プロローグ(2/3)
俺が生前なにをしていて、どんなふうに死んだか。
そんなことはどうでもいい。
死はありふれたものだし、俺の人生なんて多くの日本人とそれほど変わるものではない。コンプライアンス的に、俺が成人済みだということだけ伝えておこう。物語には何の関係もないことだが、後で嫌な思いをせずに済む。
この物語を読むうえで必要なのは、俺の名前がヤグラケイスケだということだ。それだって大した問題じゃない。別にジョンだろうが、少年Aだろうが構うことはない。
兄弟が何人いて、どんな親に育てられたか。知りたきゃ教えてやってもいいが、誰も興味はないだろう。
なんにせよ、全ては済んだことで、現世での俺はもうどこにもいないのだから。
死後、俺は暗くもなく、明るくもない、寒くもなく暑くもない、ひっそりとして朦朧とした世界に呼び出されていた。
「もう説明はいらないわね。あなたを異世界に転生させてあげるわ!」
女神は一応盛り上げるかと言った感じで張り切った声を出した。別にそれほど特別なことではないのだろう。細かい説明は一切なしだった。
つまらない説明を聞かずに済むのはありがたかった。必要なことはすべて台詞にある。異世界に転生されるのだ。
「あれ? 反応が薄いわね」
女神と思しき女性が拍子抜けしたように言った。
「異世界転生っすよね? まあ大体分かるんで、さっさとしてくださいよ」
俺は言った。
「ちょっと!! 少しは食いつきなさいよ! そもそもお前は誰なんだ!! とか、ここはどこだ!! とか」
「女神さまじゃないんですか?」
「あんたねえ、自己紹介をしようとしている相手に『え、日本人じゃないんですか?』なんて聞いたらバカだと思われるわよ? 女神は固有名詞じゃないんだから」
女神は嘆息した。
「すみません」
「私の名前はアオイ。女神アオイよ」
アオイはさらに続けた。
「今日は天界をつかさどる神、デュオス様が結婚なさったの。それで特別の恩赦をもって、あなたにもう一度命を授けることにするわ」
「デュオス様、結婚したんですか。おめでたいっすね」
「いまいち盛り上がらないわねえ。今の子ってみんなそうなの?」
アオイは品定めをするみたいに俺の顔を覗き込んだ。
俺だって全く不慣れな状況下に置かれれば驚いたり、取り乱したりする。どちらかというと根性はないし、感情が顔に出やすいタイプだ。だが、異世界転生は現世で予習済みなのだ。異世界に行く。酒場兼集会所でギルドに入る。クエストをこなす。魔王を倒す。
アオイは俺の心中を見透かしたように言った。
「あなたは異世界を甘く見ているようだけど、そこは現世ほど恵まれた世界ではないわ」
「まあ、そうでしょうね」
「それに、ハッキリ言ってあなたは主人公でも何でもない。ただのモブキャラよ。最強にして最悪の魔王を倒して再び現世にご帰還あそうばそうなんて、絶対にできっこないわ」
アオイの目付きは真剣だった。
「良い? 身の丈にあった生活でせいぜい二度目の人生を満喫することね」
俺は頷いた。
自分に何ができて、どんなふうに異世界を満喫するか、そんなことは行ってみなければ分からないことだ。できそうなら魔王を倒せばいいし、できそうにないなら、田舎でのんびりとすればいい。
「じゃあ、あなたの肉体を再構成します」
アオイは俺の前に手をかざすと、目を閉じて意識を集中させた。
すると周囲から光の粒から集まって来て、俺の身体に浸透していく。
俺は目を閉じて、感覚が生まれはじめたのを実感していた。
視覚に加えて、嗅覚、味覚、触覚、聴覚が復活していく。手足に感覚が戻り、足の裏に地面の感覚が広がる。
「あっ……間違えた!!!」
女神が素っ頓狂な声をあげたのはそのときだった。
俺は心の中でガッツポーズをとった。女神が間違えるとなれば、相場は決まっている。大方、無限の魔力を使えるようになったとか、怪力無双を手にしたとか、そういうことだろう。
これは、手違いから最強の能力を付与されることになったのだと。思わず力を込め過ぎて、女神と同等の能力を手に入れたのだ。
しかし、アオイは真っ青な顔をしたまま、視線を泳がせている。
「どうしたんですか?」
俺の声はどういうわけか、毛布を押し当てたみたいにくぐもっていた。
「い、いえ……その……わ、わるいんだけどやっぱり転生はやめて、そのまま死んでくれないかしら」
アオイの声は震えていて、目元に赤みが差していた。今にも泣きだしそうなのだ。
これはただごとじゃないぞ、と思った。
恐らく事態は急激に悪くなりつつある。
「そんなのヤですよ。デュオス様の結婚はどうなったんですか? 特別の恩赦じゃないんですか?」
俺は早口で言った。
「と、特別の恩赦には違いないんだけど……こ、これは恩赦というより、い、嫌がらせ?」
アオイは俺と視線を合わせようともしなかった。
「どうしたんですか?」
俺の声はやっぱりくぐもっていて、まるで後ろから別の誰かがしゃべっているみたいだった。
それになぜか、さっきからぷ~んと変な匂いがする。懐かしいようでもあり、汚らわしいようでもある。本能的に気分を害する間抜けな匂いだった。
「ヤグラくん……昨日……雨が降ってたでしょう?」
「なんの話ですか?」
アオイは俺の言葉を無視していった。
「それで、私、低気圧でヘン頭痛になってたのよ……。もう一日中、なんにもできなくて……ホント最悪っって思いながら、一日中寝てたのよ。それで……朝ご飯を食べたきり、お昼も夜も食べなかったのね」
「だから一体何の話なんですか……」
話がどこへ向かおうとしているのか、よく分からなかった。だが、アオイが必死で言い訳を考えていることだけは分かった。
「それでね、今日出勤する前に一応パンを食べたんだけど、昨日一食しか食べてないからやっぱり集中できなくて……」
アオイは目に涙を貯めて、何度もしゃくりをあげながら言った。
「わたし……あなたの肉体を再構成しようと……頑張ったのよ……。わたしなりに頑張ったんだけどね……。まちがえて、消化管を上下逆につけちゃったの」
「消化管を上下逆?」
俺はアオイの言ってることを上手く理解することが出来なかった。
「だから、普通は顔の真ん中に口があって、そこから食道、胃、十二指腸、小腸、大腸、肛門っていうふうに下に降りてくるでしょう? でも、今のあなたは、その……顔の……まんなかにお尻の穴があって……」
「ハァッ!!!!」
俺は叫んだ。だが、それはやっぱりどこか遠くの方でくぐもったように聞こえた。
自分の顔は自分ではうまく見れない。
だが、さっきからケッタイな香りが鼻につくのだ。
俺は慌てて口元に手をやった。だが、そこには分厚く腫れて横に広がった唇はなく、袋の結び目のようなくぼみが、いじらしいほど控えめについているのだ。
プロローグ(3/3)へと続く。




