり俺のことが全く見えていないみたいなのだ。
今度は周りの冒険者たちが露骨にニヤニヤしている。
誰からも無視される俺を見るのがそんなに楽しいのか。
「今日、冒険者になったんですけど、これからよろしくお願いします」
「……………………」
少しイラっとしたが、相手につっかかることはしなかった。この集会所では新人を無視するしきたりでもあるのかもしれない。それにいくら文句を言っても腕っぷしではかなわない。
俺は仕方なく、もう一度掲示板を覗いてみることにした。
一番簡単そうな、一人でもできるクエストをこなして、一度出直そう。
第一、一度もクエストをこなさないうちから、誰かとパーティーを組もうとするのは、よくないのではないか。そんな奴と誰が組みたいだろう。
俺はなんとかこの状況を説明しようと、あれこれ理由を考えた。自分に悪いところがなかったか。
だが、別に俺はパーティーを組もうと言ったわけではない。そういう思惑があったにしろ、簡単な挨拶をしただけだ。返事くらいしてくれてもいいのではないか。
俺は口を尖らせながら、掲示板の前に立った。口を尖らせるだけで、やたら割れ目にあたるのだが……。
ダンッ!
急に何かがぶつかってきたのはそのときだった。
「あ、すみません」
俺は咄嗟に振り返った。肩に強い衝撃が走ったのだが、俺の方にケガはなかった。
後ろでは禿げ頭の巨漢が、尻もちをついている。
「イッテ……」
「大丈夫ですか?」
「イテエじゃねえかよ……」
男は唇をゆがめて笑った。辛そうに頭をさする仕草がいかにもわざとらしい。
「すみません……」
「おい、ぼんやり突っ立って、もごもご喋ってよ。それが人に謝る態度なのか?」
男は立ち上がって言った。
身長は俺をはるかに超えている。一九〇センチか、二メートルはあるかもしれない。どうぶつかれば、あんなイカつい男が尻もちをつくのか。
「でも……、僕は掲示板を見てただけですし……ぶつかったのはあなたですよ」
「なんだと?」
なるほど。まともな人間は新人を無視し、話しかけてくるのはこういう男か。俺はここがどのような場所か理解し始めていた。
第一話 地獄の酒場(4/7)へ続く。




