プロローグ
『INN速報』
『本日14時頃、消息不明となっていたIL633便の乗客とみられる高校生5名を房総半島沿岸にて発見』
ピッピッという効果音と共にTV画面に速報が流される。
このニュースは瞬く間に日本――そして世界中へと発信され、各メディアはこぞって詳細を知ろうと取材に殺到し、様々な情報を発信した。
この速報のおよそ1週間前、IL633便行方不明事件が世間を騒がせていた。
インディアナ・ステイツ航空IL633便羽田発オーストラリア行き。
7月24日。乗員・乗客244名を乗せ羽田を飛び立ったIL633便は、突如レーダーからその姿を消し消息不明となった。
乗客は、長期休暇を利用し短期留学に参加した高校生30名を含め、157名もの日本人が乗っていた。
なんらかのトラブルが考えられたが、事前の整備にも問題はなく、機長・副機長とも十分なベテランで健康状態も良好。消息不明となる前の最後の交信の際も特に変わった様子は見られなかったと、インディアナ・ステイツ航空側は発表した。
その後、関係国・関係機関は総力をあげその消息を探ったが、何1つその足取りを掴むことが出来なかった。
謎が人々の関心を呼び、加熱した報道合戦の中、1週間が経過した。
その間、報道だけではなくネット上でも限られた情報から憶測、推測が飛び交い事故説、テロ説、某国黒幕説、宇宙人説、異世界説など真偽の定かでない話が出回っていた。
その過熱した報道・世論の空気の中、飛びこんできたのが今回の乗客であった高校生5名発見のニュースだった。
当初、行方不明の高校生が発見されたということで、奇跡の生還として概ね歓迎する面が多かった報道であったが、高校生たちが揃って「記憶がない、覚えていない」と証言したことでその空気は一変する。
航空機の消息が不明なままであったこともあり、一転してミステリーや怪事件として扱われはじめた。
一部のマスメディアにて、高校生たちの服装が乗航時とは違っていたのではなどと報じられたりもしたが、その点については警察が否定する声明をだした。
高校生たちは当初単なる被害者だとみられていたことから、事件当初には名前も広く報道された。状況からすぐにその方針は撤回されることになったが、彼らの自宅にも多くの報道関係者の他、野次馬が押し寄せた。だが、当の本人たちは学校が長期休暇中だったこともあり、家から出ることはなく、何も語ることはなかった。
それから1か月。
IL633便行方不明事件に新たな発見はなく、行方不明者が減ることはなかった。一部のネット界隈では根強く話題となることはあったが、テレビニュースなど大手メディアでの扱いは次第に他の事件にとってかわられ、事件への関心は次第に薄れていった。
9月1日。
学生たちが長期休暇を終え、学校に復帰する頃にはいくつかのニュースで復帰することが、事件の振り返り共に極簡単に伝えられ、TVのキャスターやコメンテーターが
「早く元の生活に戻れるよう周囲も協力しないといけませんね」
とどこかで聞いたようなコメントをする程度の扱いとなっていた。