プロローグ(3/3)
しかも、そいつはなかなかに寡黙なやつで、実直な職人のように何も言うことなく、ただモヤモヤ、モヤモヤと異臭を発してる。
「なんだよ、これ!!」
俺は叫んだ。
「だから言ってるでしょ!! 消化管が上下逆なのよ。口にアナルがついて、大腸、小腸、十二指腸、胃、食道、口って、下に続いていくのよ!!」
アオイは逆ギレしたみたいに言った。
「じゃあ、ここからウンコでんのか!!」
俺は顔の真ん中を指さした。
「言わずもがなよ!!」
「なにが言わずもがなだよ!! ふざけんなよ!! こんなの異世界生活どころか、日常生活だってままならんだろ!!」
ということは、さっきからくぐもっている俺の声は、ケツの割れ目にできた口から出ているのだ。消化管が上下逆についているのだから、本来アナルのある位置に、口があり、口のある位置に肛門があることになる。
通りで、声が後ろから聞こえるわけだ。
「ほんと、これどうするんだよ!!」
「ギャアギャアわめかないでよ!! そんなのわたしに言われたって知らないわよ!!」
俺はなんだか恥ずかしくなってきた。
アオイはさっきから俺の顔を直視していない。
俺はずっと、申し訳なさそうにしていると思っていた。アオイは俺に負い目を感じてるのだと。だが、それは違ったのだ。顔のど真ん中に本来、とってもしおらしい肛門ちゃんがついてて、まともに見ちゃいられないのだ。
「第一、重力ってものがあんだろうよ!! 上から入れるから、下に落ちて出るんだよ。下から入れたって、あがってくるかい!!」
そう。肛門は別に面白半分で下についているわけではない。下についているのには、それなりの理由があるのだ。
「だから、あなたの消化管には、卓越した蠕動運動の能力を付与したわ」
アオイはなぜか得意げに言った。
「卓越した蠕動運動の能力?」
俺はアオイの言葉をオウム返しにすることしかできなかった。
「食物を押し出す消化管の働きよ。とにかく、あなたの蠕動運動は凄いわ。重力をもろともせず、下から入れたものが上から出てくるの。ニュートンもびっくりね」
「ニュートンどころか全人類がビックリだよ!!」
俺のツッコミはケツの割れ目にこもって、切れ味をなくしていった。どれだけ叫んでも、ケツの割れ目が邪魔して、声が上手く通らないのだ。
俺はこんな状況に置かれて、ツッコミの切れ味すら失ってしまったのだ。
「それにさ、さっきからなんだか喉が苦しいんだよ……。喉って言っても、腰の下が苦しいんだけどさ……」
俺はすっかり弱気になってしまった。
「あ、それは恐らく逆流性胃腸炎ね」
「あー、逆流性胃腸炎か……」
類まれな蠕動運動で食べ物が身体の中を上がっていくとしても、胃液は重力の影響を受ける。重力によって落ちてきた胃酸で、喉が焼けているのだろう。
「っていうか、逆流性でもないのかもね。上から下に落ちるのは自然の摂理だから、それはもう、順流性胃腸炎ね。はは……」
アオイの笑い声は虚しいほど乾いていた。
「ひどいよ……、こんなのひどすぎるよ……」
俺はとうとう泣き出してしまった。尾てい骨のあたりにじんと重い物が込み上げてくる。
「もう、しょうがないわね!! どうにかしてあげるわよ!!」
「……どうにかって?」
俺は顔をあげた。
「本当は肉体を授けたあとの能力付与はご法度なんだけど……こんなの前例にもないからね」
「もとに、戻してくれるんですか?」
俺はアオイに希望の光を見た。
「いや、口、喉、食道を胃酸に耐えきれるほど強くするだけよ」
「そこまでするなら消化管を上下逆にして付け替えてくださいよ!!」
「無理よ。それはもう物質化された後なんだから……。とにかく、ちょっとじっとしてなさい」
アオイはそういうと、俺の股間に手をかざした。俺は口……、いや、顔の真ん中についたアナルを手でおおいながら、ことのなりゆきを見守っていた。
「どう、かしら」
アオイは股間から手を離して言った。
「あれ……、ぜんぜんくるしくないです……」
「そうでしょう? あなたの口から胃にかけては、もうどんな胃酸ももろともしないわ。どう? これで文句はないわね?」
「オオアリですよ!! 鼻の下にケツの穴がついてるんですよ? こんな姿で人前に出られないですよ!!」
「ウルサイ!! ウルサイ!! ウルサイ!!! そんなの布でも巻いてかくしてなさいよ!! ほら、匂いを吸収する布をあげるわよ!!」
アオイはどこからか、黄色いバンダナのようなものを取り出してきて、俺の肛門を覆い、後ろで結んでくれた。
ちょうど、荒野の窃盗団か、砂漠の墓荒らしのような格好になる。
アオイはバンダナの結び目をポンと叩いていった。
「良いじゃない、黄色だと汚れも目立たないし」
「言うことが一々汚ねえな……」
「じゃあ、嬉しいこと言ってあげるわよ。あなた、顔の真ん中についた情けないケツアナを隠せば、結構男前よ?」
「嬉しくないんですけど」
「黄色いバンダナも様になってるわよ。言うなればそう一人黄巾軍ね」
「ひとり黄巾軍……」
俺は悲しくなってきた。
「もう、そんなにめそめそされたんじゃ、こっちの寝覚めも悪いってものよ? 過ぎちゃったことは仕方ないんだし、前向きに生きなさいよ!」
「そんなこと言われても……」
「あ、そうだ。あなた今から異世界に転生するんでしょう? あなたの向かう先には魔王が居て、その魔王を倒せば、現世に生き返ることができるのよ。そのときは身体も元に戻るからさ、頑張りなさい!」
「さっき、身の丈にあった生活でせいぜい二度目の人生を満喫しろって……」
「そんなこと言っても仕方ないじゃない。こういう場合なんだから、さっさと魔王を倒しなさいよ」
「そんな無茶っすよ……。魔法も使えない、武術の才能もない、身体だって大きくない。人より秀でているのは蠕動運動だけって男が、どうやって最悪にして最強の魔王を倒すんですか」
「出来ても出来なくても、やるしかないわよ」
「無理っすよ……」
俺の声はケツの脂肪に吸収され、空気を震わすことなく消えていった。
「もう、しょうがないわねえ!! それなら出血大サービスよ。あなたに三つの命を与えるわ」
「三つの命?」
「そうよ。あなたの魂は一度死んでも、すぐに消えたりなんかしない。三回までは、ここに戻ってこられるようにしてあげる。だから、頑張りなさい」
「残機数より、超能力とかをくれよ……。こんなほっといても、やがて死ぬような身体じゃ……命なんていくつあっても……」
「うるさい!! いつまでもうじうじしてるなんてみっともないわよ!! みんな与えられたもので頑張ってるんだから、あんたもさっさと行ってきなさい」
アオイは何やら転移の呪文を唱え始めた。俺の身体は光に包まれ、ゆっくりと上昇していく。
「おい!! 話は終わってねえぞ!!」
「むにゃむにゃ…………むにゃむにゃ…………」
アオイはもう俺を無視して、一心不乱に魔法を唱え続けた。
「おい!! バカ女神!! こんな消化管が逆になった状態で、どうやって異世界生活を送るんだよ!!」
俺は泣きながら、アオイを怒鳴りつけた。
だが、いつの間にかアオイは居なくなっており、俺は街の外れにある大樹の前に立っていた。
どうやら本当に異世界生活が始まるようだ。顔の真ん中に、いつも人知れず頑張ってきたのケツの穴をぶら下げて……。
『異世界にて、我、叛逆者なり』 プロローグ(終)
第一話『地獄の酒場』に続く。




