プロローグ(1/3)
「ヤグラ君、助けて……」
ミーノはすがるように言った。断崖絶壁の岩肌にこすれ、彼女の粗末なワンピースはボロボロに破けていた。
幼い未発達の胸は痛々しくはだけ、ところどころに擦り傷が見える。
「つかまってろよ……」
そういったものの、俺のなまり切った身体では彼女を引き上げることは不可能だった。
下を見ると断崖絶壁の先に、針山のような磯が見えた。そこに大きな波が怒ったようにぶつかって、激しいしぶきをあげている。
「ヤグラ君……ミーノのこと……見捨てないよね?」
ミーノは唇を震わせ、恐る恐る聞いた。
「ああ……見捨てねえよ……」
自分の言葉に自信が持てず、俺は情けなくなった。今年で十歳になる幼女ですら、俺は引き上げることが出来ないのだ。
「ヤグラ君……手が離れちゃうよ……」
「大丈夫……。なんとかするから……」
「でも……もう力が入らないよ……。ミーノ、このままだと落ちちゃうよ……」
「下を見るんじゃねえ!!」
俺はミーノに叫んだ。
「ちゃんと助けてやるから……。下なんか見なくていい」
言葉とは裏腹に、俺の握力は限界を迎えていた。俺の手の中を、小さな手がゆっくりと滑り落ちていく。
最後に引っかかっていた、数本の指が俺の手から離れた……。
「チクショウ!! 目をつむって、左手をあげろ!!!」
俺が叫んだ途端、ミーノが観念したように目を閉じ、だらりと垂れていた左手が、空中を泳いだ。
俺は崖から身を乗り出すと、その左手を咥えこみ、大腸を思いきりゼンドウさせた。まるで鯉の滝登りのように、俺の体内をミーノの左手が上がっていく。
次の瞬間、物凄い反動に俺の身体がそりあがり、俺の身体は崖の上に打ち上げられていた。
「ミーノ!!」
「平気……。ヤグラ君、私を食べちゃったの?」
「バカ、食べるわけないだろ……。ほら、こんなにはっきり喋ってるじゃないか。これは俺の魔法だよ」
「ほんとうだ。お口の中にものが入ってたら、こんなにはっきり話せないもんね!!」
ミーノが明るい声をだした。
「そういうことだ……」
「でも、なんだかヌルヌルするよ?」
「そういう魔法だ」
「それにニュウって締め付けられるみたい」
「良いから、目を閉じてろよ……」
「うん」
俺は顔の真ん中で彼女の腕を咥えこんだまま、一目散に川を目差した。
川に着くころには、ミーノは眠っていた。
彼女は俺の腕の中で、悲しい夢でも見ているみたいに、ぎゅうっっと縮こまっていた。
「すまねえ……。すまねえ……。俺が不甲斐ないばっかりに……。こんな思いをさせちまって……」
俺は彼女を吐き出すと、彼女の身体を川の水で丁寧に洗った。ミーノはぐっすりとねむったまま、起きることはなかった。
彼女の寝顔があまりにも無邪気だった。仕方がなかったとはいえ、自分が彼女にしたことを思うと、涙が出た。
俺は彼女の身体を洗い終えると、ポケットから魔術を施した特殊なお尻拭きシートを取り出し、彼女の腕を綺麗に拭いた。
「ヤグラ君……、どうして泣いてるの?」
いつの間にかミーノが目を覚ましていた。
「自分が情けなくてだよ……」
「ううん、ヤグラ君は世界一の冒険者だよ。だってミーノのこと、助けてくれたもん」
「俺が世界一なわけないだろ……」
「でもでも、ミーノのこと助けてくれたし!」
「ああ、そうだな……」
「ヤグラ君、落ち込んでるの?」
「この世界に来てから、ずっと落ち込んでるよ」
「よしよし……。いいこ、いいこ」
ミーノは小さな手で俺の頭を優しく撫でた。
「ありがと」
「ううん、お礼を言わなきゃいけないのは、ミーノの方だよ。助けてくれて、ありがとう」
「お礼なんていいよ……。仲間だから、当たり前だろう」
「ヤグラ君って、エンリョしいだよね。へへ、でも、そういうところもすごくカッコイイと思うよ」
何も知らないミーノは穏やかな顔で笑っていた。
俺が世界一の冒険者なわけない。俺は新米冒険者で、職業は「叛逆者」だ。反対の反に、逆転の逆をとって、叛逆者。
いや、あるいは俺が世界一の冒険者かもしれない。その場合、世界一のあとに「不幸」だとか、「不運」と言った二字がつく。世界一不幸な冒険者なのだ。
プロローグ(2/3)へと続く。