第一話 地獄の酒場(1/7)
第一話 地獄の酒場
俺は道を歩きながら考えていた。もちろん行き先は冒険者ギルドのある酒場なのだが、そもそも自分のこともろくに知らないまま、そんなところに飛び込んでいって大丈夫なのだろうか。
自分のことはよく知っている。腰痛持ちで目には少し乱視が入っている。体力がなくてすぐにつかれるが、これといった持病はない。アレルギーも特にない。キウイを食べると舌がピリピリする方だが、甲殻類は平気だ。慣れ親しんだ勝手の分かる身体で、二十数年間、これで頑張ってきたのだ。
だけど今は、バカ女神アオイのせいで、消化管が上下逆についているのである。
それによって物凄い力が引き出されるということはない。
ただ鼻の下にケツの穴がついているだけ。ケツの割れ目に口がついているだけ。これはもう、どう考えたって倒される側だ。
だが、一つ気になることがある。口は別に食事に使うだけではない。息をするのもやはり口だし、笑ったり、口を尖らせたり、舌を出したり、感情を表現するのもやはり口なのだ。
感情を表現する方は、この際、どうだっていい。だけど、息をするのはどうなるのだろうか。
息は通常、鼻からすることもできる。鼻から吸った息は気管を通って肺に伝わる。一方、口から吸った息も、同じように気管を通って肺に伝わる。消化管が上下逆なのは分かったけど、肺はどうなっているのだろう。
俺は試しに鼻をつまんで、ケツを開いて息を吸ってみた。
異世界の澄んだ空気が肺に広がる。都会の空気よりずっといい。口からもやはり呼吸ができるようだ。
こんどは尻を思いきり閉めて、鼻から息を吸ってみた。
やはり、美しい空気が肺を満たす。なるほど、呼吸は鼻からでも、口からでも同じようにできるようだ。
肺はどうなっているのだろう。
尻の口から吸った空気は、長い長い気管を通って、肋骨に守られた肺に行きつくのか。あるいは、肺は二つあるのだから、一つは胸の中に、一つは尻により近いどこかに収納されているのだろうか。
こんなことはいくら考えたって仕方がない。だけど、それを知っておかなければ、いざというとき困るかもしれない。
俺は田舎の田園風景を眺めながら、あぜ道を歩き、城門を通って街の中へと入っていった。
城門は見張りの兵士がいたものの、昼間は出入りが自由にできるようだ。煙草を吸ったり、あくびをかみ殺したり、緊張感のかけらもない。
城壁に囲われた都市は、石畳の道で舗装され、レンガ造りの家が立ち並ぶ。中央に領主の住む城があり、そこから放射状に道が伸びている。
城門と城を繋ぐ道は比較的幅が広く、人の行き来も激しい。昔ながらの商店街みたいに、野菜や、パン屋、小さな店が軒を連ねている。
俺は店先でフルーツを売っているおばあさんに道を聞くことにした。
「おばあちゃん、ちょっと道を聞きたいんだけど、冒険者ギルドにはどう行けばいい?」
俺はおばあさんの肩を叩いていった。
「はいはい、いつもお世話になっております。パイナップルが三つですね」
おばあさんはおもむろにパイナップルを袋に詰める。
「パイナップルはいらないんですよ! おばあちゃん、冒険者ギルドにはどういくんですか?」
俺は声を張り上げていった。
「へえ、へえ、おかげさまで床離れができました。最近のクスリは効きが早いですわい」
「最近のクスリもいいんですよ!! おばあちゃん!! 冒険者ギルド!!」
どうやらこのおばあさんは少々耳が遠いみたいだ。
「すみませんの。年を取ると耳がとおなってかないませんので、もうちょっとよって喋ってください」
俺はおばあさんによって叫んだ。
「おばあちゃん!! 冒険者ギルド!!」
「おじいさんはとうに死にました。今はわし一人で頑張っております」
おじいさんの話なんかしていないのだが……。
「すみませんの。耳が悪いんでな。もう少しよって、大きな声で喋ってください」
俺はおばあちゃんの耳元に顔を持って行って叫んだ。
「冒険者ギルド!! どこ!!」
「ううむ……、とうとうわしもいかんかもしれんな……。いつもはこれくらいまで来れば、よう聞こえるはずなんじゃが、今日はちっとも聞こえんわい……」
おばあさんが深刻そうに肩を落とす。
俺はそこで初めて気が付いた。いくら顔をそばにやっても聞こえないはずだ。俺の口はケツの割れ目に引っ越しをして、こっちには肛門が越してきたのだ。
聞こえるどころか無礼千万である。
俺はおばあちゃんをしゃがませると、尻を突き出して叫んだ。
「おばあちゃん!! 冒険者ギルド!!」
おばあちゃんはびっくりして言った。
「おお!! 聞こえるようになりましたわい!! …………それにしてもあんた、なんちゅう格好をしてなさる!! こんな大通りでババの顔にお尻を突き出して……。恥を知りなさい!! 恥を!!」
おばあさんは顔を真っ赤にして叫んだ。
「俺だってこんなのヤですよ!! 冒険者ギルドの場所だけ教えてください!!」
さっきから道行く人が怒ったような目で俺を見てくるのだ。
盗賊がババアをからかって遊んでると思われているのだろう。俺は盗賊でもなければ、黄巾党でもない。消化管を上下逆につけられた、かわいそうな男なのだ。
「冒険者ギルド? 最近の冒険者はババにケツの点検をさせるのかいな……」
どこの世界にケツの点検をさせる冒険者がいるのか……。いっそ、それでもいいから、早く場所だけ教えてほしかった。
「全く……。城の手前に噴水があるじゃろう。ちょうど広場になっていて、子どもが走り回っとるわい。その広場の向かいに大きな建物がならんどる。宿屋に酒場、金貸し屋に、教会もありますわい。どこでも好きなところに行ってくだされ。フルーツを買わんなら、もう行ってくだされ……」
すっかりおばあさんに嫌われてしまったようだ。
お礼にフルーツの一つも買ってあげたいところだったが、あいにく一文無しなので、そのまま店を立ち去った。
この見た目にも問題があるのだろう。お尻の穴を隠すために三角巾で口元を覆っているのだが、そんなことをして歩いている人は一人も居ない。盗賊が仕事場からそのままやってきたみたいな……どうも印象が悪いのだ。
俺は道ゆく人の視線に追われるように、酒場へと足を速めた。
第一話 地獄の酒場(2/7)へと続く。




