第二章:身代わりと消失の怪
「……ふふ、ふふふ。見えますか、道成さん。あの暗闇にうごめく影……。あれこそが、人間の『穢れ』を肩代わりするために作られた依代、等身大の藁人形ですよ」
漆黒の闇の中、つむぎの声だけが弾んでいた。実際には「無言の行」の最中であるため、彼女は道成の腕を猛烈な勢いで掴み、手元のスケッチブックに書いた文字を小型ライトで照らしている。
道成はといえば、頭に装着された「イワシ・アイ・マークⅡ」の重みと、鼻を突く鰯の生臭さに耐えるので精一杯だった。ヘッドギアに埋め込まれた赤外線カメラの映像は、鈴の手元のタブレットにリアルタイムで転送されている。道成はもはや人間というより、歩く生臭い監視カメラだった。
屋敷の廊下には、至る所に等身大の藁人形が設置されていた。 暗闇の中、ライトの光が掠めるたびに、古びた着物を着せられた人形たちが、あたかも意志を持ってこちらを覗き込んでいるような錯覚に陥る。
「(道成さん、見て! あの角の人形、さっきより数センチ右に寄っています。これぞ『生ける人形』の伝承の具現化!)」
つむぎのフリップ攻撃に、道成は声にならない悲鳴を上げながら首を振った。 その時だった。
ビーーー、ビーーーー!
静寂を切り裂くような電子音が、鈴の持つタブレットから鳴り響いた。 「無言の行」を真っ先に破ったのは、皮肉にも最新テクノロジーだった。
鈴が驚いた表情で画面をこちらに向け、筆談ノートに殴り書く。 『鬼役(父さん)の熱源、ロスト。ありえない』
つむぎと道成は、鈴に導かれて萬斎が籠もっていた奥座敷へと急いだ。 座敷の入り口には、魔除けの炒り豆が隙間なく撒かれている。豆田守が潔癖な手つきで完璧に配置したその「豆の絨毯」には、踏み潰された跡も、乱れた形跡も一切ない。
しかし、部屋の中央に踏み込んだ一同は息を呑んだ。
そこにいたのは、萬斎ではなかった。 萬斎が着ていたはずの、百鬼家当主の家紋が入った重厚な羽織。それが、一体の「藁人形」に被せられ、座布団の上に鎮座していたのだ。
萬斎の肉体だけが、文字通り煙のように消え、代わりに依代である人形が主の座を奪っていた。
「(身代わりと本体の逆転! 儀式の最中に依代が本体を飲み込んだんです! 素晴らしい、これこそが民俗学の奇跡!)」
つむぎが感動に震えながらスケッチブックをめくる傍らで、鈴は冷静にドローンの操作画面を切り替えた。 『待って。父さんの熱源はないけど、別のものが映ってる』
鈴が示したモニターには、屋敷の天井裏を、まるで巨大な蜘蛛のような動きで這い回る「歪な熱源」が映し出されていた。それは人間一人の形をしておらず、複数の四肢が絡み合ったような、生理的な嫌悪感を抱かせる輪郭をしていた。
その時、廊下の暗闇から「カサ……カサリ……」と、乾いた藁が擦れる音が聞こえてきた。
道成が「イワシ・アイ」のライトを向けると、そこには、先ほど廊下の角にいたはずの「母の形見の着物を着た人形」が、一歩、また一歩と、音もなくこちらへ向かって歩いてきていた。
道成の背筋に氷が走る。 鰯の匂いに誘われたのか、屋敷に潜んでいた数匹の猫たちが、暗闇から現れた人形の足元に群がり、威嚇の声を上げた。
「(事件です、道成さん! 鬼がいなくなり、人形が意志を持ち、謎の熱源が天井を這っている。百鬼家の『浄化槽』が、ついに溢れ出しましたよ!)」
つむぎの瞳は、恐怖を通り越して、未知の怪異への歓喜で爛々と輝いていた。 不還の追儺は、まだ夜が始まったばかりだった。




