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喰い逃げ屋 左文字  作者: 楠木 陽仁
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 福富町商店街は東京から電車で30分の場所にある、地方都市の一角を占める商店街である。

 福富町商店街は縦に長い一本道に有り、出口入口の両端にそれぞれ東部鉄道と西部鉄道の二つの私鉄の駅に繋がっている。

 そしてここ数年、その二つの私鉄の駅は大きな変革があったのだ。

まず、東部鉄道はダイヤ改正と新規特急列車の導入が有り、都心からの行き来が以前上にし易くなった。

そして西部鉄道の駅は、以前には無かった西口のロータリーが完成し、今までぐるりと回らなければ行けなかった駅の西側へ、駅構内を通り抜けて歩いて行けるようになったのだ。

東京から離れすぎず、住んでも良い街。便利な街。

その結果、人口の大規模な流入が起こり、都心からの人々に注目されるようになったことが切掛で、この地方都市も新たに再開発の波が起こったのだ。

 元々この地方都市、古き良き町並みを売りにした観光地ではあったが、先述の人口流入と昨今のレトロブームに乗っかって、観光客の数は毎年右肩上がりに増えていき、年間700万人を超えるまでになったのだ。

 その観光客の増加は駅と直結する福富町商店街の財政を潤し、休日とも成れば商店街を歩くのに人とすれ違うことすら難しいほどの繁盛具合を見せる。

 この過剰なまでの客足は、商売をする人間とすれば甘い蜜のようなもので、月が変われば新しい商店が開店することは珍しくない。

 しかし、それとは対照的に旧来の商店が新しい商店に客を取られてしまい、敢え無く店仕舞いの憂き目にあってしまうケースも少なくない。

その潰れた店の跡地には、また新しい店が立つ。そんな新陳代謝の激しさも、近年の発展の功罪とも言えるだろう。

そしてこの『カタクナ』という屋号の店もそんな新興の商店の一つである。

『カタクナ』は福富町商店街でも一二を争う人気ラーメン店であり、ラーメンを取り扱った雑誌には必ずと言っていいほど取り上げられる、まさに名実ともに人気店である。

そのため、『カタクナ』の名声は他県にも知れ渡っており、この味を一口味わおうとする観光客も少なからず居るのだった。

その日も『カタクナ』の前には長蛇の列が形成されていた。この店自体、元々西部鉄道の最寄りに構えられているのだが、それでも駅からは200m近く離れている。

それにも関わらず、店へと向かう客の列は、駅から一列に延々と繋がっており、駅前大通りを横断し、最後尾は駅のホームまで続く有様である。

これには流石に警察も目を瞑るわけにはいかず、休日にも関わらず、交通整理を行っている始末である。

しかし、この日は少々様子が異なっていた。

店に並ぶための長蛇の列は然る事ながる、それとは異なる人の群れも店の前に集まっていた。

「それ! ガンバレ!」「もう少しだ!」「まだ行ける!まだ行ける!」「もうあと一口!」

 口々に観衆が叫ぶ声援の先、そこは『カタクナ』のカウンター席であり、ストップウォッチを構えた店員に見つめられながら、一人の男が顔面を真っ赤に成りながら座っている。

 眼を剥き、汗まみれになり、フウフウと息を吹きかけながら、その男は箸を懸命に動かして、目の前の(どんぶり)に相対している。

 その姿はさながら怪物に立ち向かう勇者のようであり、逆に何かの罰に耐る罪人のような、見ているだけで胸が苦しくなる。

 その様子を見ているのは店の主だろうか。仁王立ちしながら腕を組み、ジッと無言のままその男のことを見つめている。

とてもじゃないが一介のラーメン屋では目にするはずも無い、そんな光景だった。

「すみません、何をやっているのです?」

 事情を知らない観光客が人ごみに引き寄せられたのだろうか。齢は二十代前後、シャツにジーンズのラフな姿の若者が、近くで応援しているオッサンに話しかける。

「そりゃあ見りゃ解るだろ? 大食いチャレンジよ! なあ、…(あん)ちゃん? それとも嬢ちゃんか?」

 周りの熱気にテンションが上がっている様子のオッサンは、こっちに来てよく見てみろと、無理向きざまに若者を手招きするが、一瞬言葉を詰まらせる。

 それはその若者の独特の雰囲気からだった。

 簡潔に言うとその若者は性別が一目では解らなかった。

 体は中背で線が細く、何処も一切筋張っていないが、かと言って女性らしい丸みは感じられない。

その顔立ちも中性的な上に端正な作りで、小柄な体躯と合わさって随分と若い雰囲気を感じさせる。

 そのうえファッションもどっち着かず。所謂ユニセックスであり、髪型も少々長めの毛髪を首筋の後ろ側でチョロっと小さく束ねている。

「まあ、どっちでもイイじゃないですか。それではお邪魔します」

 話す声も声変わり前の子供のように高すぎず低すぎず。何処を切り取っても性別の匂いがしてこない、そんな不思議な若者だった。

「それにしてもスゴい人気ですね。いつもこんな感じなんですか?」

 若者の雰囲気にたじろぐオッサンのそばまで来た当人は、さも珍しいものでも見るように、興味津々といった声色で問いかける。

「あ…ああ。いや、今日は特別でね。確かにこの街は観光地だから人は多いけれども、こんなに熱気に溢れているのは10月の祭り以来じゃないのか」

 いかにもお祭り好きといった様子のオッサンは、このラーメン屋を取り巻く人の熱気にもシンパシーを感じているのだろう。

 オッサンが言うに、この『カタクナ』という店、人気ラーメン屋として以外にもある催し物で有名な店であるらしい。

 その催し物というのは何を隠そう『大食いチャレンジ』である。

『食性睡』と『衣食住』。生物が生きる上で必然とする三大欲求にも、人が人らしく生きるための三大要素にも含まれる『食』。

 そんな『食』を競技として、店と客とが競い合う。それこそが『大食いチャレンジ』であり、飽食の時代だからこそ成し得る格闘技とも言えるだろう。

 現に、大食いチャレンジャーのことを『フードファイター』、食の格闘家と呼ぶほどなのだから。

 そして、その真剣勝負は人がいて、食物があればどこでもできるわけであり、今日はこのラーメン屋『カタクナ』がその試合場となっていた。

 そんな『フードファイター』。箸という武器を持って戦う戦士である彼の前、その手に持つ箸の先が突き刺さる場所に、今日の強敵がそれは根を張るように置かれていた。

 それをラーメンと呼ぶには(いささ)(はばか)られる。まさに命溢れる春の山がカンターテーブルの上に乗っかっている。傍から見たらそう見えたのだ。

 うず高く、カウンターテーブルの先の厨房すら隠す程に盛られた茹で野菜。その周りにスケイルメイルでも纏ったかのように張り巡らされた厚切りチャーシュー。間から覗くメンマは樹木のようにそそり立ち、(てのひら)タップリ二掴みコレでもかと乗せられた刻みネギが鬱蒼と茂る深林のような底知れなさを思わせる。そして半割りにされた無数の煮玉子は、大輪の花のように(いろどり)を添えている。

 そんな山に例えられるほどの珠玉の一杯。名づけて『チャレンジラーメン』が今日の強敵である。

 しかし、こんな物をどうやって食べたものか。普通の食欲の人間では、その姿を見ただけでギブアップを宣言しても、誰も責めたりはしないだろう。

 だが、そこは『フードファイター』普通じゃない。意地とプライド、テクニックと胃のキャパシティを以て果敢にチャレンジラーメンに立ち向かってゆく。

その証拠に、今日の挑戦者である彼も、少しずつではあるが野菜を喰らい、肉を喰らい、食べ始めてから約15分、ようやくその丼の半分が無くなったところだった。

「それにしても、あの挑戦者、頑張りますねぇ」

 彼の奮闘を目の当たりにした若者は感心した様子でそう言った。

「そりゃァそうさ。なんせ今日の挑戦者はあの『リトルギガント』こと黒岩なんだからね。許容量が違うのさ、許容量が!」

 そんな若者の問いかけに、返事をするオッサンも、テンションが上がっているのだろうか、その声は年甲斐もなく弾んでいる。

 オッサンが息を弾ませて紹介したこの黒岩という男。実はかなりの有名人である。

 数年前にテレビの大食い選手権で初出場にも関わらず初優勝という華々しいデビューを果たすと、その後は連戦連勝、洋の東西を問わず大小様々な大会に参加しては優勝を総なめにしてきた猛者である。

 それほどの大食漢である黒岩であるが、その身長は小柄であり、大柄な欧米人と並ぶと頭一つ二つの差がある。

そんな彼の体の何処にそんなに入るのか。巨漢の欧米人でさえ眼を回してしまうほどの量の食事を平らげるさまを見て、「マッタク何時の時代もジャパニーズはアメイジングだよ!」と、驚いた彼らがいつの間にか付いたあだ名が「リトルギガント」。直訳すれば〝小さな巨人″である。

「オイオイ、いけるんじゃねぇか」「ついに達成か?」「ひょっとするとひょっとするんじゃないか?」

 ザワめきは熱狂に、囁きは声援に。観衆のボルテージがムクムクと盛り上がってくる。

「実はね、ここの大食いチャレンジは、店が開店した当初からやっている名物企画なんだけど、未だに誰ひとりとして成功者がいない、難攻不落の大食いチャレンジなんだよ」

どことなく、我が事のように自慢げに話すオッサンに、周りの人言も呼応する。

「ほら、あそこを見てみろよ。歴代のチャレンジャーが写真で飾られているんだぜ」

「でも、ほら、ドイツもコイツもみんな失敗しているんだ」

「テレビに出てたことのある有名な奴も沢山挑戦しているが…ダメだねぇ。みんなあと一歩まで行ってギブアップしてしまう」

 彼らが指を指す先に、ズラリと並んぶ額縁入りの写真が飾られている。

 写真に写されているのは名立たるフードファイター。皆が皆二つ名を持ち、数多くの大食いチャレンジ大会で激戦を繰り広げてきた勇姿たちである。

 だが、その写真の中、撮られた彼らの顔には誰も笑顔がない。誰もが皆、苦悶の表情を浮かべながら天を仰ぐか俯いている。そして共通していることは、大量に残されたラーメンの山が一緒に写りこんでいるということだった。

―――なるほど皆、コイツにやられたのですね。

シゲシゲと、注意深く写真を眺める若者は、ふと何を思ったか眉を顰め、カウンターの上に乗せられたラーメンを睨みつける。

確かに丼に盛られているラーメンの量は尋常じゃない。普通の人間ならばそれを食べ尽くすことなんて、出来るはずもないだろう。

―――それでも。

若者が何を思ったのか知る由もない観衆が、前人未到の偉業を現実にして欲しいという願いを載せて、声を荒げて声援を送る。

沸き上がら観衆の期待を一身に受ける黒岩。それに応えるようにラストスパートをかけるつもりで一気に丼の中身を掻き込んでゆく。

「くーろいわ! くーろいわ! くーろいわ!」

 声援、手拍子、肩組んで。店の周囲半径10m圏内にいる人間は全員が心を一つに合わせ、一人の戦士を応援している。

 もうすぐ終わりが見えるんだ。一大記録の達成だ。そこにいる誰もがそう思っていた。

 ―――ああ、これはダメかもしれないですね。

胸中にそんなことを一人思う、先ほどの若者を除いては。

 そして、終わりは唐突にやってきた。だが、それは此処に居る誰もが望む形のものでは無かった。

 ピタリと、黒岩の箸の動きが止まってしまったのだ。

 それどころか黒岩は俯いたまま、まるで甲羅に(こも)る亀のように沈黙してしまった。

 その光景を見て観衆は皆唖然とする。ザワめきが辺り一面に伝わって行く様は、水面に一滴の青い毒を垂らした様だった。

「そんな、嘘だろォ!?」「ここまで来たのに!」「ほら、後チョットだ! 頑張れよ!」

 黒岩を応援してきた聴衆がもう一踏ん張りとばかりに声を上げるが、もはや黒岩はびくとも動こうとしない。

 それどころか脂汗を流し、えずく様な息遣いをしているではないか。

もはや味わう余裕はない。食を楽しむ気持ちもない。それでも彼がギブアップしないのは、今までの経歴とそれに伴うプライド、そして何としてでも観衆の気持ちに答えようとしたからだろう。

おそらく最後の力だろう。黒岩は箸を振りかざし、丼に突き立てて一気に麺を持ち上げようとする。

だが、どういうわけか腕が、箸が持ち上がらないのだ。

―――ここまでですね。

若者が見据える視線の先で、絶望的な表情でラーメンを見上げる黒岩。

そんな黒岩のことなど歯牙にもかけないといった様相で、ラーメンの山は変わらず、カウンターテーブルの先を覆い隠し続けている。

「それまで!」

 記録係を勤めていた店員の声が響いたのは、黒岩が石になってから10分後だった。

 その一言を聴き終えた黒岩は、まるで糸の切れた操り人形のように、そのまま椅子から崩れ落ちドシンと音を立てて床に倒れ込んだ。

「あぁ…、あの黒岩でもダメなのか。しかし惜しかったと思わないか?」

 この顛末に苦笑いを浮かべるオッサンが、隣にいるであろう不思議な雰囲気の若者に話しかける。しかし、当の若者は何を言い残すこともなく、人ごみの中を掻き分けて去って行ってしまう。

 背後にオッサンの舌打ちを聞きながら、若者はツカツカと何の気を使うことも無く歩いてゆく。

 普通ならこれだけの人間が、一箇所に集まっている人口過密地帯を歩こうものならば、誰かの肩なり腕なりにぶつかってしまうだろう。

 ところがその若者はまるで風が木立を通り抜けるかのように、流水が巌の周りを苦も無く流れるように、スルスルと誰にもぶつかることもなく一人の少年の前にやってきた。

「やあ、斉場(さいば)君。首尾はどうですか?」

 若者に声をかけられたのは、若者よりも更に小柄な斉場少年であった。

若者の声を聴いた途端、斉場少年がその手に持ったスマートフォンの画面から顔を上げると花が咲いたような笑顔を綻ばせる。

「あっ、お疲れ様です。左文字(さもじ)師匠!」

 左文字と呼ばれた若者の側に駆け寄ってくる斉場少年は、まるで飼い主を目にした途端に駆け寄ってくる子犬のようだった。

 ―――可愛らしい。

 ふと頭を撫でてやりたくなる衝動に駆られる左文字だが、オホンと一つ咳払いをして取り繕う。

「それで、ちゃんと撮れてますか?」

「バッチリここに!」

 向けられたスマホの画面を覗き込む左文字。そこには先程の黒岩の奮闘の様子が克明に映し出されていた。

「ちゃんと言われたように黒岩が店に入るところから調理風景、配膳の様子、食事の初めからその顛末まで全部撮ってあります」

「ありがとう、斉場君。上出来です。取り敢えずそこの喫茶店で話をしましょうか」

 左文字に褒められた斉場少年は嬉しそうに、ペロリと舌を出して頭を描く。

そして、喫茶店の椅子に座った彼は、さも興味深いといったようにスマホの動画に目を落とす。

「しかし、なんですね。黒岩と云ったらこの国でも一二を争うフードファイターじゃないですか。そんな彼でも失敗してしまうなんて。ヤッパリあの『カタクナ』という店、予想以上に難易度高いんじゃないんですか?」

 小動物らしい困ったような、不安そうな表情をする斉場少年に、左文字は「ふむ…」と首を傾げて、運ばれてきたコーヒーを口にしながら小さく唸る。

「さっきのフードファイト。途中からですが見ていて思ったのですけれども、チョットだけ違和感を覚えたのですよね」

「違和感ですか? どの辺がオカシイと思ったんです? 師匠」

「ええ。では逆に質問しますけれども、斉場君はあのラーメンのこと、初めから見ていてどう思いましたか」

「どうって…とんでもなく量が多いなと」

 イチゴパフェを口にしつつ記憶を辿り、先程の熱戦の様子を思い返す斉場少年に、「そうですね」と左文字は優しい声で返事をする。

「確かに、今日のフードファイトで出されたラーメンの量はとても多かったですね」

 斉場少年の言うように、思い返すだけでも胸焼けがしてしまうほどの、山に形容されるラーメンの量なんて、普通に考えて常人なら食べきれるものではないだろう。

「ですが、あの量はフードファイターにとって特別多いと言う訳ではありません。むしろ平均的な量だと言えるでしょう」

 その言葉に少々驚く斉場少年に、今度は左文字が自分のスマホの画面を見せる。

「見てみなさい。これは黒岩氏のSNSにアップされている写真です」

 左文字が言うように、画面には空になった丼を掲げてガッツポーズを決める黒岩が映し出されている。

 その顔には満面の笑みが浮かべられており、今日見たような苦悶の陰りは一切なく、それどころか未だに底知れない余裕を感じさせている。

「それと、これがその時に黒岩氏がその時に平らげたラーメンです」

 左文字が画面をスワイプすると、続いて目を剥くほどに、山の様に盛られたラーメンが映し出される。

「―――? て、あれ⁉」

「気が付きましたか?」

 斉場少年の様子に頷く左文字は、自分のスマホと斉場少年のスマホとを並べてみせる。

「見てわかるように、黒岩氏が今日挑戦したラーメンと、以前に攻略したラーメンの量はほぼ一緒なのですよ」

 左文字の指摘するその通り、二つの画面に映し出されたラーメンの量および具材の内容共にとても酷似しているのである。

 しかし、いくらラーメンが酷似していたとしても、その結末は明らかに明暗が分かれてしまった。

 過去に成功していたとしても、今日に失敗しているのなら、イッタイその差はどこから来たのだろうという疑問が斉場少年の脳裏に浮かぶ。

「どうしたんだろう? 黒岩さん。今日は体調が優れなかったのかな?」

 師匠はどう思いますかとの斉場少年の質問に、「それも考えられますね」と左文字は思考を巡らせる。

「ですが、今回のことはもっと別の場所に根本があると思うのですよ。…因みに、斉場君。君の目から見て、今日の黒岩氏の様子はどの様に見えましたか?」

「えぇと、そうですね。…思い出してみたんですけれども、特に体調が悪いといった様子は無かったですね」

 それどころか今日の黒岩は絶好調だったらしく、制限時間30分の半分のである15分で平らげると宣言したり、追加トッピングとして煮玉子とチャーシューをオーダーしたりと、観衆を煽るようなパフォーマンスをしていたのだ。

「確かに、調子は良かったようですね。SNSを読み返してみても、調子のいいことしか書いてませんし」

 それなら何故と、質問する斉場少年に、左文字はある仮説を立てる。

「黒岩氏自身に落ち度がないとすると、考えられるのはヤハリ何か他にカラクリが…トリックがあるのだと思います」

「トリックですか?」

 それはイッタイと問いかける斉場少年に「それはまだ解りません」と左文字は答える。

「ですから、これからそれを調べることにします」

 斉場少年が左文字の視線を追うと、喫茶店の窓の外、未だに長蛇の列がずらりと連なっている『カタクナ』の店構えが目に入る。

「これからラーメンを食いに行くということですか?」

「その通りです。腹具合は大丈夫ですか? 斉場君」

 左文字の問いかけに斉場少年は自身の腹を摩った後、困ったような表情をする。

「いや、その、さっき食べたイチゴパフェがラーメンと喧嘩しないか心配で」

「何を言っているのですか。これもトレーニングだと捉えなさい」

 うへぇとおどけて舌を出す斉場少年。それでも左文字の言葉を飲み込んだのか、話を元のチャレンジラーメンに戻す。

「しかし、不安ですね。いくら師匠が大食いだからといって、あの黒岩が攻略できなかった超特盛ラーメンを食べきれるか…」

「おや? 斉場君は私を信じてないのですか?」

「いえ! 決してそのようなことは。ただ、師匠の場『食べ終えた後』があるじゃないですか。その…あれが…」

「『喰い逃げ屋』のことですか?」

 その言葉に店中からの視線が一気に二人へ集まる。

「! チョット、師匠! こんな公共の場でおおっぴらに言わないで下さいよ」

 焦る顔で左文字を制止する斉場少年に対し、当の左文字は何処吹く風。涼しい顔をしてみせる。

「マッタク、斉場君は小心者ですね。それに不覚悟ですよ。そんな心根で私の弟子が務まると思っているのですか?」

「わかっていますけども、それはそれです。やっぱり人聞きが悪いですよ」

「まあ、それについては否定できないですね。自分の稼業に人権が無いというのは、どうにもこうにも肩身が狭いですよ。私達の『喰い逃げ屋』は素人の『食い逃げ』とはわけが違うんですがね」

 苦笑い混じりにコーヒーを啜る左文字に、斉場少年は慌てて取り繕う。

「師匠がスゴイのは知っていますし、とても尊敬できる人だと思います。あの時も道を踏み外しかけた僕のことを正してくれましたし」

「正した挙句に食い逃げをやらせるっていうのは、どうにも変な話ですが。それに、褒められるようなことは全くしていないですよ」

 嘲て笑う左文字に対していよいよ以てまずいと思った斉場少年は、焦ったように話の軌道修正をかける。

「ところで、師匠はあのラーメンに勝算があるのですか? 何せ大食いチャンピオンの黒岩ですら退けるラーメンなんですよ。『逃げを打つ』それ自体にたどり着けるかどうか。かなり厳しい戦いになると思いますが」

「まあ、そう言う稼業ですからね。仕方ありません」

 不安げな表情を見せる斉場少年とは対照的に、左文字は自身に満ち溢れた笑みを浮かべている。

「それに、勝負はまだ始まってないのですから、不安に思うことも無いでしょう。『人事を尽くして天命を待つ』なんて言葉がありますが、私たちは人事の一つも尽くしてないのですから。勝算が有るか無いかはその後に見極めるとしましょう」

「ホントに師匠は楽天家ですね。まあ、そうやってドンと構えているのが師匠らしいのですが」

「褒め言葉として受け取っておきます」

コーヒーを飲み干し、席を立った左文字は、二人分の代金を払い斉場少年と共に喫茶店を後にする。

店のドアのガラスに代金を貰えたことにホッとしている店主の姿が映り込むが、そんなことなど気にせずに、二人は振り返らず前を、通りの向こう側へと視線をやる。

そして、先ほどの激戦の名残もなく、普段通りの混雑具合を取り戻したラーメン屋『カタクナ』へと足を向けた。

「ともあれ、まずは偵察です。『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』と言いますが、私達はここのラーメンを、まだ一口も食べてないんですよね」

 これから喰い逃げ屋をしようとするこの左文字であるが、揚々と足取り軽く、春の野を行く童子のような純真さを纏っている。

 それは、まるで自分の行いを愛してやまず、これから美味しい料理を食べることが楽しみで仕方がないといった、そんな心持ちが感じられた。

「やっぱり師匠は何だかんだ食べることが大好きなんですね。そうでないとこの稼業をやろうだなんて思いもしないでしょうし」

左文字の纏う純真さに当てられて含羞(はにか)む斉場少年の言葉に、少々バツが悪くなったのか苦笑いする左文字の隣を夜の風がヒュウと吹き抜けていく。

「チョット冷えてきましたね」

「師匠、これを。ちゃんとクリーニングに出しておきましたよ」

 少々の身震いをした左文字を見て、斉場少年は背負っていたカバンから上着を一枚取り出し手渡した。

 それは、背中に藍で㊧と染め抜かれた印袢纏だった。

 斉場少年に礼を言い、印袢纏に袖を通した途端、左文字を取り巻く空気が一変したように感じた。

 それは、勝負師が纏う『闘気』、『オーラ』の様なもので、さながら陽炎のように、蒼く燃え立つ炎を左文字が背負ったように見えた。

「ああ、やっぱり『形』になりますね」

 惚れ惚れしたと言わんばかりのため息を漏らす斉場少年に、左文字は衿を正して店に足を向けた。

「さあ、行きますか、斉場君。屋号に恥じない仕事をしましょう」


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