第四章:再誕の夜明け
夜明けを告げる鶏の声まで、あと一時間。 屋敷の空気は、豆田守が持っていた「一粒の種子」が放つ異界の冷気によって、凍てつくように冷え切っていた。天井裏で蠢く「歪な熱源」が、ギチギチと骨の軋む音を立てて広間へ降りてくる。
一同が恐怖に凍りつく中、つむぎは静かに、しかし力強くスケッチブックのページをめくった。
「(皆さん、注目。もう『無言の行』の必要はありません。なぜなら、この屋敷に本物の鬼など最初からいなかったからです)」
鈴が驚いてタブレットの手を止め、守が豆を握りしめて後ずさる。道成は鰯ヘッドの重みで首を傾げながら、つむぎのフリップを見つめた。
「(萬斎先生の消失トリックは、民俗学的な『風景への擬態』です。道成さん、あなたがさっきぶつかった『母の形見の着物を着た人形』……実はこれ、今の今まで萬斎先生が中に入って、人形になりきっていたんですよ)」
つむぎがもげた人形の胴体を指差すと、そこには人間一人が丸まって入れるほどの空洞と、萬斎がこっそり持ち込んだであろう「携帯用尿瓶」が転がっていた。
「(先生は九条家に対抗するため、自ら『不還の追儺』の極致、すなわち人間と人形の境界を消し去る術を実践しようとした。でも、暗闇と寒さで腰を痛め、自力で脱出できなくなっただけです。さっき天井を這っていたのは、鈴さんのドローンが『人間以外の熱源』に反応するよう設定されていたため、先生が体温を隠すために巻き付けた保冷剤の異常な熱分布を誤検知しただけ。そうですよね、萬斎先生?)」
広間の隅、別の藁人形が「ううむ……」と野太い声を漏らして動き出した。中から、冷や汗と保冷剤でびしょ濡れの萬斎が、情けなく這い出してきた。
「(しかし、問題はここからです。萬斎先生が偽物の鬼だったとしても、守さんが隠そうとした『一粒多い豆』と、人形の中に隠されていた櫛……これは本物です)」
つむぎのライトが守を射抜く。 守は観念したように、耳の痣を隠すのをやめた。
「(守さん、あなたは山の神から送られた『人質の身代わり』だった。十数年前、お母様が山へ消えた時、山は代わりにあなたを置いていった。あなたは自分の正体がバレて、母の形見である櫛(結界の核)が壊されるのを恐れ、異界から飛んできた本物の豆(種子)を必死に回収して、門を閉じ続けていたんですね)」
その時、東の空が白み始めた。 屋敷を封印していた逆さ札が、パラパラと音を立てて剥がれ落ちていく。
「(不還、とは『還さない』のではなく、『還れない』ということ。萬斎先生は伝統に縛られて、守さんは異界の血に縛られて、鈴さんは過去の影に縛られている。でも、民俗学はそれらを解き明かし、今に繋げるための学問です。さあ、豆を撒きましょう。今度は、自分たちを縛り付ける呪い(オニ)を外へ出すために!)」
つむぎが無理やり道成の鰯ヘッドを剥ぎ取り、そこにあった防犯カメラ用のメモリーカードを萬斎に突きつけた。
「(先生、このカードにはあなたの『情けない姿』がすべて記録されています。もし卒論の推薦状を書いてくれないなら、これを学会で上映しますよ?)」
「……貴様、それでも民俗学徒か……!」
萬斎が初めて声を絞り出した。それは九条家のような「鏡開き」ではなく、百鬼家の「呪縛開き」の瞬間だった。
エピローグ
一週間後。 大学のカフェテラスで、つむぎは猛然とキーボードを叩いていた。
「論文タイトル:『追儺におけるハイテク監視網と身体的擬態の相関性――および、鰯の匂いが精神に与えるトラウマについて』。完璧だわ!」
隣で、いまだにどことなく生臭い匂いが抜けない道成が、深いため息をついた。 「つむぎ……百鬼家の鈴さんからメールが来たよ。『マメ・ハンターⅡ』の開発資金を九条家に請求するって」
「いいじゃないですか。伝統と技術の融合ですよ。それより道成さん、次は節分じゃなくて『雛祭り』の調査に行きましょう。なんでも、川に流したはずの雛人形が、上流に逆流して戻ってくる村があるらしくて……」
「もう嫌だ……」
道成の絶望を余所に、つむぎは次のフィールドノートを鞄に詰め込んだ。 民俗学オタクの事件簿は、まだ始まったばかりである。




