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第1話《FirstLove》

夜20時頃、駅のホームで青白い顔をした女が整列して電車を待っていた。


(今日も疲れた。 会社にいるだけでもしんどいのに、電車に乗って帰るのも重労働とは)


30歳になったばかりの女・時森 芽々は仕事帰りで相当化粧が落ちているだろうと、スマートフォンアプリの鏡で自身の顔を確認する。


(あーぁ、酷い顔。せめて美人だったらマシだろうに)


顔出ちは突出したものもなく、しいていえば目が人より大きめという自認だ。


すっかり疲れ、枯れきった女は肌荒れも酷く、毛穴が黒ずみ血色が悪い。会社から出てくる前に見た鏡の中の自分を憐れんでしまう。


帰りの電車待ち時間。

鏡アプリを閉じると点字ブロックの黄色を見下ろし、人に見えないよう鼻で嗤いながらポツリと呟いた。



「価値、か」


その単語は私が一番悩んでいるものだった。


会社というものは辞めてくれとは言わず、社員から辞めさせてくださいと巧みに誘導する。


私もまた退職するように際どいレベルで言われるようになっていた。


ここにいる価値はあるのか。


そんなにしがみついて、お互いそれは幸せなのか?


円満に終わらせた方がお互い楽になる。


雇う価値ってなんだろうね?


そこまで何かあるのかな?


そうやって中年の管理職は若さを失いつつある能無し女の処理にかかる。


私はそのターゲットとして日々追い詰められていた。



(しがみついて何が幸せなのって? 知らないよ、働かなきゃ生きていけないんだから)


少し前までは50代後半の役職のない中年男性が追いやられ、正社員から契約社員、始末書の果てに退職に追いやられた。


しがみついて幸せ? と、目を三日月の形に変える上層部の人たちに恐怖を覚えたが、自分に向けられるとは思ってなかった。


まさに人生の岐路に立たされていた。


(転職しようとしてもどこも私を認めてくれない。採用されるなんて夢物語)


「若さを失って、何もない私は社会にいらないのかな?」


鞄からスマートフォンをとると、メッセージが届いていることに気づき開いてみる。そこに出てきた名前は高校時代の友人であった。



「……里穂?」


たまにやりとりするだけだが、ここ最近は連絡が途絶えてたと懐かしさに画面をタッチしてメッセージを開く。


『久しぶり! 突然なんだけど黒咲 由利くん覚えてる?』


「黒咲くん!」


出てきた名前に心臓が飛び跳ねる。


懐かしさに表情が綻び、えくぼが浮かんだ。


黒咲 由利くん、高校生の時、好きだった人。


気持ちの高揚した私はニヤつく顔を誤魔化しながら早打ちで返事をした。



『覚えてるよ。黒咲くんがどうかしたの?』


『死んだんだって』


「え?」


たぶん、今の私の表情はバカみたいに点で構成されている。


理解がまったく出来ない。


ただの文字の羅列にしか見えなくて、目をパチクリさせた。



『芽々、黒咲くんのこと好きだったから言っておこうと思って』


「え、ええ? ちょっと、わけわかんない」


理解不能すぎて私は電車待ちの列から離れると、そそくさと駅ホームから離れ、改札口付近まで走るとすぐに里穂に電話をかける。


「もしもし、里穂!?」


「あ、芽々? 久しぶりー、元気してたぁ?」


数コールで里穂はすぐに電話に出てくれたので、私は食いつくように電話口に吠えてしまった。


「元気……ってそうじゃない! さっきのなに!?」


「あー、黒咲くんのこと? なんか……自殺って報道されてる。意外なんだけど。 あの黒咲くんが自殺って」



自殺? 黒咲くんが?


あんなに明るくて優しい人気者の黒咲くんが?


卒業式のとき、泣いて笑ってみんなで写真を撮った中にいた黒咲くんが自殺?


非現実的すぎて息が止まりそうだ。



「大人になるとどうなるかわからないもんだね。 もうみんなと縁ないからニュースで見てびっくりした」


全国ニュースにはならなかったが、地方のニュースにはなっていたようだ。


同じ名前の同級生。


公開された顔写真は高校の卒業アルバムに掲載された写真だった。



「なんか信じられないね。 知ってる人がもういないなんて」


(うそ、うそだ。 あの黒咲くんが自殺だなんて……)


他人事のように感想を言う里穂に対し、私は動揺を隠せない。


全身が心臓になってしまったかのように熱くて激しく血が流れて、頭が麻痺していく。


脂汗に冷や汗が混じり、毛穴に詰まったファンデーションを落とそうとしていた。


「おーい、芽々聞いてる?」


「あ……」


「芽々は黒咲くん好きだったもんね。 あたしよりショックだろーね」


ショックなのかさえわからない。


なんの実感もないのだから。


誰かに言われただけでは、文字をみるだけではわからない。


私の頭の中にはまだ高校生の黒咲くんが笑っているのだから。



「せっかくだしこっち帰ってきたら? 仕事休めない? 久しぶりに会おうよ」


気にかけてくれたのか、話題を変えようとする里穂。


傷に触れようとしない適度な距離感に今は救われた。



「……うん。 ちょっと、会社で相談してみるね」


そして私は電話を切った。


駅ホームへ戻るとちょうど電車がやってきたので私はそれに乗り込み、座れないけどぎゅうぎゅうとは言えない混み具合の電車に揺られながら黒咲くんとの最後の会話を思い出す。


***


卒業式の日、みんながそれぞれの反応を示しながら卒業証書の入った黒筒を握りしめていた。


友達と別れ、校門の前で私は黒咲くんと対峙する。


「なぁ、時森はノストラダムスの大予言って覚えてる?」


突然のワードに私は目を丸くし、ケラケラと笑う。


「あー、なんか小学生のときに話題になったやつだよね? 懐かしー!」


子どものときに何かと言えば笑ってその時を待っていた。


それが本当なのか、嘘なのかはどうでもよく、話題として何かと滅亡と冗談を発していた。



「みんな世界が終わるって言ってた」


「終わらなかったな。 ……終わってくれればよかったのに」


「え? 今なんて」


呟かれた言葉を聞き取れなかった。


黒咲くんは散り際の桜のように淡く微笑んだ。


「ううん、なんでもない」


頭をくしゃくしゃと撫でられ、私は唇を尖らせながらも内心胸を高鳴らせて上がってしまう口角を押さえつける。


くすぐったい。


でもまるで幸福感しか知らないかのような高揚に私は綻んでいた。


「ここを離れてもオレのこと、忘れないでくれよ?」


「忘れるわけないじゃん!」


(忘れるわけないよ。 ずっと好きだったんだから)



一瞬にして私の心は未練がましい気持ちに汚染される中、片手に持っていた黒筒を握りしめてへらりと笑う。


それから何気ない雑談をして、私は黒咲くんへと手を振り最後の別れをした。


私と黒咲くんの道は制服を着て通う学び舎を背に、右と左に分かれていく。


振り返ったときに見た黒咲くんの背中は、はじめて見た時よりもずいぶんと広くなり、春なのに寒さを感じた。


この先、二度と見ることはないとも知らず、私はその背が見えなくなるのを黙って見つめていた。


「さよなら、私の初恋」



***


里穂とのメッセージのやりとりをどこか俯瞰的に眺める。


(黒咲くん、自殺なんてどうして)


あまりに実感がなさすぎて、実はエイプリルフールでしたオチはないだろうか。


いや、時期も違って今は薄手のコートが必要なほどだ。


(都会と違って田舎だからとっくに結婚でもしてると思ってたけど、どうだったのかな)


じわりと、視界が歪んだ。


目頭が熱くて周りの人たちが横にゆらゆら揺れる。


(あ、どうしよう。 泣きそ……やだ、こんなところで)


手の甲で強めに瞼を擦る。


小さな粒が手の甲でラメがついたように光っていた。


息を整え、私はただなんとなく出入口の上に設置された液晶に目を向け、羅列される文字を読む。



『ふたご座流星群の予想極大時刻は本日14日22時頃を予定。日本で条件良く観察できる時間帯に当たっています』


かわいいポップな星のイラストが液晶に降っている。


思わず頬を緩め、笑ってしまった。


(そういえば黒咲くんって星好きだったな)


今では閉鎖された屋上に、当時は忍び込んで学校が閉まるギリギリまで星を眺めていた彼を思い出す。


都会に出てきてからというもの、私は星が魅せる幻想的な景色というものを見ていない。


ふと、現実から離れたいと思ってしまう。


誰にも訴えられない圧力と、特別大切な人がいない家と会社の往復の日々。


運良く休めても一人ベッドの上でスマートフォンを触るだけの口を開かない夜。


誰を思い浮かべることもなく、SNSでみる知らない人の身近な話。


それを語ることもなく、ただ暗闇の中で光るディスプレイを見る。


人工的なもの、冷たいだけのもの。


人生って、こんなに流れるだけだった?


心躍らず、傷さえも麻痺してわからない。


子どもの頃にこうなるだろうと想像していた大人にしては、あまりに退屈であまりにみじめだ。


仕事がなくなったらどこまで底は低くなるのだろう。


底辺ってどこにあるのかな。


よくわからない。


ただ、無性に私はあたたかさが恋しくなった。


何を考えたのか、考えなしなのか、そのまま電車で終着駅まで乗っていき、やってしまったと自己嫌悪しながらもこんな日があってもいいと気丈に振舞った。


降りた先は低い屋根の並ぶ住宅街で、少し歩けば山に繋がる郊外の未開発地域。


都会と自然の狭間にある人の少ない集落だった。


衝動的に、明日のことはお構いなしで来てしまったが、歩いてたどり着いた辺りを一望できる丘。


特別な夜だからか、意外と人がいる。


さすがに黒パンプスの一人女はいなかったが、意外と無心で丘を登れるものだと驚いてしまった。



(体力ないくせにこういう時だけは歩ける謎)



空を見ると星が輝いており、チラチラと流れ星が見えていた。


(みんな流星群見に来てるんだなー。 でもやっぱり女一人で見に来てるのはちょっと恥ずかしいかも)


男性一人か、または大学生くらいの集団しかいない。


ポツンと立っているスーツジャケットを羽織った3センチヒールの独身女は私だけだ。


これが女の孤独というもの。慣れたものだ。


未来予想図は結婚して子ども二人、ローンで家を買って仲睦まじく……なんていう昭和の好景気みたいだったはず。


好景気を知ることのなかった世代の私にはそれこそおとぎ話で、美味しい味かを問いたくなるものだった。


(穴場でもないかなー?)


あたたかさを求めたはずが冷えていく。


トホホと私は腰を曲げて草を踏み、その場から離れた。


「あ、こっちは人いない」


もう少し高いところへと登り、人目を避けるように歩いていくと小さな穴場スポットを発見する。


柵のない少し足場の悪い場所だが、そこから見えたものは世界を一変させるものだった。


下には住宅の明かり、上には星空、夜に駆けるは見飽きることのない光の競走。


(こんな満天の星空、こっち来て見るのはじめてだなぁ)


スマートフォンを点滅させると、時間は見頃を迎えたことを表示していた。


「見に来てよかった」


これは酔いしれたくなる光景だ。


誰にも縛られない、溶け込みそうになる幻想的なものだった。



「黒咲くんも、見たかっただろうな」


大人が子どもに言う亡くなった人の例え。


黒咲くんも星になったんだ。


もう、いない。


実感なんてないくせに、死を想うと涙が溢れた。


(もし、もう一度会えるなら。私、絶対に黒咲くんを失いたくないよ。ーー助けたいよ)


ボヤけた視界をそのままに私は流星群を見る。


小さい光がどんどん大きくなって、輪郭がはっきりと見えるようになっていった。


「わ、すごい! こんな近くに見えるものなんだ……」


だが夢から覚めるのも早いのが現実。


身に迫る危険にロマンティックなことを考えられるほど、思春期な脳は残っていなかった。


「……え? 近……」


真っ白な閃光が私を飲み込んだ。





「な、なんだったの?」


瞼を閉じても眩しかったそれが消えたのを感じると、ゆっくりと目を開く。


そこは流星群の空は同じでも、柵があり下に見える光景は全く異なるものだった。


それでも知っているセピア色になっていた記憶の景色。


「え、ここって……」


「時森?」


「えっ!?」


急に背後から呼ばれて心臓が跳ねる。


声を聞いただけで、まるで全身から涙が溢れそうな熱い情が込み上げる。


私は髪を乱す勢いで振り返った。


カーディガンを羽織り、ネクタイをゆるめた制服姿。


まだあどけなさの残る端正な顔に、やや長めの前髪をした夜に溶ける黒い男の子がそこにいた。


「なんでお前ここにいんの?」


振り返るとそこには黒咲くんがいた。

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