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喰い逃げ屋 左文字  作者: 楠木 陽仁
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 左文字と『カタクナ』が喰い逃げ屋で激闘を繰り広げてから一週間が経った。

 先週から顔を覗かせていた寒さは遂に本格化し始め、既に吐く息も白くなっている。

 それでも福富町商店街の盛況ぶりは変わることなく、家族連れや友人グループ、恋人達と多種多様な人の集まりが行き交っている。

 とはいえ、それももう少しあとの時間から。今この午前6時の時間ならそれほど人に会うことはない。

 普段と違い歩むに易い商店街を、向こうからやって来る人影が一つ。立ち上る白い息が帽子の鍔に当てながら歩くのは『カタクナ』の店主だった。

 彼はこの時間が好きだった。大好きなこの街、大好きな商店街。その青い光の東雲に彩られる街道を、まるで独り占めしているようなこの時間が好きだった。

 しかし、ここ数日は少々この道を歩くのに雑念が混じるようになる。

 彼が歩いて向かう先、それはもちろん仕事場であるラーメン店『カタクナ』である。

 この時間から店を開けて、ジックリと丁寧に丹精と愛情を込めて下拵えを行う。そのために店へ向かっている。それを毎日やっている。

 そして今日も店主は店の前までやってくる。だが彼が一番乗りではなかった。

 シャッターの前、毛布に包まり(うずくま)っている者が一人居る。それは店主の気配を察したのか、俯いていた顔を上げると二人の視線が交差する。

「お早うございます」

 寝ぼけた様子で間延び気味の挨拶をするその人物を見て、店主は一週間連続の渋い顔をする。

「なんでここ毎日うちに来ているんだよ。喰い逃げ屋」

 その問いに答えるように左文字はニコリと笑う。そして「気にしないでください」と理由も述べず、貝のように再び毛布に包まってしまう。

 こんなやりとりが一週間続いていた。

 しかも左文字が店前にいるのは朝だけでなく、そのままずっと夜の閉店時間までいる日も何日かあった。

 初めのうちは店主も左文字の嫌がらせか、それとも勝ち誇りに来たのかと思い、無視するように努めてきたが、こうも連日顔を合わせてしまっては、理由を聞かざるを得ない。

「それに、そこにずっと居られると営業妨害なんだよ!」

 毎日家に帰って風呂に入っているから小奇麗ではあるものの、得体の知れない左文字がそこに居ると言うだけで人を寄せ付けぬ雰囲気を醸し出している。

「いいからこっち来い。中に入れ!」

 だから、これ以上左文字を店先に居座らせないために、店主は多少強引ながら店の中へと引き込んだ。

 店の中はいつも以上に寒く感じる。店が営業している間も寒さは感じてはいたが、人がいて火も使っていたので熱気も多少なりともあったのだ。

しかし、閉店後はその熱気も冷めてゆき、今では外と変わらない、吐く息も白く凍る気温に成っている。

 それこそその寒さ、今店主が点けたコンロの青く小さい火が、焚き火のような暖かさに感じるほどだった。

 店主が作業を進めながら見やると、左文字がカウンターでバツが悪そうに、小さくなりながら座っている。

 ―――そう言えば、一週間前もこの席だったか。

 左文字と店主。その位置取りがあの激闘をフラッシュバックさせる。

 自信を持って臨んだチャレンジラーメン。うず高く積まれた野菜の山に隠れて見えなかった左文字。それが徐々に姿を現してくるときの緊張感と焦燥感は今でも覚えている。

「しかし、よく考えたものだよな。カイロでスープを温めるとは」

 恐らくあの秘策こそが大食い勝負において重要な分水嶺だったのだろう、と店主は振り返る。

「いえ、スープが凝る仕組みに気が付いたからこそ思いついただけですよ」

 謙遜するように静かに答える左文字は、何やらしきりに左腕を掻いている。

 どうしてか店主が聞くと、何ともはや、寒冷地用の使い捨てカイロを何枚も左袖に貼り付けていたせいで、低温火傷になってしまったという。

「はぁ、粋狂だねぇ」

 自分の身を傷つけてでも挑んでくるその喰い逃げ屋の姿勢に店主は思わず舌を巻き、呆れたような笑いが込み上げてくる。

 しかし粋狂という言葉は喰い逃げ屋にとっては褒め言葉だと、左文字は笑って受け流してしまう。

 雰囲気が随分と柔らかくなってきたようだ。

 コンロで燃える小さな火が部屋をジンワリと温めてゆくのと同じように、氷のように硬かった二人の場の雰囲気も解れてきたように感じる。

「それで、イッタイ何だって毎日毎日うちの前に居座っていたんだい?」

 だからこそ店主のここ最近の疑問を、気さくな、何気ない感じで質問できたのだ。

「ああ、もしかしてご迷惑でしたか?」

「迷惑ってほどじゃないけれども、気になって仕方なかったな。第一、毎朝寒い中たった一人であんな所に居られたんじゃ、嫌だって目に付くからな」

「すみませんでした。チョット、その、約束したことがありまして…」

 歯切れの悪い様子で語る左文字。何の事だと問い質す店主。

「これは言っていいものでしょうか…。もし言ってもズルいとか言いません?」

「まどろっこしいな。イイから言いなよ。文句言わないから」

 それならと、徐に口を開いた左文字が、先週の喰い逃げ屋、その西部駅前で行われた最後の攻防について語りだす。

「あの時、私は『カタクナ』さんの何十人ものお客さんに取り押さえられて、進退極まっていましたよね」

「そうだったな。あの時は勝ちを確信したんだがな」

「ええ、私もあの時はもうダメかと思いました」

駅の改札から並ぶ客、彼らを前に追い詰めた左文字を捕まえたらトッピングやら大盛りやらを無料にすると宣言したことだ。

「あれは上手いことやられましたね。あれで一気に敵が増えて、完全に多勢に無勢に成りましたし」

「俺もそう思う。あの時は会心のアイディアが降って湧いたと思ったもんだ」

 二人がそう振り返るように、あの時の状態はあまりにも決定的。誰の目にも『カタクナ』の勝利だと思われた。

 だが結果は知っての通り、左文字が絶望的状況から逆転を果たしたのだった。

「あの逆転劇はどうにも信じられなかったんだ。あれほどに一致団結していた俺の客があんなにアッサリと裏切ってしまうなんて」

 その日の夜は悪夢に魘されたと振り返る店主。その苦虫を噛み潰したような顔を見て「実はですね」と左文字は話を続ける。

「その約束というのが、この時私を押さえつけていたお客さんたちにした取引の事なのですよ」

「やっぱりそうか」と笑う店主。

「つまりは、喰い逃げ屋。アンタは俺が提案したことよりも、魅力的な何かをうちの客に提案したってことだろう? それがその取引だったっていうことか」

「そうです。まさにその通り。そうでもしなければあの状況をひっくり返すなんて出来なかったでしょう」

 あんな切羽詰った状況で、そこまで考えて打開策を実行する左文字の胆力に店主は感心しつつ、「それはイッタイ何なんだ?」と聞く。

「そうですね。簡単に言うと『行列代行』ということです」

「…余計に分からん」

「要約しすぎましたね…。噛み砕いて言いますと、『カタクナ』さんのお客さんはラーメンを食べるために行列で長い時間待っているじゃないですか。その行列で並んで待つという手間をお客さんに代わって私が買って出る。それが、あの時お客さんたちとした取引だったのですよ」

「そんなことで!?」

「そうは言いますけれどもご主人。店の前から駅まで続く長蛇の列、それを立ったまま待っているというのはかなり堪えますよ」

 実際に『カタクナ』の列に並ぶお客さんたちは、ラーメンへの期待を述べる声よりも、待ち草臥れたと愚痴る声の方が多かったのだ。

「だから、ご主人の提案よりも私の提案の方が、彼らの目には魅力的に映ったのでしょう。そのための掌返しだったというわけです」

「それで、アンタはここ毎日のようにうちの前に朝から並んで待っていたのか」

「そうですよ。多い日には一日で十人以上の代行を行っていたのですから。自分で言ったことながら結構骨が折れるのですよ、これが」

「なるほどな、ようやく腑に落ちたよ。しかし、よくもまあ、律儀にやるもんだね」

「彼らのおかげで勝てたわけですからね。頭が上がらないのですよ」

 卑屈に謙遜する左文字だが、それでも店主は左文字のその洞察力と他人の心情を汲み取る力の強さに感心していた。

 今まで客を蔑ろにして来たつもりは毛頭ないが、知らぬ間に客たちへ無理を強いていたということになる。

 それを汲み取ってやれなかったということが、今回の敗因だったというわけだ。

「まあ、これは誰が悪いという話ではないのですけれどもね」

「いや、恐れ入ったよ。完敗だ」

 店主でさえ気付いていなかった客の不満を汲み取って、尚且つ上手く利用する頭の回転の速さは本物だ。

 だからこそ、左文字は賞賛に値する。敬意を払うに値する。

「ほら、こいつを食ってみてくれないか」

 そのための一杯を店主は作ったつもりだった。

 鋳物の器、磁器のレンゲ、その内側に香るラーメン。

 温かな湯気を放ちつつ、穏やかな海のようなスープに(さざなみ)のように揺蕩(たゆた)う中華麺から立ち上る豊かな香り。

 その上で大地と花のように彩りを加える具材が目に鮮やかである。

 外の寒さに芯まで冷えてしまっていた左文字には、思いがけないお宝である。

「これは…?」

「今度うちの店で出そうと思っている新メニューの試作品なんだ。是非感想を聞かせてくれないか?」

「そんな、イイのですか?」

「ああ、冷めない内に食ってくれ」

「ありがとうございます。では、いただきます」

 店主の心遣いに感謝しつつ、左文字は一口麺を啜る。

 そこからは一気呵成。左文字は宛ら襲いかかるように一杯のラーメンを手繰り、スープを飲み干してゆく。

「ふぅ…御馳走様でした」

 その一杯を左文字が食べきるまでに5分の時間もかからなかった。

 箸を置き、満足そうな笑みを浮かべる左文字。その顔はほんのりと赤みを帯び、額には汗の雫が浮かんでいる。

「いやぁ、天晴れな食べっぷりだねぇ。胸がすくようだ」

 左文字に食いに対する頑なな姿勢は相変わらずで、店主も思わず見入り、図らずも溜息が漏れてしまった。

「ありがとうございます。とても美味しかったです」

 褒められたことに若干むず痒くなったのか、照れ臭そうに器をカウンターから戻しつつ、左文字は自身の所見を述べた。

「なるほどな。参考にさせてもらう」

 思いのほか素直に左文字の言葉を受け入れた店主は、手元の帳面に言われたことを書き留めている。

「それから、この器ですけれども、私が思うに変えたほうがイイのではないですか?」

「そうなのか?」

「確かに店の個性としてはあってもイイと思います。ですが、やっぱりこの丼はラーメンが冷め易くて良くないと思うのです」

『カタクナ』のラーメンは、チャレンジラーメンの場合もそうだったが、普通のラーメンにおいてもこの鋳物の丼に入って提供されている。

 そうなれば、この丼と机とがチャレンジラーメンの仕掛けとして挑戦者を追い詰めていたわけだが、同じようなことを一般の客にも引き起こしてしまう恐れがある。

 もちろん今までもその対策は取られてきており、一般向けの丼の下にはマットを引いて直接机と触れることを避ける形で熱が逃げるのを防いでいる。

 とは言え、それでも空気中に逃げる熱の量は、瀬戸物の丼よりもはるかに多いことには変わりない。

 その事実には店主も頭を痛めていたようで、前々から何とかしなければとは思っていたらしい。

「けれども、丼を変えるのはどうしてもしたくないんだよ」

「どうしてですか? それが手っ取り早いと思うのですが…」

「いやぁな、その丼、うちの親父の工場で作ったものなんだよ」

 聞けば店主の父親は鋳物工場を営んでおり、そしてこの『カタクナ』で使われている丼や寸胴などあらゆる金属製調理器具は、すべて店主の父親が一つ一つ手間暇かけて拵えた一品だという。

「なるほど、親孝行なのですね」

「いろいろ恩があるからな」

 ならば丼を変えるのは恩を仇で返すようなものだ。

 それなら何か他に案はないかと考える左文字。そしてその閃の速さは先の喰い逃げ屋でも証明されている。

「… ! ご主人、だったらば…」

 ふっと思いついたアイディアに、これはグッドと思ったか、一刻も早く伝えようと左文字が喋る、その時だった。

「あれ? 師匠、何やっているんですか!?」

 するとそこへ顔を出した斉場少年に話の腰を折られてしまう。

「師匠、店の中に居たらダメじゃないですか。ほら、もうお客さんが並び始めていますよ」

 斉場少年に言われて店の外を見ると、あの時の長蛇とはいかないが、それでも『カタクナ』の前には開店待ちの客の列が既に出来始めている。

「やってしまいました! 斉場君、今日の最初の人って何時でしたっけ?」

「開店同時にですよ。もう、どうするんです? 師匠」

「…すでに並んでいる先頭のお客さんに順番を譲ってもらうことはできないでしょか」

「無理だと思いますよ。意図的にこちらの視線を無視してスマホいじっていますし」

斉場少年に突っ込まれて左文字の額に脂汗が滲む。

「ああぁ! どうしましょう。斉場君!」

「どうもこうも! こっちは師匠の勝手な約束に付き合っているんですからね! 昨日だって 何回この列に並ばされたことか!」

「それは悪いと思っています! 許してください。『タカセ』連れてってあげますから」

「それまだ最初の一回も行っていないじゃないですか!」

 ワーのギャーのと叫び、言い争いをする喰い逃げ屋師弟コンビ。「営業妨害だから他所でやれ!」と店の中から飛び出してくる店主。

 彼らのやりとりは今日も盛況を見せる福富町商店街の喧騒の中に溶け込んで、その賑やかさの彩の一部と成っていった。



喰い逃げ屋 左文字   終


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